【 一般山行 】 恵那山 ( 2090,28m Ⅰ等△ ) 岐阜県中津川市中津川恵那山 NT
昨夜までの大雨と今朝方の冷え込みが天竜の各支流に濃い霧を発生させた。もしやの期待通り白いガスを抜けると碧空が広がり伊那谷を埋めた雲の絨毯の先には中央アルプスと南アルプスの峰々が屹立していた。
- 日程:2024年11月3日(日) 天候 晴れ
- 参加者:L.NT、IK、KM、、KT、GY、TM、MY、MM
- 行程:駐車地7:07-広河原登山口7:39-恵那山頂10:48~12:00-駐車地15:39
- 地理院地図2.5万図:中津川・伊那駒場
恵那山は御嶽山、伊吹山と共に濃尾平野の何処からでも眺められ美濃の人々に親しまれている山だ。明治の文豪島崎藤村の『夜明け前』にも木曽路の生活描写で度々登場するが現代の百名山人気も凄い、午前7時というのに広河原林道2ヶ所の駐車場は満車状態である。
本谷川沿いのこの道は古代には都から美濃、信濃を経て坂東、陸奥、出羽への官道東山道であった。現代でこそ舗装され歩きやすいが東山道最大の難所がこの先の神坂峠であった。
昨夜までの大雨は全国的に被害をもたらしたようだが本谷川沿いの林道には谷水が斜面の落ち葉を集めて放置していた。恵那山取付きへ架かる本谷川の橋は急流に何とか持ちこたえていたが水は足場板を10㎝ほど越えており油断ならず慎重に渡った。
川を渡ると地形図で尾根は250mの急傾斜となるが緩い九十九折となっており高齢者に優しい道で助かった。道脇のシナノザサは広く刈り込まれており歩きやすい。
傾斜が落ちて天然ヒノキに囲まれた台地に着いて休憩。気温が上昇しているようで汗がダラダラ、ガスに覆われ辺りは見えないが高度計と周囲の地形から現在地を推定する。
シナノザサに覆われた木の根っ子にキノコを見つけた。毒キノコのイメージはしないがナメコではない。クリタケ?ニガリクリタケ(猛毒)?怪しいものには手を出さない。
樹林から抜けるとガスが切れ碧空が覗いた。尾根はダケカンバと落葉松とモミの林となって天空に続き素晴らしい景色である。逸る気持ちを押さえゆっくりと言い聞かせた。
今年の夏は異常に長引いた猛暑の影響か何処も紅葉が今一である。この尾根のナナカマドはすっかり落葉していたが僅かな赤い実が碧空を飾っていた。
振り返ると天竜で湧いた雲が伊那盆地を埋めていた。「ワー、綺麗」ふわふわの雲の絨毯に感激の声を挙げる仲間達、此処から撮影タイムのチョコ停が多くなった。
雲海の先の左の峰々は木曽駒から空木岳の中央アルプス、離れて甲斐駒ヶ岳と仙丈ヶ岳が吊り尾根で結ばれ、その最低鞍部は北沢峠だ。さらに南へ北岳、間ノ岳、塩見岳と南アルプスの名峰が続いていた。
やがて周りはオオシラビソの樹林となって足元は雨水で用土が流出し大石や浮石の多い道となった。歩き辛い道も2071mの県境稜線へ達すると傾斜が落ちて幾らか楽になった。
県境稜線は所々ぬかるみが有りヤブの際を歩かされた。恵那山山頂は北峰と南峰から成る双耳峰で最高点は北峰で2191m、南峰の2190,3mに「Ⅰ等三角点石柱、恵那山」が埋設され恵那山山名柱も此処に有る。18㎝標石柱の角が無残にも欠かされ哀れで有った。
三角点の傍に展望台櫓が設置されているが周りのオオシラビソが大きくなって眺望は得られない。展望台が空くのを待ってメンバーに登る様促し撮影した。
恵那神社由緒によれば、イザナギとイザナミは峠越えで美濃に入った際にイザナミが神坂峠で産気づき天照大神を生んだ。その時の胞衣(えな)をこの山に埋めたことから胞衣山と呼ばれていたがやがて恵那山になったという。
小休後に最高点を目指して約300m先の北峰を目指す、南北に長い山頂台地はぬかるんだ箇所が幾つかあって靴を汚した。周りのオオシラビソやドウダン類の樹々の丈が低くなりササ丈も低くなって日本庭園の趣となっていた。
最高所2191mの岩上で山座同定に余念のない仲間達
11月初旬の柔らかい日差しを浴びて避難小屋前広場で50分の昼食休憩をとった。神坂峠からの登山者も含め人は多かったが8人が車座になっても十分な広さがあった。
12時キッカリに集合写真を撮って下山を開始した。いざ下りだすと以外に急登を登って来たのだと気付かされた。我が会には膝を痛めて山から遠ざかった人も少なくない。下降での膝の負荷を考え登りとほぼ同じ時間をかけてゆっくり下った。完
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