月報「わっぱ」 2024年11月(No.516)
深田久彌 山の文学全集 (7)
著者 深田久彌 発行所 朝日新聞社
HY
世界の8000峰14座の山名、標高、初登頂年、初登頂国を深田の書を基に羅列してみた。
- *エベレスト(8848m)、1953年、イギリス
- K2(ケートゥー)(8611m)、1954年、イタリア
- *カンチェンジュンガ(8598m)、1955年、イギリス
- *ローツェ(8511m)、1956年、スイス
- *マカルー(8481m)、1955年、フランス
- *ダウラギリⅠ(8167m)、1960年、国際隊
- *マナスル(8156m)、1956年、日本
- *チョ・オユー(8153m)、1954年、オーストリア
- ナンガ・パルバット(8125m)、1953年、ドイツ・オーストリア
- *アンナプルナⅠ(8091m)、1950年、フランス
- ヒドゥン・ピーク(8068m)、1958年、アメリカ
- ブロード・ピーク(8047m)、1957年、オーストリア
- ガッシャブルムⅡ(8035m)、1956年、オーストリア
- *ゴザインタン(8013m)、1964年、中国
(*を附した9座はネパールヒマラヤにあり、残りの5座はカラコルムにある。)
初めての8000m峰登頂は1950年のアンナプルナⅠで、この山は事前の偵察行もなく、唯1度の挑戦で成功している。最後の8000m峰は1964年のゴザインタンで、これで初登頂を競ったヒマラヤ黄金時代は終わる。
初登頂までに一番手間取ったのはエベレストで、11回目の挑戦で頂上に達している。次がダウラギリⅠの8回目、そしてナンガ・パルバットの7回目である。この山は「魔の山」と呼ばれ、それ以前の6回の挑戦で31名が亡くなっている。7回目の成功はヘルマン・ブールの単独2日間40時間に及ぶ超人的な活躍によるものであった。
逆に1度の挑戦で成功したのは前述のアンナプルナⅠのほか試登を除けば5座ある。日本が初登頂したマナスルは3度目で成功したが、2次隊は地元民の反対で登山活動が出来なかったので実質2度目ということで、比較的容易に成功した例と言えるだろう。
続 私の書棚・山書紹介⑦
深田久彌 山の文学全集 (7) 著者 深田久彌 発行所 朝日新聞社
ご覧のページです。
コメント