【一般山行】兀岳(1636.6m Ⅲ等△)・夏焼山(1503.3m Ⅳ等△) 長野県木曽郡南木曽町 NT
当会6月の一般山行はL.FTの下で長野県木曽谷と伊那谷を結ぶ旧大平街道から兀岳を往復し夏焼山を周回した。江戸時代中期から明治期に賑わった旧街道は巨木の原生林の只中を行きヒノキやサワラ、ミズナラが陽光を遮り足元の岩は苔むしていた。

- 日程:2025年6月22日(日) 天候 曇り
- 参加者:L.FT、IK、OS、OS、KT、GY、SD、TS、TK、NT、HA、HN、MY、MK、MT、YT、体験1名
- 行程:木曽見茶屋駐車場8:30 旧街道入口8:43 大平峠9:14 兀岳10:32~45 大平峠11:38 夏焼山12:11~54 木曽見茶屋駐車場13:44
- 地理院地図2.5万図:兀岳
木曽見茶屋に駐車して大平街道(県道8号)を13分引き返すと旧大平街道の入り口案内が有った。右下は鍋割川支流の渓谷が見えて谷水の音と清涼が木曽の深山を感じさせた。

足元に伸びる笹と腐葉土を踏んで進むとデッカイ木曽檜の歓迎に足が止まった。此処は木曽の山中、伊勢神宮式年遷宮や名古屋城天守築城に使用出来そうな巨木が次々に現れた。

この街道は江戸中期に飯田藩によって木曽谷と伊那谷を最短で結ぶ為に拓かれた。デッカイ倒木に一瞬戸惑うも、ちゃんと越えられるよう足場が切られ通行に支障はなかった。

奥美濃にも熊は多いが木曽谷も多いようで近距離で熊追いの鐘が設置されていた。誰かが試しに叩くと高音の響きが谷を走った。熊が怯むような効果てきめんの気がした。

「街道物語」と称した立札が近距離で設置されており往時の街道の様子や尾張藩の停止木制度の「檜一本首一つ」の説明書き等を興味深く読んだ。谷の上流に橋が見えるが朽ちて使用不能のようだ、下流を渡渉して道が付けられていた。

県道8号の車道が見えており大平峠と思われた。此処でトンネルを確認すれば大平峠を特定出来て以後の現在地特定が容易だった。今日の参加者は17名、多人数だとリーダーの後を追うだけで地形図での確認がおろそかになる。つい手抜きをしてしまい反省である。

標高1510mで分岐が有ったのだが確認せずに西へ進入した。その尾根は南木曽町と阿智村の境界尾根で目指す兀岳は逆方向だ、途中で気付き大慌てで引き返す。多人数だと後ろからついて行くだけのお任せ山行になってしまう。北アなどでよく見る行列登山と大差なく反省である。

兀岳山頂着、残念だが梅雨空が覆って何も見えない。時間が早いのでランチタイムは夏焼山でとリーダーは告げ、早々に大平峠に引き返すことになった。

山頂山名板の横に御両局の境界石が有った。さも国土地理院の三角点石柱のごとくだが違う。本物の「点名・大平峠Ⅲ等△」が有るはずとなって付近の笹ヤブを掻き分けると出て来た。明治38年10月10日に陸軍陸地測量部によって埋標された石柱である。

三角点捜しの山頂滞在中にガスが切れ始めて北西に南木曽岳が少しずつ顔を出して来た。

大平峠へ帰って来た。降りて来た尾根から鞍部(トンネルの上)に向け夏焼山へ近道となる踏み跡がないかシナノザサの藪に目を凝らしたがそれらしい跡は見つからなかった。

東に木曽トンネルを見て県道8号を跨ぐと谷から水が引かれており、すくって飲むと冷たく美味しかった。そこから急な木階段が上へ導き息を切らせ登った。30分で夏焼山頂着というが急斜面の道は笹が道を覆っておりストックが絡み疲れは倍増、辛かった。

大平県民の森への分岐を過ぎると傾斜が落ちて楽になった。西に向かって約200m小さな起伏を越えた先が山頂で西の展望が確保されガスの中に対岸の山が霞んでいた。

山頂には「点名・大平峠Ⅳ等△」と石柱の天端が赤ペンキで塗られた「御料局三角点」が並んで埋設されていた。ベンチが有りランチタイムはおしゃべりに花が咲いた。折しも湿気を含んだガスが辺りを包みミストシャワーのようで火照った身体に心地よかった。

下山は木曽見茶屋駐車地に向かう尾根「パノラマコース」にとった。山頂からいきなり90mの激下りで木階段の高い段差と笹が道を隠し足元が悪い。前を行くのは本日体験参加のHさん、鈴鹿など登山道が整備された山行が多く笹に覆われた道や登山者に会わない山は初めてと。登山とは「学びの遊び」で読図等の知識や技術の習得の喜びを知って欲しい。

大人がすっぽり入るほど大きな三又の根上がり檜、ビヴァーグが出来そう。大きさを測るために中に入ってもらい写真を撮ったが笹が顔を隠し邪魔をして判り辛く残念。

尾根の傾斜が落ちると道を覆っていた笹も薄くなって歩きやすくなった。道標や森林の効能を書いた立札が近距離で出て来た。次々に現れる説明書きを読みたいのだがパーティーと離れてしまい追っかけ登山となった。

高度を下げるごとに包んでいたガスが薄くなり、雲の切れ間から青空が覗き明るくなって来た。そして冷気が少しずつ退散して温度の上昇を肌に感じるのだった。

パノラマコースは末端付近に雨量観測所が有った。尾根の末端をトラバースすると木曾見茶屋駐車場の200mほど上の県道8号(大平街道)に出ると旧街道から二ツの峰の周回登山は終わった。

大平街道は宝暦4年に飯田藩によって伊那と中山道妻籠を最短で結ぶ道として開設された。その後大平高原標高1150m辺りを木地師や榖商人、木曽の数家族が開墾、やがて善光寺参りの参拝者等が滞在するようになり大平は茶屋宿として栄えたようだ。明治37年には街道から県道に昇格し、小学校や郵便局が設置され長野県南部の交通、物流の要所となった。
しかし、大正12年に伊那電鉄が飯田まで開通すると街道利用者は激少した。昭和30年代に清内路峠を越える国道256号が開通すると交通や物流は衰退の一途を辿った。また、高度経済成長期のエネルギー需要の変化が林業従事者の離村に拍車をかけ昭和45年、大平宿は集団移転して250年の歴史に幕を閉じたそうだ。
さて本日体験参加のHさんには入会の内諾を早々に戴いた。先日の蓼科山に続き頼もしく若い仲間が増えそうで大満足の木曽の山旅であった。完
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