大垣山岳協会

志摩半島と五ケ所湾を望む山・牛草山 2021.12.21

牛草山

【 週日山行 】 牛草山 ( 550m Ⅱ△ ) 丹生 統司

 本年最後の週日山行は南伊勢の牛草山でL安藤正明の下で行われた。山名の「牛草山」は山で刈った草を牛に背負わせ運んだことに由来するとか。先週の実施計画を雨予報の為1週延ばして行った。12月とは思えぬ暖かさに恵まれて行く年の干支の山を楽しんだ。

<ルート図>
  • 日程:2021年12月21日(火) 晴れ
  • 参加者:L.安藤正、岩田嘉、小倉繁、桐山美、丹生統、堀嵜尚、宮川祐
  • 行程:正伝院8:40-浅間山大日如来10:15-牛草山11:15~12:10-正伝院14:15
  • 地理院地図 2.5万図:五ヶ所浦

 交通量の多い国道258と東名阪を経て南伊勢まで2時間半の長距離運転で度会町日向集落の正伝院に着いた。登山靴に履き替えると杉林に囲まれた林道を進んだ。

 普通、山の距離間隔は合の単位で表示されるが、この登山道は牛草山頂まで36町と24m(3948m、1町は109m)と固有の単位が使われていた。1町が何メートルか暗算するのだが頭がボケて回転せずイライラ。そういえば古代奈良の平城京の碁盤の目地割に町が使われていたようなことを思い出した。

 尾根の下部付近の杉林は間伐や枝打ちが行われて美林だったが、尾根上付近は枝打ちもされず放置の状態であった。古い枯れ木が一杯散乱していた。

 火打石コース最初の分岐。計画では牛草山登頂後に西尾根コースを下降し、天然記念物の火打石を見学後に此処を登って来る予定であるが彦山川から高度で300mの登り返しとなる。地形図に「緑の実践」で記載しているが体力が残されているのか不安である。

 標高408mの尾根の上に「山神さん」の石碑が有った。

 浅間山の大日如来座像、木花咲耶姫坐像に手を合わせる信心深い今日の参加者たち。

 デッカイ山桜の木。コブコブで幹肌が荒れて見るからに古木の趣だった。

 未だ生きているので倒木と言っていいのか、暖かい地域の植生である照葉樹が多い。

 来年の干支である虎ヶ岳を先に登って、今年の牛草山へ向かった。

 針葉樹の植林帯が尽きるとソヨゴやウバメガシ、シキミ、ヤブツバキの照葉樹林の中に落葉樹のシャラやコナラ、ヤマザクラが混成していた。

 尾根の要所や山頂には数多くの手作り標識や山名板が神社の絵馬のごとくに括りつけられていた。標高の間違っているもの等もある。あちこちにこの種の物が、困ったものだ。

 疲れて休憩、若いものが羨ましく思えるほど仲睦まじい最高齢者。

 大石と照葉樹の森を抜けて尾根をすすむ。

 牛草山山頂到着。点名・伊勢路山(Ⅱ等三角点549.95m)

 お疲れさまでした。山名板が前にも後の木にも沢山括られている。その前で記念写真。

 日当たりの良い山頂は暖かかった。東南の方向に展望が開けて五ケ所湾と志摩半島を見下ろして昼食タイムを過ごした。シゲさんが居ると賑やかで笑い声が絶えない。

 さて、帰りであるが当初計画は西尾根経由で下降し天然記念物の「火打石」を見学した後に「日向コース」に登り返して下山であった。しかし、地形図を詳しく見れば西尾根を高度で440m下降し「火打石」を見学後に彦山川を渡り高度300mの登り返しとなる。最低でも約3時間の所要時間が必要である。此処は年齢と実力と相談して往路を引き返すのがベストの判断であろう。

 往路を引き返すリーダーの判断で順調に正伝院へ帰って来ることが出来た。正伝院では平成8年までの138年間院の屋根を飾り。鬼門を守っていた鬼瓦を見学した。安政5年(1858)の作と刻印が有るそうである。瓦には菊の紋が使われていた。安政5年といえば井伊直弼の大獄があり公武合体が声高に言われた時代である。その背景があって菊の紋が使用されたのだろうか、だが徳川から明治に体制が変わり恐れ多い菊の御紋がそのまま平成の御代迄何故屋根に居続けることが出来たのだろうか?よんどころない方の開基による院だったのかも? 想像は膨らむ。

 今年最後の週日山行は快晴の中で12月と思えぬほど暖かくて楽しい山行であった。いい雰囲気の中で安全運転を誓い正伝院を後にした。完


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