大垣山岳協会

熊之島、主(ぬし)は何処へ 2024.10.10

点名・熊之縞

【 個人山行 】 点名・熊之島 ( 708m Ⅲ△ ) SM

 「熊之島」という三角点名がずっと胸に消えずにいた。長い尾根筋を歩いた末にその山頂に着いた。薄暗い枯葉の堆積した平地。眺望も樹林の美もない。なのに次第に登頂の喜びがあふれてきた。岐阜県七宗町と白川町の町境尾根筋を歩き、2つの三等三角点を含む3つの頂を踏んできた。写真①=42番鉄塔から見た熊之島、奥に白山連峰)

写真① 42番鉄塔から見た熊之島、奥に白山連峰
  • 日程:2024年10月10日(木)
  • 参加者:SM(単独)
  • 行程:自宅(春日井市)5:50⇒国道41号⇒7:05七宗大柿林道入口⇒旧柿ケ野集落跡⇒7:35菅田大柿林道ゲート入口(駐車地)
    駐車地(岐阜県七宗町 標高約580m)7:50→中電鉄塔補修路→愛岐幹線44号鉄塔→点名清水(△Ⅲ717m)→補修路→43号鉄塔→笹ヶダワ(740m)→43号鉄塔→笹ヶダワ林道→10:25 42号鉄塔→補修路下降→10:50林道カヤノキ南林道出合→11:10尾根取り付き→12:10点名熊之島(△Ⅲ708m)山頂12:35→1:05林道→1:35 41号鉄塔→カヤノキ谷林道→1:45菅田大柿林道→3:30国有林ゲート駐車地
  • 地理院地図 2.5万図:河岐・金山

 飛騨川沿いの国道41号を北上し、七宗町大柿で橋を渡り七宗町大柿林道の舗装路に入る。つづら折りの林道脇には柿ケ野集落の廃屋が数軒、悲し気な姿を見せていた。標高約450m上がり林道ゲート手前に駐車。ゲートは開いたままだった。ここから奥は七宗国有林。面積1512haもある広大な国有林である。以後の行程はほとんどが国有林内。ゲートのすぐ右に中電愛岐幹線の鉄塔補修路が尾根筋沿いに延びている。これを登り始める。尾根は七宗、白川の町境でもある。すぐに尾根が分岐しその先に点名清水があるのだが、補修路から外れ白川町内であるためか、踏み跡は消えて低木薮に阻まれうろつく。見つけた点名清水の点石(写真②)の脇に立つ木柱には「白川町黒谷町有林」とあった。すぐスギの木立の並ぶ町境巡視路に戻り、43番鉄塔下に出る。

写真② 点名清水 ( 717m Ⅲ△ )

 そこから北西方向に目指す熊之島が遠くに望めた。(写真③)すぐ先の丘の上に42番鉄塔。そこから二つ目の赤い鉄塔が40番鉄塔。その右側(東側)になだらかにそびえる山が熊之島だな、と想定。ここでも彼方に白山連峰が望めた。

写真③

 43番鉄塔の裏山から、踏み跡をたどりピークの上に笹ヶダワの山頂。標高740m、七宗町の最高峰だという。そこには小さな祠があり、自然石に「七宗大権現」と「愛宕大権現」の文字が刻まれていた。七宗住民や山林事業者たちの信仰の山だった。(写真④)

写真④ 笹ヶダワ山頂

 手を合わせた後、43番鉄塔から補修路に戻り、笹ヶダワ林道に入る。草ぼうぼうの砂利林道を進むと42号鉄塔に着く。谷に落ち込む急斜面にあり、冒頭写真に見るように熊之島の丸いお皿を伏せたような優し気な姿が見えた。ここで林道は終点。鉄塔の上から巡視路を下る。高度約100mを急降下する。巡視路のプラ階段の多くは土砂に埋まり、木枝にぶら下がりながら下った。近年、人による送電線巡視はドローンなどの電子映像技術にとって代わりつつあると言われ、登山者にとって利用価値の高い巡視路が消えてゆくのを心配する。

 猛烈な急降下を終えて、ヒノキの人工林の中を軽快に進み、尾根筋から西側に迫って来たカヤノ木南林道に降りた。巾の広い砂利道。西側に大きく回り込むところに歩道の入口が見えた。熊之島の方向に向かっていることを地図で確かめて進入する。ヒノキ人工林の縁の明るい低層樹の中を進む。振り返ると昨秋に登った七宗国有林内の室兼高屋(678m)山系のようだ。(写真⑤)

写真⑤

 明るい低層樹帯の中に荒れてはいるが踏み跡や赤布が目に入る。同好の士が居るようだ。ヒノキ林内の緩い尾根筋を登り切ると、だだっ広い空地が広がっていた。朽木や枯れた木枝が散らばる中に白っぽい三角点の点石が立っていた。白い地理院の標柱は朽ち折れて半ば倒れている。すぐ近くの低木に「大畑山」の山名板が架けてあった。「熊之島」の表示はどこにもなかった。(写真⑥)腰を下ろして昼食タイム。乱雑に広がる平らな広がり。周りを見回すが眺望は全く効かない。熊君でも出そうな雰囲気であった。

写真⑥ 「大畑山」の山名板

 この「大畑山」は徳川時代に七宗国有林が藩所有の七宗御留山だったころからの山名だった。この名が今でも地元民からそう呼ばれているかは知らない。ただ、白川町寒八地区から登る際に通る「大畠川」の名から付いた名だろうと推測する。一方三角点名の「熊之島」は白川町の飛騨川右岸側の寒八地区一帯の昔の小字名だった。三角点名の点の記にも「武儀郡坂ノ東村字熊之島から七宗御料林に至る山道を登り…」とある。明治28年のことだ。字熊之島は点名熊之島から高度約550m下に降りた飛騨川筋の寒八集落を中心とする字名だったのだ。その後の住所名変更で今の住所名から「熊之島」は消えた。

 41号沿いに「熊の島」という店名の料理店が現存している。同店に聞いてみると、店名はやはり昔、字名から付けたようだが、実際に付近にクマが多出したという話は聞いていないそうだ。

 三角点名に所在住所名を付けるケースはごく一般的だ。ただ、地名に熊を付けるからにはかつてクマとの縁が深かった関係は否定できないであろう。時間の経過と共にクマと人は疎遠になったのだ。。

 帰路は全部、国有林内の林道を歩かせてもらった。所々で振り返るとどっしり腰を据えた熊之島に何度も再会した。(写真⑦=菅田大柿林道から送電鉄塔と熊之島を仰ぐ)この山行ではひょっとするとクマに出会うかもと内心不安ではあった。私は熊よけ用に、爆竹を用意してきた。途中の林道脇で2度ほどパンパパーンと鳴らした。出会いはなくて幸運だったのだが、あの熊之島山頂に居たひと時、わびしい思いに包まれた。どこかで、クマに会えるかもしれないと言う思いがあったのかしれない。

写真⑦

 全国でクマによる人的被害が激増している。名古屋市中心部ではニホンザル出没のニュースがあった。つまり、動物や植物が山野から締め出されていることの結果だ。山地や野原は人間だけの所有地ではない。既に少なくしてしまった野生動物の生きる場でもある。野生の生き物たちとの共存。それが出来なかったとしたら、私たちの将来に危機が来るような予感がする。単独山行中にはよくそんなことを思う。

 この日、誰一人とも、動物一匹とも会わない一人旅だったが、歩行と思考に忙しい一日だった。完

(写真⑧=帰路の途中、41号鉄塔下のススキ原から、往路で苦労した42番鉄塔のピークを望む)

<ルート図> 地図中の洋数字は鉄塔番号

 発信:10/15

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