大垣山岳協会

雪山レッスン-5・2025春の冠山 2025.04.09

冠山

【 個人山行 】 冠山( 1356.6m Ⅲ等△ ) 岐阜県揖斐川町塚奥山 NT

 国道417号冠山トンネルの開通によって冬季の徳山ダム以北の山が近くなった。山岳雑誌に「奥美濃のマッターホルン」と紹介され週末は他県の車で賑わうようだ。今冬から雪山挑戦のWY女史、レッスンは5回目となるが冠山は少し厳しいゾと脅して出発した。

<ルート図>
  • 日程:2025年4月9日(水) 天候 曇り後晴れ
  • 参加者:NT、SE、HT、WY
  • 行程:冠山トンネル岐阜側駐車場6:35-坊主尾根合流8:18-坊主の頭9:55-冠平11:04-冠山山頂11:39-冠平12:03~38-坊主の頭14:01-坊主尾根合流15:01-冠山トンネル岐阜側駐車場16:11
  • 地理院地図2.5万図:冠山

 急なプラ階段から木を掴み尾根へ移った。昨夜の雨で急斜面の土も木の根も滑りやすく慎重に行動した。右の雪斜面にフィックスが残されており下山はそちらが安全と思えた。

 徳山の最奥、県境の山にも春の訪れを告げるブナの「根開き」が始まっていた。

 シタ谷を挟んで冠山の南壁と恐竜の背のような東尾根が見える。クラウンロードが拓かれる以前の積雪期に冠山を登るには塚からヒン谷を渡渉しシタ谷と中ノ又谷を分ける尾根(俗称坊主尾根)へ取り付いた。ヒン谷は雪解けで水量が多く渡渉が厄介だった。

 直近で坊主尾根を訪れたのは2023年3月、未だ冠山トンネルは工事中で坊主尾根を末端から登った。その時は雪が少なく温暖化を嘆いた。今年は4月も既に9日、稀に見る残雪量に喜んでいる。標高930m坊主尾根主尾根に合流した。

 シタ谷と中ノ又谷に挟まれた尾根は鯖江誠照寺の巡錫の僧が「美濃の夏回り」を終えて越前へ帰る「冠ヶ峠」への道であったので俗称「坊主尾根」と呼ばれた。「憂は馬坂、辛いは冠、距の遠いは田代道」と徳山盆唄で唄われ馬坂峠に現在も石碑がひっそりと残る。

 シタ谷から突き上げる冠山東尾根が恐竜の背のようだ。初めて冠山を登ったのは昭和46年と記憶する。シタ谷を遡行し東尾根を登った。当時奥美濃の山は沢登りか藪漕ぎ、積雪期でしか山頂に立つ手段がなかった。蕎麦粒山や屏風山しかり、これが奥美濃の山登りスタイルだった。

 坊主尾根の頭1262m(ジャンクション)は雪原状の高みで東に若丸山と能郷白山がデーンと、北東に乗鞍岳、北に白山が見えていた。御嶽山は能郷白山が隠しているようだった。

 誠照寺の使僧は坊主尾根から冠ヶ峠を越えて越前田代へ下りたが「冠ヶ峠」の位置については書物により異なる。標高1262mの坊主尾根の頭の説、標高1200mの越前大野市と池田町の境界が岐福の県境と交わる高みとの説である。標高1262mの坊主の頭(ジャンクション)は360度の大展望台で白山や田代の谷を眺め汗をぬぐう僧の姿を想像した。

 坊主の頭から西へ向かって冠山を見ながら30m下降する。北のアラクラ(1229m)へ続く尾根に迷い込まぬように注意して更に50mほど下り小さな起伏を越えた。尾根が広くてガスが発生すると要注意個所だが天気は快方に向かっていた。

 シタ谷を見下ろしながら雪原状の広尾根を行く、遠くにピラミダルな山容の山が見えていたが蕎麦粒山と小ソムギ、五蛇池山と判明した。

 標高1200m辺りから坊主の頭を振り返った。『秘境、奥美濃の山旅』の作者、芝村文治氏はこの辺りが「冠ヶ峠」と記している。此の付近より尾根を下り田代集落へ至る道が「冠越え」と言われる古道であった。

 尾根には風雪に叩かれて枝を千手観音のようにくねらせたブナが多かった。幹肌はガサガサに荒れて梢の穂は短く北国の冬を生き抜いた自然の厳しさを教えられたのだった。

 坊主尾根より県境稜線は西へ向かって弧を描く、進むごとに冠山の山容が少しずつ変化して丸みを帯びる。冠平への下降が始まると雪が消えその先に笹薮が立ち塞がった。ここで装着して来たワカンを脱いで藪漕ぎとなった。

 ヤブは最初の10mほどは背丈を越えていたが直ぐに腰当たりまでと低くなって冠平へ出た。北に銀杏峯と部子山、荒島岳がたっぷりと雪を抱いて見えていた。

 冠平から見ると無雪期ルートの下部岩壁が覗いており上部の岩は雪田となっていた。安全を期し下部岩壁の下でアイゼンを装着した。雪田直下は傾斜地で有るので危険と判断した。WYはアイゼンを装着して初めての岩場で有るが前爪が岩を噛む要領の取得経験となった。フィックスが覗いており此れも手助けとなった。

 山頂の展望は最高だった。何より我々の外に誰も居ないのが最高である。気遣い要らず、これが奥美濃の山登りの良い所である。

 山頂からのパノラマである。金草岳から高倉峠へ続く県境稜線の山並み、金草岳前の写真中央を横切る尾根道が冠林道である。金草岳の尾根が南に向かって落ちた末端の谷が道谷、左端、写真が切れているが釈迦嶺の斜面と金草岳の鞍部がウソ峠、その奥が高倉峠で有る。

 塚林道から冠山林道の奥に釈迦嶺、その左奥に笹ヶ峰から続く県境稜線上の1294m峰、1288m峰、美濃俣丸が見える。県境稜線上の1294m峰から東へ延びた尾根に不動山、千回沢山も確認出来た。

 左に不動山、千回沢山と続く写真中央の奥は蕎麦粒山、小ソムギ、五蛇池山と続き最左に上谷山がダム湖の上に確認出来た。

 山頂で展望を満喫すると早々に下山にかかり上部雪田を避け右側のヤブを下った。アイゼンはヤブの中で邪魔だったが急斜面の中で外せなかった。女傑二人は雪面の急下降と岩を下りたかっただろうが安全を優先した。ザイルは持参していたが時間を消費したくなかった。

 天候は見る見る回復し陽射しが降り注ぐ冠平でランチタイムを過ごした。部子山、銀杏峯と共に荒島岳も見えており越前の山並みを眺めてくつろいだ。

 帰りの県境稜線の道中は天候の回復と共に青い空に浮かぶ山々の山座同定に花が咲いた。坊主の頭(ジャンクション)では乗鞍や白山がはっきり見えて時間の経過を忘れた。

 坊主主尾根から支尾根に入ると雪が途切れた尾根にイワウチワが午後の陽射しを受けて咲き誇っていた。その陽射しは尾根の土や木の根を乾かし朝方濡れて滑って危険と感じた尾根は歩きやすくなっていた。雪斜面に残されたフィックスの助けを借りることもなくプラ階段を下って登山を終えた。完

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