パノラマコースより槍ヶ岳遠望
【 一般山行(秋山ミニ合宿) 】 穂高岳 ( 涸沢周辺 ) 長野県松本市安曇 NT
3日目 パノラマコース下山編
10月14日(月・祝) 天候:晴れ
- 行程:涸沢6:52-屏風のコル8:27-奥又白谷10:01-徳沢11:10-上高地13:20
朝の冷え込みは今日も素晴らしい夜明けを提供した。テントの撤収を終えてカールを去るにあたり全員での集合写真を撮った。気が付けば全員揃っての写真は初めてである。
ヒュッテの水場もトイレも相変わらず長い行列が出来ていた。此の混雑ともお別れで有るが去るとなれば少し淋しい気もする。
横尾谷道と屏風のコルへの分岐には「パノラマコースの注意書き」が有った。構わず進もうとすると近くにいた登山者に狭い所が有ると注意された。そういう難場を安全に通過する為に山岳会へ入会し訓練をして来たメンバーである。有難い忠告であるが迷いはない。
振り返るとヒュッテの赤い屋根とカラフルなテント村が遠くなっていた。北尾根の影がカールを包んで陽の当たっている北穂から奥穂高の稜線が白く眩しかった。
道は小さな起伏を繰り返し北尾根Ⅶ峰、Ⅷ峰の中腹を屏風のコル(最低鞍部)を目指し続いている。道幅も確保され安定しており分岐で指摘されたような危険は感じなかった。
此処の岩場が一番細くてフィックスザイルがセットされていた。勿論スリップは命取り、若い日に屏風岩を3度登攀し内2回は涸沢へ下りたので此処を通過しているはずだが全く記憶がない、50年ほども昔の事だが。
行く手に屏風の耳と呼ばれる三角錐の峰が見えて来た。その峰に「点名・屏風岩Ⅲ等△2565,62m」が有り最高所の屏風の頭はその先だ。我々が目指す屏風のコルは「屏風の耳」の手前でそこへ向かい少しずつ高度を上げていった。
屏風のコルが近くなって背後を振り返ると絶景が広がっていた。北穂高東稜の奥に南岳、横尾本谷右股カールを囲むようにカーブして横尾尾根が南岳へ突き上げて、その奥に槍ヶ岳の尖塔が天を指している。若い時に気付かず見えていなかった景色かもしれない。
道は上り下りを繰り返し一部には追い越しが出来ないところも有った。歩みが遅いうえに撮影ポイントが有ると立ち止まる。後続者に迷惑をかけたようで申し訳なかった。
だが次々に訪れる絶景にシャッターを押さずにはいられない。槍ヶ岳絶景の遠望にノロい歩みが余計遅くなってしまった。
手前の紅葉がもう少し綺麗な色だといい写真になるのだが茶色でチリチリ残念である。
北穂高東稜から涸沢岳、奥穂高のパノラマも最高だが紅葉のみ晩秋のようで残念である。
今年のナナカマドの紅葉は8月の猛暑が影響してか葉焼けがひどく全く駄目であった。そんな中であったが難を逃れた貴重な一枝であるが、本来ならもっと赤くなるのだが、
屏風のコルから奥又白本谷への下降路である。若い日、上高地を朝出立し屏風岩東壁を登攀後に屏風ノ頭から此処まで下りて来た。その夜は涸沢でビバーグの予定であったがこの道に誘惑され気が変わった。近道で徳沢へ下り美味いものを食おうや、だが多量の残雪に夜の闇となってルートファイディングに時間を費やし徳沢も明神も灯が消えていた。上高地では自販機も電源が落ちておりバス停で空腹を抱えツウェルトを被って寝た記憶が懐かしい。
猿の集団と鉢合わせ、威嚇する彼等を刺激せぬように目を伏せソーッと足早に通り過ぎた。
前穂北尾根への冬季アプローチに使用される慶応尾根を跨ぐと前穂東壁が見えた。その壁から緩やかな奥又尾根を左へ辿った先の台地がクライマーの聖地、奥又白池である。
長い樹林帯の道は大石の隙間に浮石、角張った石等が重なった歩き辛い荒れ道で足元への注意が必要で疲れた。奥又白谷が遠く感じて登って来る登山者に出合からどれほど時間を要したかと尋ねた「もう近いです」の返答にホッとするのだった。奥又白本谷と北尾根。
奥又白池への登山口である松高尾根末端をやり過ごし小さな谷筋のガラ場で休憩をした。徳沢までもう一息、降りて来た谷を見上げた、右が慶応尾根、左が松高尾根である。
広葉樹の中の道を黙々と下る。本谷には昔通った頃になかった大きな堰堤が幾つか建造され当時と景色は全く変わっていた。遭難碑のある大きな岩を過ぎて梓川右岸林道へ出た。
徳沢の名物吊り橋、新村橋は架け替えの為撤去されていた。基礎工事から推察すると数倍大きい橋になるようだった。この橋は前穂高東壁の開拓に功績の有った関西登高会の新村正一氏にちなみ名付けられた。徳沢園へ着くやカレーライスの匂いが漂い、ソフトクリームを片手に頬張るグループがあちこちに、今年の秋ミニ合宿登山は事実上終えていた。完
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