大垣山岳協会

2G+1Bの里山山行記・烏帽子岳~狗留孫岳周回 2025.01.07

烏帽子岳

【 個人山行 】
烏帽子岳( 864.77m Ⅲ等△ )、狗留孫岳( 772m △なし ) 大垣市上石津町細野 NT

 昨夜まで雨が止むかと心配したが予報は的中し夜明け時には晴れ間が覗いていた。新年早々、ヨタヨタ2Gと1美女の里山周回報告にお付き合い願いたい。

<ルート図>
  • 日程:2025年1月7日(火) 天候 曇り時々晴れ
  • 参加者:L.NT、OS、MT
  • 行程:細野登山口8:10-烏帽子岳山頂10:06-狗留孫岳10:56~11:25-清水神社分岐11:41-堰堤道路着12:33-細野登山口着13:00
  • 地理院地図2.5万図:篠立

 集落裏の階段は神社への登路だろう。それを使って田んぼの道から獣害柵を潜った。

 7合目まで雪は無かった。8合目から雪が出たので敢えてトラバースルートを選んだ。昨日までの雨のせいか湿気を含んだ春の残雪のようでキックステップがよく効いた。

 快晴の烏帽子岳山頂を期待して来たのだが雲が多く北の展望はダメだった。南にこれから向かう狗留孫岳の反射板は見えていた。昨日は山頂でも雨だったのか雪は少なかった。

 登山口から20分ほどで休憩中の男女を追い越した。しかし歩幅もスピードも全く違う彼等は休憩を終えると直ぐに抜き返して行った。だが彼等は休憩が多く、その横を汗を滴らせて再度抜き返した。兎と亀のような競争を繰り返したが山頂へ到達したのは愛知県刈谷市から来たという2Y+1B(2ヤング+美女)が先だった。童話通りにはいかないものだ。

 今日は狗留孫岳へ周回し岐阜・三重県境尾根を下って細野登山口まで帰る予定である。登山道のない県境尾根が下山に使えるか、ヤブの状況など地形図学習と合わせた目的である。

 烏帽子岳から狗留孫岳へ向かう稜線の雪は少なかったがアセビなどの常緑低木帯が吹き溜まりとなっていた。だが雪が切れて地肌が出ている所も多くワカンは使用しなかった。

 稜線には4~5人ほどのトレースが残されていた。足跡の向きから、おそらく狗留孫岳から烏帽子岳を往復したと思われた。アセビの低木帯の吹き溜まりでは苦労の跡が伺えた。

 振り返ると烏帽子岳が遠くなっていた。此の付近は夏に歩くとシカの食んだ跡や糞を見ることが多いのであるが足跡が見当たらない。餌を求めて里に下りたのだろうか。

 先日訪れた比良の蛇谷ヶ峰や今日烏帽子山頂で一緒になった若者は「ヒップソリ」を持参していたが滑る斜面にことかいていたようだ。此処なら多少遊べただろう。

 トップを歩くMさんは脇目も振らずに狗留孫岳を目指して突っ走る。いい景色を見逃してしまいそうだ、山登りは「間」も大事である。もう少し山を楽しもうよ「ストップ」を掛けて烏帽子岳を振り返った。

 狗留孫岳から烏帽子岳への稜線は中部電力の巡視路らしく雪が途切れた尾根にプラ階段が時々覗いていた。

 狗留孫岳772mに着いた。西に三国岳が双耳峰で見えていた。昼食休憩は此処と決めていたが風が冷たくてアセビの木を風除けにして休んだ。時折太陽が覗くと暖かかったが長続きせず雲に邪魔をされたランチタイムで有った。

 寒くて長居をしておられず先ず長楽寺コース分岐、そして次に清水神社・旧立田小コース分岐を目指した。僅かな距離であったが雪は直ぐに無くなった。

 清水神社・旧立田小コースの分岐でコンパスを県境尾根に合わせた。分岐の標識には県境尾根方向に「登山道なし」と書かれていた。尾根は照葉樹が邪魔をして少々歩き辛い程度である。目印が残されており物好きはやはりいるものだと思った。

 県境尾根は円弧を描くように急斜面となって約300m下降しておりルート取りが難しいと思われた。しかし、岐阜県側は針葉樹、三重県側は雑木林となっており切り開きが明瞭で目印も多くそれを追った。滑りやすい急斜面をドンドン下って行く。

 帰宅後の調べで300mの急斜面下降で県境を大きく外していたことをGPSで知った。境界の図根多角点は途切れたが切り開きと目印が続いておりそれを追った。急下降が終わると円弧を描いていた県境は尾根筋が明瞭になった所で再び合流した。破線の道が三重側から尾根を跨いで岐阜側の谷へ下りている辺りである。帰宅後にGPSを確認するまでルートを外したと気付いていなかった。この下降は難しいと思っていたが案の定で再合流は偶然に助けられていた。山登りは奥が深い、100点満点の登山を続けることは難しい。

 当初計画では県境を忠実に出来る限り細野集落に近い所まで歩く予定でいた。下写真の付近までは県境を歩いていたが目印を追っているうちに岐阜側の支尾根に入っていたようだ。尾根が広く谷底が近くなると境界に打たれていた図根多角点を再び見失っていた。

 谷底が近くなり尾根が90度に屈曲する辺りで県境を外したようで10mほど下ると林床に丸い石がゴロゴロして嘗ては河原と思われる広い人工林となった。杉林の中に常緑低木が多くなり足元のゴロ石と相俟って歩き辛く藪を避けて歩きやすい所を求めていたら突然林道に出た。道から谷を見上げると堰堤が連続している。どうやら堰堤建設に使われた道のようだ。県境は右の高み、この谷は岐阜県だから細野集落迄続いている道と確信した。

 道に出遭うと再びヤブの県境尾根へ帰る気持ちはサラサラ起きなかった。地形図に記載のない作業道と思われる道は思惑通り細野集落から延びて来た農道へ合流した。谷沿いの奥地で人力で造成された石垣の田畑を見て先人の苦労と根気に感嘆し偲んだ。その田畑が放棄されてヤブ山に帰って行く現実も長い林道歩きで目の当たりに見て寂しさを覚えるのだった。やがて道は谷から離れ坂道を上がると細野集落の登山口であった。

 我々が県境尾根から下りて歩いた谷、つまり烏帽子岳と狗留孫岳に源を発する谷であるが下山後にM君に調べをお願いして「熊坂谷」と知った。烏帽子岳は別名を「熊坂山」とも言われていた。

 旧時村周辺集落の伝承によれば、その昔「熊坂長範郎党」が烏帽子岳の岩窟を棲み処にし、下りてきては旅人を襲い金品を強奪していたそうな。いつも定刻の時間に下りて来て襲来したので、その麓を「時村」と言ったそうである。完

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