【 個人山行 】 点名 大洞( 927.73m Ⅳ△ )、点名 宇枯( 907.18m Ⅳ△ ) (岐阜県白川町切井) SM
近年、木曽川と飛騨川の間に広がる高原、低山地帯を巡り歩く機会が多くなった。低山帯と言っても、標高700mを越す集落もたくさんある。中世古代から人の住む山里である。そこに今、どんな暮らしや風景があるのだろうか。歩いて周り、集落の上にある山にも登ってみた。岐阜県白川町切井の高原地帯。心に沁みる風景や林野を堪能した。
- 日程:2025年4月12日(土)
- 参加者:SM(単独)
- 行程:自宅(春日井市藤山台)12日5:50⇒中央道小牧東IC⇒恵那IC⇒県道68号(恵那白川線)⇒中野方峠⇒白川町切井中央(道路脇に駐車・標高約560m)
駐車地8:15→栃平川右岸筋林道北上→石木集落最西部→9:20尾根取り付き(720m)→9:45上部林道横断→10:15尾根筋→10:35点名大洞(△Ⅳ)11:00→尾根西進→12:20パール白川別荘跡道路出合→点名宇枯点石探し→3:20中切集落→県道68号→切井本郷→5:20駐車地(写真①=石木の最上部の家々) - 地理院地図 2.5万図:切井

今回は先月訪れた白川町赤河後山(アコウ・ウシロヤマ)地区のすぐ東側に広がる切井地区に入った。飛騨川の支流、赤川の枝川の栃平川。この川筋の両岸に切井の家々が広がる。中心部の切井本郷は標高約500mだが、最北部にある石木集落は約700m。川の右岸上部にある中央地区に駐車して、北に延びる道を進む。すぐ道は狭くなり車は通れぬ歩道となる。川の本流方向を見ると、サクラやヤマザクラの花が斜面に咲きそろい、右下方には稲中の集落、その上の丸い山はこの1月に登った点名中之坊(△Ⅳ969m)の山だ。その左側に低く伸びる稜線が目指す点名大洞の山稜だ。(写真②)やがて、道から離れて田んぼの端のあぜ道を登る。

よく出会う光景だが、田の周りのあぜや空地に緑のプラシートが覆い巡らしてある。自然の緑を求める私にとって目障りな存在だが、雑草防除のためだろう。米の値上がりを防ぐには我慢するほかないか、などと考える。やがて、田のあぜ道から舗装路を上がると、石木集落の最北部に達した。標高710mの地。そこで畑仕事中のSF氏(77)に出合った。石木集落の真上にある点名大洞への行き方をお聞きした。
氏によると、歩道を西に100mほど進むと、北への登り口があるという。その辺りは昔、田んぼがあった所で、今は枯草やぶとなっていた。入口はすぐ分かり薄暗い林内には薄い踏み跡が上がっていた。5分ほど登ると墓石がずらり10本ほど一列に並んでいた。(写真③)中央に建つ石塔には「横家先祖代々霊位供養塔 平成15年」とあった。石木の旧家の墓地だという。手を合わせてから、鬱蒼としたヒノキ人工林内の斜面を登る。踏み跡は消えた。でも、危険個所はなく上部林道に出た。ここからさらに斜面を上がる。踏み跡は見当たらないが、時折明るい日差しが落ちて来るガレ道を気持ちよく登る。(写真④)汗がにじむうちに、幅の広い主尾根上に出た。そこからひと登りで点名大洞の三角点に達した。(写真⑤)三角点の周りは樹木がなくてミヤコザサの草むらの中に4等ながら立派な点石が座っていた。(写真⑥は点石の隣で私)展望は樹林に遮られ眺望は全くない。だが、南の方から「ピーヒャラ どんどん」というかすかな音が遠くから聞こえてきた。朝方、切井の街中で、明日13日に切井本郷にある佐長田神社で杵振り祭が行われるとの張り紙を見た。きっとその練習に違いない。




三角点ピークから広い尾根筋を西に向かう。薄い踏み跡が出たり消えたり。3,40年生のヒノキが密集する。時折、陽の光が差し込み、足元のミヤコザサの薄緑の葉がやさしく希望に満ちた色合いを見せてくれる。(写真⑦)尾根筋は切井と黒川の大字境界でもあり、時折国土地理院の赤い地籍境界杭が目に入り、それを追って歩き進む。

やがてパール白川廃別荘地帯(宇枯高原)最東部の廃道に入る。廃道の南部のピークにあるはずの点名宇枯(△Ⅳ908m)を探し始める。過去2回、この丘に来て、三角点を探したのだが、未発見のまま。ヒノキ林内や小木やぶの中など、30分ほど探し回ったが今回も不発。時間的制約もありまたも不覚をとった。
宇枯の丘から南に延びる尾根筋を足早に下る。尾根越し林道を突っ切り、さらに尾根越しの裏岩山林道を跨いで枯葉で埋まった明るくきれいな斜面(写真⑧)を下ると舗装林道に出た。それを下ると、周りのヒノキ林が消えて、ぱっと輝くサクラの花園の下をくぐった。(写真⑨)後で知ったのだが、この道は切井中央から中切地区を抜けて県道68号にでる道だった。つまり中切地区で、ここには数軒の住家が道脇にあった。実はこの先から東に分岐する道に進めば、切井の中心の切井本郷に行けたのに、不思議にもどんどん西進して、県道68号に出てさらに西進してしまう。誤りに気づき、切井本郷を経て駐車地に戻った。1時間余の無駄歩きだった。


4等三角点名宇枯捜しの三度目の失敗は思うごとに無念を覚える。地理的位置を確定するための三角点は既に存在意義を失っている。人工衛星による衛生測位システム(GNSS)による精密な測位が可能となったためだ。でも登山者にとって、その存在の意味は大きい。私のように目と頭と地図で位置を把握して歩くには、三角点は実に不可欠な情報源である。
だが、三角点の測位での必要性がなくなったせいか、地中に埋まったり、破損したり、姿を消した点石も多い。実はこの朝、駐車地に近い平らな空き地にあるはずの4等三角点・点名稲葉を探した。三角点位置を表示する地理院の白い木柱はあったが、点石は見当たらなかった。地元に人に聞くと、以前の土地改良工事の際に埋まってしまったそうだ。どぶに埋まっていた三角点を見たこともあった。三度目のしくじり。点名宇枯はヒノキ林の土中に埋まってしまったに違いない。
石木のSF氏によると、石木集落はかつて25戸くらいあったが現在は19軒。「昔は炭焼きが盛んで、我が家の炭焼き窯は大洞三角点の50mほど下にあり、小屋もあった。また、付近には小鳥を獲るための鳥屋も各所にあった」と言う。だが、山に広葉樹がなくなり、ヒノキ林ばかりとなったため、炭焼きや鳥屋とは無縁となり、山への出入りはしなくなったそうだ。
一方、この日、歩いた林野で伐採出材作業の跡を見ることはできなかった。山と里人の縁は近年薄くなっているようだ。人々が住み暮らせる山里の有り様が長く続いてほしいと、勝手ながら願わすにはいられない。 完

発信:4/15
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