大垣山岳協会

山考雑記 林道 網の目 大黒山は嘆く 2024.12.22

大黒山

(南から見た大黒山、稜線上の小さな白四角が山頂反射板)

【 個人山行 】 大黒山( 524m Ⅲ△ ) SM

 武儀川とその支流の神埼川の間の尾根筋にある大黒山(だいこくやま524m△Ⅲ)に登って来た。往路は至って順調だったが、下山では思わぬ沢筋に降りてしまい、長い沢筋の林道と県道を歩くことになった。この山域にはやたら林道、作業道が縦横に走っている。つい、その林道に誘われて進んでしまう。林道を進めば大丈夫だという理由なき判断の報い。でも、その長い山間地歩きは楽しい時間でもあった。

  • 日程:2024年12月22日(日)
  • 参加者:SM(単独)
  • 行程:自宅(春日井市)4:50⇒国道41号⇒東海環状道美濃加茂IC⇒国道418号⇒谷合公民館裏駐車地
    駐車地(岐阜県山県市谷合)出発7:10→林道横断→8:00妙見大菩薩の小祠→林道→8:45点名小瀬屋洞(△Ⅳ311m)→林道離脱→9:55主稜線出合→10:15大黒山山頂(反射板の下)10:45→11:00林道出合→11:10支尾根降下→引き返し→12:50林道(作業道吹瀬線)降下→1:20林道日原山戸線→1:55県道200号出合→3:25駐車地
  • 地理院地図 2.5万図:谷合

 旧美山町の中心、谷合地区の奥山である大黒山は私の未踏の山である。そのさらに奥にある天狗城(テンガジョウ684m)には99年1月に登っているが今回、大黒山から天狗城まで一度に登ろうと計画した。まだ薄暗い谷合中心部の日蓮宗・本法寺横に立つ「大黒山登り口」の案内看板から林内の踏み跡を歩き出す。すぐに背丈を越す猛烈なササ原。チラつく小雪でぬれたササの間の踏み跡を進む。すぐに尾根に取り付くとササは消えて小灌木の間を登る。

 古い消えかけた「大黒山へ」の看板が二つばかりあったが、踏み跡はほとんどない。間もなく荒堀林道が現れた。林道を乗り越えて、やぶの尾根筋を進むと石の台座に立つ小祠を見つけた。(写真①)側の石碑に「妙見大菩薩」の文字が読み取れた。今は道もない地だが、谷合の本法寺関係の信者が建てたものだろう。手を合わせてから、尾根筋を進むと先ほど越した林道に降りた。

写真① 石碑には「妙見大菩薩」とある

 荒堀り林道は草原で覆われ車の通った跡はない廃道。尾根上を通るが左右の樹林で見通しは効かない。樹林の壁が途切れた所があり、遠く北西に尖った山頂が見えた。大黒山に登った後に登りたい天狗城(684m)の姿だった。(写真②=左奥の山)

写真② 天狗城(684m)(左奥)

 やがて林道は途切れた。西側のヒノキ林の急登しばらく。家2軒ほどの平らな草地の端に点名 小瀬屋洞の標石を見つけた。(写真③)ここから北に尾根筋を下るとすぐに、左側から合流する林道に出た。視界が開けて北側正面に大黒山山頂にある中電反射板が小さな白いタイルのように見えた。(写真④)この林道は広くて車の轍もあった。作業用に使ったと思われるチェーンソーオイルの空の一斗カンが路傍に廃棄してあった。最近あちこちの山道で見かける光景だ。

写真③ 点名 小瀬屋洞
写真④ 南から見た大黒山、稜線上の小さな白四角が山頂反射板

 北上する林道はやがて、尾根を跨いで二つに分かれた。尾根に登る登山道を探す。わずかな踏み跡を登り尾根筋に上がる。踏み跡はないが、尾根筋に邪魔な木枝を刈り払いした跡が続いていた。地元の団体が登山路の整備をしたと推測する。西へ延びる主稜線に出た所に木彫りのフクロウが立っていた。(写真⑤)。「大黒山展望台」とあった。展望台と言うほどの眺望はない。南側下方にゴルフ場らしい白い平原が見えただけだ。

写真⑤ 大黒山展望台

 主稜を西へ西へと向かう。スギ、ヒノキの林立する尾根筋。時折雪交じりの冷たい風が北から吹き荒れる。気温は0℃位か。ただ、体調は良好で昇り降りの運動で体は汗をかくほど。細長い丘陵の端に大きな反射板がそびえ、その西側下の平坦地に大黒山の三角点が立っていた(写真⑥)。眺望は全く効かない。早目の昼食を取り、主稜を南西に下る。すぐにまた、林道に出る。(写真⑦)そしてすぐ先の尾根分岐で小さな尾根を下ってしまう。方向も確かめずに、前方に見えた送電鉄塔につられたらしい。ミスに気づき引き返して主稜線林道に戻る。1時間程の時間ロス。ここで、天狗城登頂はあきらめて、南斜面を下る馬場洞(下流は浦部谷)経由で谷合中心部に下山することに決めた。

写真⑥ 大黒山 三等三角点
写真⑦

 主稜線林道に戻って間もなく南西に馬場洞方向に下りるまだ新しい林道を降り始めた。(写真中=左奥の高峰は天狗城)すぐの路傍に林道の説明板があった。「作業道吹瀬1号線 平成23年」とあった。13年前に開通したのだ。この道を駆け足で降りる。この林道に入って300mほど進むと、道は右に鋭く曲がっている。林道は先のほうで馬場洞方面に南下していると信じて、そのまま降りた。この判断がミスの発端だった。林道の右折地点で右折せずに、道のない小尾根を南に直進すればよかったのだ。

 林道を北にどんどん進み、大きな沢に出た。沢はやがて東に向きを変えた。ここで、沢は北側を東進する釜ケ谷だろうと気づいた。古いが舗装してある現役の林道を足早に進む。スギの人工林の中、広葉樹の光景の美景も少ないがきらめく。沢幅は広くゆるやか。水音がさわさわと聞こえて来る。

 やがて大きな川を渡る。橋には「日原山戸橋」とあった。川は神崎川だった。また、橋のたもとに「林道日原線」の標識があったが、山県市の林道関係の文書には「林道日原山戸線」が出てくる。(写真⑧)正式名称は橋の名と同じである。「山戸」は釜ケ谷の源流を越えた武儀川沿いの地域の名称だ。林道は山戸まで通じていたと思われる。

写真⑧ 橋のたもとに「林道日原線」の標識

 道間違いは吹瀬作業道の曲がり角で方位確認をしなかったこと。方位は違うが林道はやがて南に曲がるだろうと勝手な判断をしてしまった。その後も方位確認を怠ったまま、東へ東へと水の流れるままに歩き、やがて釜ケ谷沿い林道だと認識したが、前進した。

 神崎から南下する県道200号は何度も車で行き来した道だ。潮見、谷合西野集落の古い民家の間を通る。誰か住人に話を伺いたかったのだが、誰にも会えなかった。県道に出てから1時間半。神崎川沿道のゆったりした光景。歩いてみると豊かな自然の貴さをじっくり味わうことができた。

 大黒山登山のブログを見ると、「林道だらけで、眺望はないし、山県市の名山に加えるの疑問」との記載があった。大黒山は山県市の6名山の一つとされている。私も林道だらけには閉口した。道間違いをそのせいにする気はないが、古くからの名山の名をけがしていると思う。今回私の歩いた行程(県道は除く)の7割は林道だった。山行での林道遭遇は珍しくないが。これほど濃密な例は初めて。それが地図上に記載されていれば、避けることもできようが、2.5万図には日原山戸線の一部以外は無記載だった。

 林道沿線には出材や間伐、植林の跡が各所で見られた。山県市は県内でも有数の木材生産地だろう。その結果がこれらの林道だと思う。事前に林道密集を知っていれば、登らない選択もあろう。道中、一人の登山者にも出合わなかった。日曜日にも関わらず。ただ、林道密集でも、実際に見てみる価値はあろう。そこに別の発見や教えを得ることができるかもしれない。完

<ルート図> ≪注 地図中の灰色線は林道・作業道区間を示す≫

発信:12/27

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