大垣山岳協会

新しい岩の楽しみ方・御在所ヴィアフェラータ 2025.03.25

御在所岳

【 個人山行 】 御在所岳ヴィアフェラータ~立岩・砦岩下降 三重県菰野町 NT

 ヴィアフェラータ耳慣れない言葉はイタリア語で「鉄道の道」というようだ。通い慣れた籐内壁であるが50年も昔のことだ。山登りの考え方も登り方にもすっかり置いて行かれ浦島太郎のような心境で藤内壁の花崗岩に触れた報告である。

<ルート図>
  • 日程:2025年3月25日(火) 天候 晴れ
  • 参加者:L.SM、SD、NT、MT
  • 行程:スカイライン冬季ゲート8:30-兎の耳9:30-ヴィアフェラータ取付9:55-中道カモシカ広場11:54~12:20-藤内小屋13:22-スカイライン冬季ゲート14:07
  • 地理院地図2.5万図:御在所山

 ヴィアフェラータへの入り口へは兎の耳対岸のヤブを分け入った。周辺は2008年の豪雨ですっかり変わってしまった。災害前此処はテント場で前夜泊での利用者も多かった。

 ヤブは直ぐに途切れペイントや踏み跡に導かれて急傾斜の大岩の間をすり抜けた。

 何せヴィアフェラータの存在を知らなかったので岩場の名称等は分らない。ホッチキスと呼ばれる岩に埋め込まれた鉄杭を足場とホールドにして登る。岩が濡れており高度感も有るようで下から見てハラハラ、万が一を考えてザイルの使用をお願いした。

 続く岩はフェースにクラックが走っていた。所々に手掛かりの小さい所が有り昔取った杵柄も錆び切っているが持っている技を総動員して挑んだ。

 ジェードル状の岩、先行するSDと続くSM女史、前を行く若者のように華麗に格好良く早く登りたいが現実は厳しい。息を切らしながらフウフウ行って跡を追った。

 1ツ越えると次々に現れる岩に心地よい緊張感と久方ぶりの高度感に酔う。

(写真 SD 提供)

 70過ぎて山へ復帰すると人工壁に通い腕を磨いている同期入会のMT、口惜しいが同年齢と思えぬほど身軽に攀じて行く「若い頃より上手い」と精一杯の負け惜しみを送る。

 最初の岩場ワンピッチは濡れていたが後の壁は全て乾いていた。ホッチキスと呼ばれる足場にも段々慣れ大胆に登れるようになった。

 華麗なバランスで越えていくSM女史、我々の時代にも女性クライマーはいたがセカンドクライマーがほとんど、何処の会にもマドンナはいたが現在の女性は強くなった。

 あれやこれや昔取った杵柄を思い出し遅くとも確実に登った。グレードは3級程度だろう。この程度にザイルで引き上げてもらうようならヴィアフェラータに来てはならない。

 この日は3月とは思えぬほど暖かいクライミング日和で有った。裏道の有る北谷が真下に見えていた。

 花崗岩の風化が激しくなって終了点が近くなった予感がした。この後、終了点横を通過中に足を乗せた岩が簡単に半分に割れ落石を起こした。下に他パーティーがおらず助かった。風化が進んだ花崗岩は脆く危ない。ルートを外れたら浮石の確認を怠ってはならない。

(写真 SM 提供)

 ヴィアフェラータ出口に有った2本の天然ヒノキ、若い頃、籐内壁にはあれほど通いながらこれほど大きい物は初めて見た。

 中道の休憩場所「カモシカ広場」に出てランチタイムを過ごした。

 御在所には登山道が幾つか有るが裏道しか知らず山頂へは市民登山で1回きりだ。カモシカ広場から初めて中道を歩いたがこのような岩があるとは知らなかった。

 中道登山道から外れ北谷へ向かって立岩と呼ばれる岩場へ踏み跡を追った。

 立岩、確かに大きな岩が尖塔のように立っていた。よく見ると50年前の我々の時代に使われた「リング付き埋め込みボルト」が連打されていた。ジャンピングという手法での穴明の練習で打たれたと思われる。

(写真 SD 提供)

 立岩の有る高台から北谷と藤内小屋の赤い屋根を真下に見た。これからあそこへ下る。花崗岩の風化したザラ場は滑りやすく羽が欲しくなるほど急下降だ。

 立岩から急下降すると岩場に出た。砦岩と言うようだが1階から3階まで3ヶ所有るようだが詳細は分らない。ピンが打たれておりゲレンデ化されているようだが一の壁よりは難易度は高いと思われた。これを過ぎると藤内小屋は直ぐだった。

 ヒマラヤやヨーロッパの岩が登り尽くされ山登りを生業とする方達は百名山ブームに火を点けたり仕事の確保に苦労が多いようだ。ヴィアフェラータもそのような中で開拓されたのかもしれない。山は誰の物でもないが楽しみ方は随分変わった。だが開拓者の営業妨害にならない気遣いは必要だろう。岩場の事故は一瞬である、技術の錬磨不足者の立ち入り厳禁は当然だが指導者は安全の確保には万全を図らねばならない。完

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