【 個人山行 】 赤河高原 点名・三川( 495.72m Ⅲ△ ) (岐阜県白川町赤河) SM
近ごろ、岐阜県中央部の白川町の高原に魅せられ、足繁く訪れている。今回は赤河(あこう)高原を通る古い集落間歩道を歩き、その先の山頂部にある三角点に登ろう。先月末の挑戦では歩道跡を確認できなかったが、今回は丸で反対方向に降りてしまった。方向観、高度観のミス判断を繰り返した。ただ、前回届かなかった三角点名「三川△Ⅲ」にはタッチすることが出来き、一勝一敗に終わった。

- 日程:2025年5月23日(金)
- 参加者:SM(単独)
- 行程:
- 23日(金)自宅(春日井市)5:50⇒尾張パークウェイ⇒国道41号⇒白川口⇒岐阜県道68号⇒古田口・町道⇒後山地区集会所駐車場
- 駐車地(標高485m)8:00→後山西山林道→8:40薮道入り→10:15幅広林道跡出合→11:15・町道出合(古田集落)→12:05後山駐車地⇒車で隆松(たかまつ)駐車地へ
- 駐車地(標高390m)12:30→12:45町道から尾根取り付き→1:30三角点三川1:45→2:05町道出合→2:30駐車地
- 地理院地図 2.5万図:切井
2.5万の地理院地図[切井]には岐阜県白川町の切井と赤河の二つの大字がある。いずれもなだらかな標高400mから700mの高原が広がり、各所に古くから続く集落が現存している。今年、この地域を訪れるのはこれで5回目。なぜ、同じところばかりなのか。自分でも不思議に思う。
後山集落の最高地から南東下方に見える光景(写真②)。家々と田んぼの緩斜面が降りてゆく。その奥遠方にそびえる見行山(905m奥右)と薄くたたずむ笠置山(1128m中央奥)。何時までもこの景色が残って欲しいものだ。ここから後山西山林道を北上する。幅4mほど。古いが舗装されている。車の通行は全くない。陽の光があまり入らぬ路傍だが、白い花が迎えてくれ、びっくり。少し赤味のある花だからサラサウツギ(アジサイ科)なのかな。(写真③)


地図では林道が北に曲がる位置で隆松尾根筋(仮称)に向かう破線歩道が記載されている。その踏み跡を見つけ隆松の最上部集落に出たかった。ちょうど地図上で歩道が分岐する地点から幅4mほどの素掘り林道が西に延びていた。きっとその先に目指す歩道の跡があるはずだ。林道は50mほど先で途切れていて、その先にかすかな踏み跡が尾根を降りていた。これに間違いないと考えた。小さな古いプラ容器の蓋一つを発見。昔の人が通った証だろう。安心してどんどん南西方向に降りてしまう。あたりは樹高40mものヒノキ人工林。遠方への見通しは全く効かない。小さな尾根を下ると下方に荒堀の幅広林道が現れた。その道に降りて、道を南下する。(写真④)この時点で目標コース復帰をあきらめた。ただ、後でGPS軌跡を見ると、この位置で北へ上がれば目標集落に出られたのだ。冷静に現在地と方向感を確認していれば……。

広い林道脇には大きな水タンクが二つあり。崩れかけた住宅2軒(写真⑤=そのうちの1軒)が道の東側にあった。小川沿いの林道をどんどん南下すると、見慣れた町道脇の古田(ふった)集落に出てしまった。あの2軒の住宅はなんだったのだろうか。昔の住宅跡だったのか。両家とも斜面にあった。どうも別荘跡だったような気がする。

冷静に考えると、この日のコースミスの発端は最初に地図の読み違いがあった。後山西山林道との分岐点で破線は北西側の谷間に降りている。だが、分岐箇所から真西に延びている地図にない幅広林道に進んでしまった。「広い新道が出来たため、昔の歩道も新道経由となったのかも」と勝手な推測をしたのだろう。実は前回山行(4月29日)でも同様のミスをした。今回入った荒堀林道から200mほど南側にも荒堀林道があり、それを下り終点から先行き不明の踏み跡に入った。ただ、途中で気付き、方向を修正して目的の隆松最高地点集落に達すること出来たのだ。今回はそうした機転も出来ずに安易に南下してしまった。
古田で市道に出た後、山間地にしては立派な町道舗装路を足早に昇り降りして駐車地に戻った。通る車は少ないが、時折ものすごいスピードで突っ走る車が来るのでうかうかできない。汗を流して後山駐車地に戻りすぐ歩いてきた道を車で戻り、古田地区の最北部の町道空き地に駐車。
幅は狭いが舗装してある町道を進むこと20分ほどで西側の草斜面に取り付く。ヒノキ林内を登る。(写真⑥)急な所もあったが、ふわふわの腐葉土はしっかり足を支えてくれ苦も無く標高500mの小さな丘に達した。さらに北西の緩い尾根筋を降下し登り返すと「御嶽大神」の古い石碑が立ち(写真⑦)その奥に三等三角点「三川」の標石が立っていた。(写真⑧=説明看板などは一切ない)先の古田地区の山林同様、ヒノキの4,50年生の密集人工林。眺望はほとんどゼロだった。



この地方ではかつて、御岳信仰が盛んであった。今年1月に訪れた切井の点名中之坊(969m)に登った際、すぐ東に小さな御岳神社があった。切井の地元の人(60歳)の話では、小学生の時、友人らとよく遊びに出かけたそうだ。同じように、隆松の「御嶽大明神」も御岳信仰の地だったのだろう。御岳山がくっきり見えたに違いない。
だが、ここの御嶽大神も切井中之坊の御嶽神社と同様に地域の人々とは疎遠となり、忘れ去られたようである。石碑には花などの供え物もなく、参拝に人々が訪れた跡は感じられなかった。それは分からないでもない。厚いヒノキ林で御岳山への拝礼は無理となった。昔、祭礼日には地元の人々が賑やかに登拝したのだろう。
山に分け入り自然の偉大かつ神聖な力を信じようとする人は消えた。その現象は分かるような気がする。人工林の中ばかりで四方の山々は見えない。暗いばかりで光明が得られない。そんな山野にしたのは何か。温暖化なのか木材需給の都合なのか。困ったものだ。なのに私はその暗い山野になぜ足繁く入るのだろう。自問しても明解はつかめないが、やはり面白いのだ、とにかく。どこが?一口では言い尽くせない。
帰路、駐車地に近い町道脇でまばゆい白花に出合った。(写真⑨)赤味は全くない。ウツギだろう。明るい気分を頂いた。完


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