南信・平谷村の里山尾根を歩いて、ブナ林帯樹林の若葉が織りなす緑陰をキョロキョロウットリ。でも最後の千本立(1466m点名同Ⅲ△)の山頂直前で思わぬ失態で引き返した。千本立という山名に樹林を愛する人々の思いを感じる。かつて、ブナやミズナラの巨樹が林立していたらしい一帯の林野は戦後に皆伐されたが、その後樹林はどう再生しているのか。機会を見て、千本立の頂に立ち、千本の実相を見極めたい。
【 個人山行 】 平谷3山 東方子、桐山、千本立 鈴木 正昭
- 日程:2022年5月19日(木)
- 参加者:鈴木正(単独)
- 行程:自宅5:40⇒猿投グリーンロード⇒国道153号⇒7:25道の駅信州平谷(駐車 標高920m)7:45→8:00尾根取り付き→9:15東方子→10:20桐山10:50→12:15谷筋に降下→12:25廃林道出合→1:40・1460m峰(ここで引き返し)→白沢林道(廃道)→3:30キャンプ場(ネスティピ)→3:45国道418号出合→4:40平谷村役場5:20→5:25駐車地
- 地理院地図 2.5万図:平谷
愛知の足助山域に接する長野南部の地図を見ていて、平谷村役場のすぎ東側の尾根に目が留まった。平谷川の支流である入川と柳川の間の尾根筋に東方子(1130m点名同Ⅳ△)・桐山(1304m点名桐山ノ根Ⅲ△)・千本立が東西に並ぶ。寒冷な背高い尾根筋だから、ブナ帯域の広葉樹林の美麗な園に出合えるかもしれない。
国道沿いの平谷村役場の隣にある道の駅駐車場から国道を横切り、すぐに斜面を上がる。広い草原に出た。昔の畑の跡地らしい。壊れた温室10棟の間を進み、尾根への登り口を捜すと、ササ原の間に古い踏み跡を見つけて登りだす。人工ヒノキ林内、肩ほどのササ原を分けて尾根の背を上がる。薄いが踏み跡は明確。ただ、テープ類など人工物は全くない。
標高50mほど上がると、ひょろ長い広葉樹の木々が出始める(写真①)。緑の枝葉が林冠を飾り、上を眺めながら進む。広葉樹はミズナラが大半で、ブナも混じるが大きな木はない。アカマツの大木があちこちにあり、針葉樹のコメツガも混じる。ササ原はひざ下程度。順調に進み、小さなピークにミズナラの木の幹に「東方子」の看板を見つけた(写真②)。別の木2本にも2枚の山名板があった。三角点の標石を探して足で腐葉土を払いのけ続けたが、あきらめた。「名」ばかりで土の下に隠れてしまった。
東方子から先はブナ林帯樹林(注1)の様相が明確となる。ブナは5.60年生の太い木も出始める(写真③)。後に平谷村役場で得た情報によると、この山系のブナ帯山林は戦後まもなくほぼ皆伐された。パルプ材や愛知県沿岸部の海岸埋め立て工事に使う杭材に使われたという。その後の拡大造林政策で大半はスギ、ヒノキの人工林となったが、尾根筋の一部は造林から逃れた。皆伐から5.60年立ち、元のブナ帯林が復活しつつあるのだと推測する。
願わくはこの楽園が続いてほしいと、思ったとたん、標高1200mで北からヒノキ人工林が上へ延びてきてしまった。尾根の背の踏み跡まで枝打ちも間伐も怠ったらしい貧弱なヒノキが並ぶ。北側斜面の下をのぞくと、白い帯が走っている。林道跡らしい。かつて伐採や造林に使ったのだろう。今は荒廃して廃道となっている。
この後、人工林は消えて間もなく南側が切り開かれた空地に桐山の看板を乗せた三角点があった(写真④)。南側に国道153号の東尾根上にある才ノ神(1148m)らしい峰が見えた。眺望範囲はわずかで、奥三河の主峰群は樹林に阻まれ見えない。
東方子から桐山を経て千本立までの尾根筋には地理院地図に歩道を示す破線や実線(林道)が記載されている。多分、伐採や造林の盛んな時期に作業用に付けられたものだろう。桐山まではなんとか踏み跡は明確だ。だが、桐山から200mほど東で南東に曲がると、ササやぶの下に消えた。それまで各所にあった目印テープも完全消滅。方向確認を繰り返しつつ尾根を下る。ササやぶは肩上まで延び、密生するヒノキ林内なので周りの地形確認もできない。
歩道破線のある尾根なのに、あるのは人手皆無の激やぶのみ。間違い尾根に入ったのではないかと、自分を疑い始め、標高1200mで東側の谷に降りて、登り返して別の作業道と思われる踏み跡を進んだ。この谷降下は間違いであった。後でカメラのGPS軌跡を読むと、降下地点から尾根をあと100mほど進めば、地形図にも載る白沢林道に出られたのだ。あわてていて、地図を正確に読み取れなかった。毎度同じミスの繰り返し。ただ、登り返した枝尾根に作業用らしい踏み跡を見つけて進むと、白沢林道に出ることができた。
後はスイスイ、とはならず。林道は何本もあり複雑に支線林道が絡んでいる。いずれも廃道で車は全部通行不能。両側からササが被さり狭い道筋を進み、少し斜面を上がった小広い丘に達した。時計の高度計は1470m。千本立だと確信して辺りを探した。三角点は見当たらない。辺りには同高度の山頂は見当たらない。再び我が頭脳GPSへの不信発生。時間の余裕も余りない。ここで引き返しを決めた。帰宅後GPS軌跡を調べると、廃林道を後200mほど南下すれば山頂に着けたのだ。
飯伊森林組合西部支所のIT氏によると、戦時中に皆伐された千本立一帯では50年ほど前にカラマツが一斉造林された。廃林道脇にはカラマツの若木が明るい柔らかな緑の針葉を広げている(写真⑤)。ただ、林道崩壊で手入れ作業はできていない。後20年もすれば壮麗な緑の園が広がるのだろうか。
下山は白沢林道をひたすら下りた。林道上部の物凄い崩壊現場には仰天した(写真⑥=下流から見上げる)。車の通行できる林道が10か所ほどでズタズタに切れ切れ状態。やっと歩けるところが数か所。そのうちに歩行も不能となりそう。同林道は10年ほど前に改修した後、数年後の大水害で不通となったままという。かつては林道を車で千本立の直下まで行けた。いつか、この林道も改修される日が来るかもしれない。進む温暖化を前に、それを自然が許すかどうか。完
<注1 ブナ林帯>
ブナ、ミズナラ、トチ、クリ、クルミなどの冷温帯落葉広葉樹が生育する地域。日本では標高の高い九州山地、四国山地、紀伊山地、中部地方では長野、岐阜などの中央高地、東北、北陸地方に見られる。山菜やキノコ類などの食生活やクマ、シカなどのほ乳動物の狩猟や調理法など特色ある生活民俗文化(ブナ帯文化)が育った。
発信:5/23
コメント