大垣山岳協会

三角点四方山話(4)

TOPICS・随想・コラム

月報「わっぱ」 2018年6月(No.439)

三角点四方山話(4)

〇御料局の三角点

 明治に入り、幕府や大名領の山林が「官林」として国家のものとされ、農商務省山林局が管理することになります。さらにその一部が明治22年(1889年)に皇室の財産である「御料林」とされ、宮内庁御料局が管理することになります。この御料林の中で最も重要だったのが、伊勢神宮の御用材ともなる檜の名産地で、かつて尾張藩が「檜1本首ひとつ」と厳重に管理した木曽地方と裏木曽地方(岐阜県川上村、付知村、加子母村。いずれも現在は中津川市)です。

 これらの「官林」や「御料林」を管理していくために、民地との境界を確定する必要があります。参謀本部陸地測量局の測量を待っている時間はありません。独自に三等レベルの測量を進めることとなります。本格的な森林測量を強力に推し進めたのは宮内庁御料局でした。明治24年(1891年)初代の御料局測量課長に神足勝記が就任します。彼は農商務省の地質調査所で我が国初の地磁気測量を手掛け、江戸期の伊能図以来という日本の地形図作成に当たっていました。

 彼は独自に御料局三角点を設置し、木曽御料林での本格的な森林測量を開始します。明治26年6月に恵那山周辺から始め、同年12月に完遂しました。この実績をもとに、翌27年「御料地測量規定」を制定します。この規定は、同33年に公布された農商務省山林局の森林測量法を定めた「国有林野測量規定」のベースとなっています。写真は下呂八尾山の北、点名・奥茂谷です。国土地理院の三角点の傍に、標石上部の四隅が三角形にカットされ×印が特徴の旧御料局の三角点が残っています。

(清水克宏、藤井利定( 堀 義博 編集 ))


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