大垣山岳協会

板取・観音洞ぐるり尾根歩き報告 2021.04.15

タカネ

 一本の沢沿いの尾根をぐるりと回りきる山行は何度も経験したが、今回の観音洞周回は当初からの発想ではない。地図を読んでいるうちに、主目標のタカネ(1051m 旧名・箭筈岳)から南下する長い尾根に惹きつけられた。美景珍景驚嘆の景に会えるかも。過大な期待は外れた。だが、明るく微笑むアカヤシオの花や薄緑のミヤコザサ原。コウヤマキの老木、幼木がそろった純林。時が経つとあの光景がよみがえり異彩を放つ。

タカネ( 1051m △なし ) 鈴木 正昭

  • 日程:2021年4月15日(木)
  • 参加者:単独
  • 行程:
    14日午後 自宅⇒国道41号太田町交差点⇒国道248号⇒国道256号⇒県道81号⇒白谷の観音洞林道脇で車内泊
    15日 駐車地5:40→5:50白谷観音堂裏尾根取付き(標高240m)→6:20秋葉神社祠→7:45点名白谷(673m△Ⅳ)→10:05タカネ10:35→11:15・888m点→12:35・773m峰→1:45高山石→2:05点名江原坂2:20→2:55谷へ降下→3:10観音洞林道出合→3:30駐車地
  • 地理院地図 2.5万図:下洞戸

 岐阜県関市板取地区の最南部の白谷集落で板取川から観音洞という小さな支流が東へ派生している。洞の最源流部にタカネ(箭筈山=やはずやま=1051m)がそびえる。その観音洞をぐるりと取り巻く尾根筋は極端な上り下りがなく、多彩な峰々や昔の修験者の行場もあるらしい。それにネット記録にもお目に掛からないコースである。

 観音洞沿いの林道入り口路側で前夜泊。どしゃ降りは夜半には満点の星空となり、北斗七星が頭上に輝く好天。翌早朝、観音洞に架かる橋を渡り長い参道を進み白谷観音堂(写真①)に手を合わる。その堂裏からタカネまで延びる観音洞右岸尾根の鼻先に取付いた。スギ人工林内の踏み跡を登り始めると石段や丸太の踏み段が続く歩道が急斜面を登っている。予想外の立派な道の出現。約70m上がると急階段の上に木製の小さな祠が立っていた(写真②)。白谷観音堂の創建は平安時代末期と推測されるのでこれも1000年も前のものだろうか。白谷在住の旧知のNMさんに伺うと、そうではなく数十年前に出来た秋葉神社という。

写真① 白谷観音堂
写真②

 階段道はここまでで、以降は踏み跡だけとなる。時折、左右の斜面からヒノキの人工林が迫ってくるが、片側はコメツガやカエデ類の天然二次林が明るい林相を見せてくれる。標高500m以上では踏み跡も消えて細い獣道が時折現れる。人の気配は消えて、低層の木枝やぶもない我が理想的な尾根筋である。わずかなコブ上の平坦な枯葉の敷物に点名白谷の白い点石が座っていた。(写真③)。

写真③ 点名・白谷

 この辺りから尾根東側は観音洞から上がってくるヒノキの人工林。西側は天然林の二次林で、威勢良く立ち上がるコメツガの壮齢樹に励まされる気持ちがする。750m辺りで薄い緑色のミヤコザサ(クマザサ)が尾根を覆う。すぐに尾根は細くなり岩稜帯が現れる。人工林は消えてコメツガやミズナラが岩の周りにしぶとくしがみついている(写真④)。

写真④

 岩稜は数カ所あったが、いずれも足場は簡単に確保でき、やがてタカネの山頂部に達した。広い尾根を覆うくるぶしほどのササ原の中を真っ直ぐ進む。ササの間にカタクリの花。踏まないように注意して進む。平らな尾根筋に立つ細い木の枝に古いタカネ山名板を見つけた。

 ここには大垣山岳協会の山行で2013年に北側の林道から登っているが、その時の印象は消えている。三角点も饒舌な看板など何もない。スッキリさっぱりした山頂。眺望はほとんどない。北側に高賀山があるはずだが、密なヒノキ林が隠している。これから進む長い南尾根も広葉樹の木枝で見通せない。関市に合併する前の板取村史には「箭筈岳は白谷にあり、狐峰秀抜、洞戸高賀岳と相対す、遠方より之を見れば形、箭(矢)筈のごとし、之に名づく」とある。遠くから見ると矢筈の形に見えると言う、どの位置から見たのか、私には分からない。

 山頂から南に真っ直ぐの尾根を1km強下る。地図を見ると簡単そうだが、手抜きはできなかった。踏み跡はなく、2回ほど東の高賀川側に下りる枝谷に降りかけて、気づきトラバースして修正。この尾根筋歩きは優雅流麗な光景に包まれた。薄緑のササ原(写真⑤)、広葉樹の若葉の輝き、773m点手前ではアカヤシオの薄ピンクの小花が青空に浮かんでいる(写真⑥=奧の山並みの中央がタカネだが、矢筈の形には見えない)。さらに濃緑の艶っぽい葉が広がるコウヤマキの純林にも出合った。

写真⑤
写真⑥

 773m点からは緩やかに尾根が右に曲がっていて、派生尾根が多い。コースを選ぶのに手間が掛かる。お目当ての高山石はすぐ分かった。天井部分は2m×1.5mほど(写真⑦=右側の石)。やや傾いているが、座禅するには十分な広さである。濃陽志略(板取村史引用)には「高山石、白谷山中にあり、竪四尺横一丈三尺d許 形円にして榻(たふ=腰掛けの意)の如し、里人云う 高山上人は養老年中(717~724)の人 此に座禅す」とある。史実論拠の上で高山上人の特定はとても無理のようだが、昔の里人たちが信じたこと自体に価値を認めたい。ただ、付近には説明板などは一切なかった。

写真⑦ 高山石

 このすぐ先に点名江原坂が朽ち果てた松の倒木の下にあるのを見つけた。倒木を除けて周りの土を少し除去して確認できた。

 後日聞いたのだが、ここには白谷から洞戸村高賀に抜ける山道があった。板取村史には「白谷からいばら坂を越えると洞戸村高賀に至る。白谷の人は高賀の観音詣に、高賀の若い衆は白谷の盆踊りに往来した」とある。三角点名はここから命名したようだ。古い山道は今でも薄く残っているそうだ。私はそれを知らずに三角点の西側で踏み跡を見つけられず、強引に北側の谷に降りて観音洞林道に出た。でも古道とほぼ同じコースだったと後で知った。

 やや残念だったのは好天にもかかわらず、眺望の乏しさだ。岩稜帯の岩の上から北方の樹木の隙間に白山と滝波山の姿をのぞき見したただけ。すぐ北の高賀山も木枝の厚いすだれの向こうに黒い姿が見えただけ。里山や中山間地の山林は戦前まではすべて樹木のないはげ山ばかりだった。それが燃料革命や建築新素材の開発による木材利用激減で、今やどこも分厚い樹林となった。ここ白谷山域でも年々樹木の材積量は増えて見通しの効かない暗闇度は増しつつある。それでも歩くのか、と聞かれると言葉に詰まる。

 目に入る樹林、草花や風物を愛で探求するほかない。それでも十分楽しいものだ。

<ルート図>

発信:4/19

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