【 個人山行 】 タカネ( 1051m △なし 箭筈岳 ) SM
板取川の支流、観音洞の右岸尾根をひたすら歩き、最奥最高のタカネ(1051m)に登って来た。白谷観音の裏斜面から標高差800余m。かつて農林業のなりわいの場であった尾根道。今ではたまに我ら薮やま派が訪れるだけとなり、道跡はすっかり消えた。だが、麗しい風景は残った。人工林内から抜け出した最上部、緑のミヤコザサの黄緑の絨毯。さらに変化に富む岩稜帯歩き。原生の風景が戻りつつあるように感じた。
- 日程:2024年11月23日(土)
- 参加者:SM、会員外(NH氏)
- 行程:自宅5:10⇒尾張パークウェイ⇒国道41号⇒東海環状道・美濃加茂IC⇒東海北陸自動車道・美濃IC⇒岐阜県道81号(美濃洞戸線)⇒国道256号⇒板取白谷園教寺(白谷観音)路側に駐車(NH氏と合流)
▽駐車地(標高240m 岐阜県関市板取白谷)7:30→7:40秋葉神社祠→9:10点名白谷(△Ⅳ673m)→10:20標高点927m→10:10岩稜帯入口→10:45岩稜帯終了→11:00タカネ(1051m箭筈岳)11:40→12:25標高点927m→13:15点名白谷→14:30駐車地(TOP写真:タカネ山頂で) - 地理院地図 2.5万図:洞戸
タカネには過去2回登っている。同じコースでは21年4月に、タカネからさらに右岸尾根を降りてぐるりと周回した。今回は板取在のNH氏に誘われて白谷観音に駆け付けた。待っていた氏と共に、観音堂(写真①)の裏から薄暗いスギ林の急斜面を上がる踏み跡を登り始める。間もなく、現れた秋葉神社の傾いた小さな祠に手を合わせた後、荒れ果て、枯葉の堆積で埋まった道を登る。ほぼ一直線の尾根筋だが、道は消えかけていて、尾根筋を外さずに左右に振りながら登る。少ないが古い赤布があった。私の前回登山で付けたものも混じっているようだ。
主尾根だが、途中数か所で小さな支尾根を集めている。下山時にミスしないように、尾根分岐点の直前に赤布を丁寧に付けて登る。標高670mを過ぎたが、三角点名白谷を見つけていないことに気づいた。帰路に見つけようとそのまま登る。
右側尾根筋はヒノキの分厚い人工林。背は高いが、3,40年生のヒョロヒョロ密集林。一方左側(西側)は天然林。
暖冬のせいか、まだ緑の葉枝が広がる。標高700m辺りで黄緑の葉が麗しいミヤコザサが現れた。背はくるぶしの高さほど。柔らかな緑の絨毯。思わず足が軽くなる。(写真②)人工林は消えて、ネズコやツガの大木が現れる。
標高約900mで岩稜帯に入る。尾根筋に巨岩が連なり、その間や両脇斜面を伝って進む。勿論道などない。ただ、高い岩壁はない。丁寧にコースを選び乗り越える。距離約400mの岩稜帯を約40分で越えた。(写真③入口の岩・写真④中間部で)
再び、ミヤコザサに覆われたなだらかな夢の様な尾根筋が現れた。(写真⑤)岩の代わりにリョウブやコナラなどの落葉広葉樹の冬姿。わずかだがカエデ類の紅葉した葉が温かみを添えてくれる。気温は5℃ほど。白い雲の下、少し汗をかきながら、見覚えのある山名板のあるタカネ山頂に達した。(写真⑥)
山頂には三角点はない。小さな山名板があるだけ。三年前にここから南下した長い尾根筋の入口を確認してから、山頂ササ原に腰を下ろして昼食。
下山は往路を引き返す。前回のように、観音洞の左岸尾根を周回したかったが、時間的に苦しいと判断した。タカネ山頂を後にして岩稜帯を過ぎると、尾根筋の各所で遅めの紅葉。特にシロモジ(クスノキ科)の黄色い葉が気持ちを明るくしてくれた。(写真⑦)。
往路で見逃した点名白谷を確認できた。尾根筋がやや曲がった角に白い点石が立っていた。(写真⑧)
前回21年の山行記でも触れたが、タカネは濃陽志略(1830年ころ編纂)に「箭筈嶽(やはずたけ)と呼ばれ、高賀山と並ぶ秀抜弧峰だった」とある。遠方から眺めると弓矢を弦に架ける部分「箭(矢)筈」に似ているので付いた名という。白山信仰の祖、泰澄大師が訪れたと伝わる白谷観音堂。私たちが登ったコースは地元の白山信仰信者たちも昔、登ったのではないかと想像する。さらに、地元民は農業用の枝葉資材や林業のためにも、足繁く入山したと推定する。が、近年その必要性が消えて、入山者は激減したのではないか。
そのため、山道や踏み跡は消えて、道なき薮やま化が進んでいるようだ。などと、思案する。一方で、そこには現代の登山者にとって山岳自然の魅力が復活している。というか、復活を確認できた山行だったと思う。完
発信:11/27
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