大垣山岳協会

好日の里山散策・曽良山712m&ぶらり中馬街道 2025.11.26

曽良山

【週日山行】曽良山(712.3m Ⅱ等△) 土岐市曽木町 NT

 当会11月の週日山行はTS.Lの下9名の参加で土岐市の最高峰「曽良山」に登山、その後は戦国期の細野城跡を周回、更に畑中の道から江戸期の商業道である中馬街道をぶらり散策した。好天に恵まれた晩秋の山行報告である。

<ルート図>
  • 日程:2025年11月26日(水) 天候:晴れ
  • 参加者:L.TS、OS、KT、KM、GY、ST、NT、FT、MT
  • 行程:曽木公園8:53-曽良山10:16-細野城跡11:00~55-正福寺12:13-中馬街道12:35~13:00-曽木公園13:39
  • 地理院地図2.5万図:猿爪

 早朝の曽木公園駐車場は気温が低く寒いせいか人気は無かった。紅葉は今が見頃だが先ずは曽良山を目指す、下山後にゆっくり陽溜まりの中で紅葉見物をする予定だ。

集落の間道を辿ったが耕作放棄された畑の「キーウイ」等が藪と一体化、野生化していた。日本の農村風景の現実を見て少し寂しく思った。やがて道は針葉樹の植林帯となった。

辺りに笹が出て来た。関ケ原近辺の山はシカに食され丈は低くなりヤブは透けて見えるほど薄くなったが東濃では被害が深刻ではないようだ。

地形図では実線で記された作業道らしき道に3回ほど出合うはずであるが雑草に埋もれているのか見逃していた。やっと広い林道に出て現在地が確認出来て休憩となった。

豊田市との境界尾根に出合うと辺りに広葉樹が出て来てやっと落ち葉を踏みしめることが出来た。やはり秋山はこのサクサクの絨毯の感触がたまらない。

道は細野城跡の分岐を過ぎて約80m東の先が曽良山山頂だ。一旦下って20m登り返した。道標は曽良山でなく鶴岡山となっているが後程説明する。

点名・細野村、Ⅱ等△石柱は無惨にも天端四方が全て欠かされていた。三角点を棄損した者は懲役2年以下または百万円の罰金が科されるはずである。心ない輩が許せない。

この山は土岐市曽木町では「曽良山」土岐市鶴里町では「鶴岡山」愛知県豊田市では「西山」と3ツの名を持つ山である。このため、各地元の山名板制作者によって名が異なる。

細野城跡への周回途中で弘法太師ゆかりの「師岩(もろいわ)」が50m先に有るとの標識を見て寄り道をすることにして坂を下った。

今朝方迄の雨と濡れ落ち葉で滑りそう、師岩に立ったが情けないバランスだ。近くに弘法太師がこの岩から細野「赤子岩まで一足飛びに渡った」と書かれた看板が有った(T撮影)

師岩から細野城跡分岐に引き返し西へ向けて下った。急斜面は濡れ落ち葉で埋まっており枯れ木や根っ子を隠しており油断できない。ロープを掴んで慎重に下った。

どうやら細野城跡の敷地内へ入ったようだ。竪堀や堀切、土橋、土塁と書かれた標識が行く手に現れた。尾根幅が狭く小規模で長い籠城に耐えられるような山城ではなさそうだ。

細野城曲輪跡に到着、縄張り図と城の説明書きが有った。規模から見て戦時の陣跡と思われた。それも大軍ではないようだ。関ケ原の山中ではもっと大きな陣跡が確認出来る。

木立が陽を隠し風が吹き抜けた、細野城跡でのランチタイムは寒くダウンを着込んだ。食事を済ませた順に寒いと言ってザックを担いで出発待ち状態、落ち着かずカップ麺をかき込んだ。早く陽溜りの里へ下りよう、正福寺を目指し下山を開始した。

正福寺は曹洞宗の寺院で昭和36年に福昌寺と正宗寺が合併して現代の東岳山・正福寺となった。福昌寺は寛永10年(1633)、正宗寺は寛永16年(1639)両寺院ともに白峯林太が開山したと伝わる。歴史有る寺院である。

正福寺から中馬街道入口の白鳥神社を目指して集落の間道を歩いた。雨戸を閉め切った家が目立ち一目で空き家と判断できた。熟しても樹上で落ちるのを待つ柿哀れ。

山から下りて来てからは青空の下で陽光を浴びて畑中の道をぶらぶら歩いた。絶好のウォーキング日和となった。先ほどまでいた曽良山にも陽が当たり青空に浮かんでいた。

国道363号を跨ぎ白鳥神社に着いた。此処から大草集落まで旧中馬街道が整備されており往時を偲んで歩けるよう保存されていた。中馬街道は信州伊那谷の農民が農閑期に自分の馬で荷を運ぶ賃稼ぎの副業道から発展した。

東海道や中山道では宿場ごとに傳馬と呼ばれる替馬制度が有ってその度毎に手数料が発生した。中馬街道には馬宿があって通し馬で名古屋まで行くことが出来て通行料や手数料が発生しないことから商業道として発展したようだ。

馬頭観音像を幾つか見た。往時の搬送手段はもっぱら馬の背に頼らざるを得なかった。旅の安全の信仰も有っただろうが供養も含めて馬頭観音が安置されたのであろう。木曽谷でも馬頭観音の石像をよく見た。

大岩の上の道祖神、どうやら此処で旧中馬街道の整備保存ルートは終えるようだ。集落から人が少なくなっていく中で歴史を後世に残して行くのは大変なことだ、有難い。

 曽木公園へ戻ると紅葉見物目当ての観光客多数とすれ違った。ザックを担いだ集団を見て声を掛けて来る人がいた。「曽良山から周回して帰って来た」と告げると年齢を尋ねられ「85歳が2名いる」と答えた。「え~」声を出して驚きビックリしていた。彼等とは足腰だけでなく肌の艶から違う、肌ツルツルの秘訣は大垣山岳協会の会員で山に行くことだ。完

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