月報「わっぱ」 2024年10月(No.515)
深田久彌 山の文学全集 (6)
著者 深田久彌 発行所 朝日新聞社
HY
2ヶ月休みましたが深田の山書紹介の続きです。「ヒマラヤ物語」のようになったけれど、今しばらくお付き合いを願います。
世界第3位のカンチェンジュンガ(8598m)はインドの国際的保養地、ダージリンからも望め、ヒマラヤで一番古くから有名になった山である。エベレストの標高が分かるまで、この山が世界最高峰と思われていた。山名はチベット語で「五つの大きな雪の宝庫」という意味で、四つの氷河で分けられた五つの群峰で形成されている。
この山を最初に目指したのは1905年だが、貧弱な隊で5名の犠牲者を出して引き返している。その後、1929、30、31年と挑戦したが、計4名の犠牲者を出し、いずれも敗退している。
戦後、1953、54年と2度の偵察行の後、1955年にイギリス隊が念願の初登頂をなし遂げたが、その時もシェルパが1名亡くなっている。
この山で特筆すべきは、深田の書の後の出来事だが、1973年に京都大学学士山岳会(略称AACK)が第二峰(西峰、ヤルン・カン、8505m)に初登頂していることである。
AACKは創生期の大垣山協に大きな影響を及ぼした今西錦司や西堀栄三郎らが立ち上げた会で、ヒマラヤ登山だけを目的としていた。戦前から活動しており、1952年にマナスルの登山許可を取得したが、その時点ではAACK単独では荷が重すぎるということで、日本山岳会にそっくり譲り渡したという経緯がある。
その後、1958年にチョゴリザ(7654m)、1961年にメシャック(7492m)、1963年にサルトロ・カンリ(7742m)と3度初登頂に成功し、次は8000m峰という事で挑戦したのである。
ヤルン・カンはカンチェンジュンガの支峰という位置付けで、世界の8000m14座には含まれていない。それで残念ながら8000m峰初登頂という栄冠は得られなかったが、それに匹敵する快挙と言えるのではないだろうか。
続 私の書棚・山書紹介⑥
深田久彌 山の文学全集 (6) 著者 深田久彌 発行所 朝日新聞社
ご覧のページです。
コメント