【 個人山行 】 奥丸山( 1439,6m Ⅲ等△ )高山市奥飛騨温泉郷神坂 NT
「北アで10㎝の積雪」のニュースに心が躍った。例年より1ヶ月遅れの積雪だそうだ。今年秋は久方ぶりに涸沢を訪れたが人混みにウンザリ、岳が静かに落ち着くのを待っていた。飛騨アルプス初冬の景色と静寂を求め穂高の裏庭を周回した報告である。
- 日程:2024年11月7~8日(木~金)
- 参加者:NT (単独)
- 行程:後述
- 地理院地図2.5万図:穂高岳、笠ヶ岳
11月7日(木) 天候 小雪
- 行程:新穂高駐車場8:50-白出出合10:51-槍平14:08
広い駐車場に自車の外は2台、雪が小降りになるのを待ち9時前に出発した。指導センターで今日は貴方だけですと言われた。長い右股林道だが雪で衣服を濡らすのが嫌で穂高牧場へはショートカットせず忠実に林道を歩いた。白出出合を渡り終えると「滝谷出合の橋撤去」の注意看板が有った。積雪での損傷を防ぐとのことだが此処まで来て今更の思いが、
山小屋が営業を終えると橋を撤去するのは黒部川源流域の周回で学習済みであったので驚きはない。それよりも今回は雪が想定されアイゼンが必携なので冬靴で挑んだ(現代のアイゼンは夏靴に対応不可)雪で濡れた不揃いの岩が冬靴では足首が窮屈で歩き辛かった。
チビ谷出合には今年2月に蒲田富士で雪庇を踏み抜き転落不明の「岐阜県岳連傘下2名」の情報提供お願いのファイルが有った。今更ながら安全登山と自己責任を強く心に言い聞かせた。滝谷は写真のように流れは強いが足場石も多く労せず渡れた。何より石が凍っておらず助かった。振り返ると若い頃に利用したブロック造りの避難小屋がまだ健在で有った。
南沢を渡れば直ぐに槍平とのイメージが有ったのだが、そこからが遠く感じた。何より小屋が近くなって木段や木道となったが薄く積もった雪が凍結して油断が出来なかった。
槍平では冬季小屋が解放されていた。冬季小屋は何処も2階が出入り口、梯子を登って中を覗いたが暗くて使用する気になれなかった。キャンプ場の周辺はガスで包まれ槍穂の稜線や滝谷の岩場は見えなかったがテント泊にした。穂高の裏庭に一人っきり、就寝前には念のため熊追いの爆竹を鳴らしてシュラフに潜った。
11月8日(金) 天候 快晴
- 行程:槍平7:33-中崎尾根乗越9:28-奥丸山山頂9:50~10:25-中崎山・左俣分岐11:10- 左俣双六鏡平・奥丸山分岐13:19-新穂高15:04
夜半に起きると星が出ており本日の晴天を確信した。しかし寒い朝で取り置きの水は凍り、テントのフライはバリバリ、撤収を終えるとテント袋に入れるのに難渋した。厚い冬手袋とオーバーズボンにダウンを着込み完全冬装束で出発した。右股本谷の渡渉では濡れ石は凍っており乾いた石と流れの中の石を選び足場にして通過した。
奥丸山は2度目だ、小学生だった息子達と槍ヶ岳に登る際に槍平キャンプ場1日目に時間を持て余し足慣らしに登った。この祠が当時有ったのか全く記憶がない。6年と4年生だった子供達は槍も奥丸も難無く登った。おそらく今の私よりはるかに強かった、その息子達も44歳と42歳になった老いを感じるはずだ。
高度を稼ぎ陽射しが届くようになると早々にダウンを脱ぎ手袋も薄手に変えた。大喰岳西尾根に邪魔されていた槍の穂先が徐々に顔を出す頃には大喰岳、中岳と順に陽が届きだした。それにしてももう少し多い雪景色を期待していたのだが近年の雪不足は深刻だ。
主尾根に乗ると中崎尾根がカーブしながら西鎌尾根へ突き上げているのが確認出来た。この長い中崎尾根は冬季に雪崩を避け槍ヶ岳へ至る最も安全なルートである。西鎌尾根との合流点が千丈沢乗越で槍の穂先から美しく弧を描いて硫黄乗越、樅沢岳へと続いている。
主尾根に着いてから山頂までは楽なイメージであったが宿泊装備で膨れたザックが重く遅々として遠く辛かった。だが奥丸山360°大パノラマはそれを忘れさせる特効薬だった。正面に笠ヶ岳と抜戸岳の大きな山塊、そして秩父沢の大きなガラ場が見えている。
右に目を転じると槍穂高の展望台地の鏡平、その上は弓折岳、背後の山は双六岳と三俣蓮華が重なって見えている。大ノマ乗越背後の三角錐は黒部五郎岳だろう。
山頂の三角点標石柱「点名・犬公望Ⅲ等△」旧吉城郡上宝村神坂では奥丸山を「犬クボ」と呼んでいたようだ。尾根は此処まで陽当たりがよく雪はすでに消えていた。反対に槍の飛騨沢は陽当たりが悪いのか白さが際立っていた。全山この景色を期待していたのだが。
南岳キレットから北穂高、涸沢岳、奥穂高、ジャンダルムへと続く槍穂の主稜線である。南沢がS字を描いて落ちる隣の尾根が登山道の整備された南岳西尾根、その右に急峻で滝谷出合藤木レリーフへ落ちるのが南西尾根で冬季槍ヶ岳への最短ルートである。
北穂高から西穂高の主稜線である。北面のため逆光となって滝谷のルートが鮮明に見えず残念である。敢えて槍平出発を遅くしたのだが今の季節だとこんなもんか。肉眼ではドームも四尾根のカンテも見えているのだが・・涸沢岳の左鞍部から白筋で滝谷へ落ちているのがD沢で滝谷の初登攀ルート、井上靖の小説『氷壁』の主人公魚津恭太は此処で遭難死した。
西穂高から南へ焼岳の稜線と乗鞍岳である。西穂に突き上げる白い谷は白出沢と隣り合った西穂沢である。
奥丸山から中崎山へ向かって大展望を満喫しつつ尾根を南下した。太陽が上がる毎に滝谷の岩場が鮮明に見えてドームもレンズを透しても判るようになった。涸沢岳は翼を広げる様に滝谷出合へ北西尾根を落とし、白出谷出合へは西尾根を落とす。その両尾根に挟まれているのがチビ谷とブドウ谷で最高所が蒲田富士だ。穂高牧場から見るピラミダルな山容が此処からは水平な尾根にしか見えないが両側が切れ落ちチビ谷側へ雪庇を発達させ事故が多い。
中崎山と左俣への分岐に着いた。このまま中崎山へ乾いた尾根を下りたいが道は笹に埋もれていた。左俣への下降は大展望との別れを意味し、又この道は北面のため雪が残り地形図を見れば急下降の連続でスリップに注意が必要だ。
急下降では大木の根が複雑に階段状になっている所が多く、薄く積もった雪が載って一段一段慎重にスリップに注意して下った。面倒で時間を食ったがロープも設置されていた。分岐から半分ほど下った所に来年の作業に供えて大木の傍に草刈り機がデポされていた。彼等の整備のお陰で安全に下れる、事故を起こしては申し訳なく一層気を引き締めた。
斜面には大きな倒木が何ヶ所か有って越すのも潜るのも難儀であった。斜面の道を埋めた落ち葉は雪が消えても良く滑り木の根を隠し厄介だった。
左俣に架かる橋を渡り振り返った。ここは鏡平、双六岳と奥丸山分岐でやっと左俣林道に降り立った。
左俣林道のワサビ平はブナやミズナラ、カツラ、トチ、サワクルミ等の只中を歩くので林が近く感じる。だが、その分動物との距離も短く熊追い鈴をストックにつけ勢いよく鳴らし歩いた。
ブナの幹にビッシリのキノコ、今回の山行で多く見たがヒラタケと思われる。下山後の林道歩きが長いので採取は行わなかったがもったいないことをした。
左俣林道を延々2時間15分歩いて新穂高に着いた。右岸旧上宝村村営の「笠(りゅう)山荘」の建物は撤去され重機で地ならしが行われていた。新人時代の冬合宿で大飯を食らって仲居さんにビックリされるなどした想い出多い山荘で有ったので残念だ。完
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