【 個人山行 】 水晶山 ( 958m △なし ) SM
恵那・岩村と飯田や名古屋を結ぶ国道257号に新木ノ実トンネル(全長1350m)があり、その上に古き時代に賑わった木ノ実峠(約750m)がある。だが、峠では史跡、表識類は一切見届けられなかった。そこから長い尾根筋を伝って水晶山の3つのピークを越え、さらに36年前まで現役だった旧国道跡を歩き古い木ノ実トンネルを歩くことができた。峠あり、山あり、暗闇トンネルあり。加えて方向観のトンネルもあり。
- 日程:2024年6月25日(火)
- 参加者:SM(単独)
- 行程:自宅5:50⇒中央自動車道⇒恵那IC⇒国道257号⇒阿木川大橋⇒新木ノ実トンネル通過⇒トンネル出口先で右折⇒市道脇に駐車(恵那市上矢作町坂下 標高約660m)
駐車地7:45→歩道入り口→7:50鳥居→8:00愛宕神社→8:20木ノ実峠→8:30水晶山への尾根出合→9:20 820mP→9:50点名水晶山(△Ⅳ 960m)10:30→10:40水晶山(958m)→11:25点名水晶(△Ⅳ870m)11:40→崩壊林道→林道離脱→12:15尾根上に→12:35城山林道復帰→1:10新木ノ実トンネル入口直下→1:40旧国道257号出合→2:40旧木の実トンネル通過→3:00駐車地 - 地理院地図 2.5万図:岩村
当初の計画では、最初にこの地域では著名な天瀑山(843m)と2等三角点のある兼平山(844m)に登る予定だったが、駐車地からの林道の崩壊により後回しにした。近くの温室で作業していたHIさんに木ノ実峠への道をお聞きした。道脇のササ原に細い道が上がっていた。道標らしいものはない。まもなく急斜面に地元坂下地区の愛宕神社が立っていた。(写真①)その先から幅の広い林道が北に延びる。
だが、すぐに暗いジメジメ路面、両側に石垣のある林道。やがて段差のある広場や新しい林道が錯綜。どこにも峠の表記や昔あったという茶屋の跡もない。平らな林内をうろつくが何も見当たらない。(写真②=赤テープは私が付けたもの)少し東に進むと素掘りの林道が現れた。峠の位置確認はあきらめ、林道を南下すると北側の空に水晶山の山稜が目に入り、その方向に連なる尾根筋が見えた。
その尾根筋に入ると、驚いたことに幅5~6mの道が付いていた。(写真③)勿論、車の通った形跡はなく、薄い雑草で覆われ、緩い登りを快調に進む。道の所々に林野庁の境界杭が立っていた。ここは岩村国有林(324ha)の境界であった。左側(北側)の国有林にはヒノキ人工林で樹齢2,30年生ほどか。ただ、道沿いにはアカマツの大木数本がユニークな立ち姿を見せてくれた。(写真④)根元から3本の幹が天高く突きあがる。逞しくも華麗に存在を主張する。立ち止まり、顔を空に向け続けた。
林道は820mの標高点を越すと幅を狭めて、急な細い山道となり、点名水晶山のピークに達した。(写真⑤)「水晶山へ」の道標も立っていた。この点名水晶山と本家の「水晶山」(三角点なし)、さらに点名水晶、という水晶付きの山が3つならぶのを珍しく思い「水晶山三山」としたのだが、なぜ、水晶なのか。昔、水晶鉱石を発掘した歴史があったのかな。水晶山手前の登山道わきに「岩村アカマツ造林試験地」なる古い看板。「1969年、0.4haに1500本植栽」とあった。周りにはアカマツの壮齢木が林立していた。アカマツの植林は聞いたことはない。植えてから55年経つ。現代的価値があるのかどうかな。マツタケが出るのかな。秋に来ようかな。
ヒノキやアカマツが立つ水晶山山頂(写真⑥)を通過して西側の岩村・城山へ向かう尾根筋の広い登山道を西に下りる。間もなく道脇に点名水晶の点石を見つけた。休んでいると、城山側から中年男女の登山者がやって来て、しばし歓談。静岡県から来たという。道中、出会った登山者はお二人だけだった。
私はここからすぐ南に降りて荒れた林道を下りだす。途中で外れて往路の尾根に出て木ノ実峠を再見したかったからだ。この作業道はすぐに舗装の城山林道となる。その南端の屈曲部で林道から尾根に取り付き往路の尾根に戻ろうとした。だが、林道離脱位置と方位ミスが出て、結局元の城山林道を下ってしまう。ミスではあったが、あとで予想外の報酬も得た。
城山林道は古くて荒れた舗装路。急ぎ足で渓流の流れる脇を下りてゆくと、上からゴーゴーという車の排気音が落ちてきた。見上げると、林道の上方に国道257号新木ノ実トンネルの北口が見えた。地形図を見ると、現在位置が正確に読めた。ここからなら、1988年まで現役だった旧国道257号の廃道を歩くことができる。何本も新道や市道が複雑に絡んでいて、難しかったがなんとか車止めの柵を跨いで古びた舗装路を歩き出す。初めは今でも車で通行できそうな緑に包まれた路面。(写真⑦)次第に左右からの倒木が増えて来る。(写真⑧)
そして地理院地図にも出ている旧木ノ実隧道(写真⑨は北側の岩村側入口)。入口プレート(写真⑩)には昭和6年8月30日(開通)とあった。延長約400m。トンネルに入ると真っ暗。足元はねばねば粘土のような沼地状態。ライトを出すのも面倒でずぶずぶ歩き通した。靴は数カ月前に新調したミッドカット登山靴。足は全く濡れていなかった。出口の明るい丸印に向かって暗闇を進むうち、向こうから誰か歩いて来てほしい。その思いはかなわなかった。
1950年ころに、現役だったこの国道トンネルを歩いた上矢作・漆原の住民の懐古録が上矢作町史に載っていた。買ったさつま芋の苗を背負って岩村側から国道を通り真っ暗闇のトンネルに入った。前方からも一人歩いてきた。すれ違いが怖くて身構えたが、互いに「暗いのう」と声を掛け合い安全を確認した、との経験談が出ている。動物との出会いは怖くないが、人の方が怖かった、そうだ。時代が変わったのか、私は見知らぬ人に会うと、すぐ話しかけることが多い。それは独りよがりだと、間違いを起こす危険性を覚えるからでもある。現代世相では対人トラブルによる悲劇は増えている。SNSでのやり取りでは危険だ。でも、大戦直後の時代でも人間不信の世だったようだ。トンネルを出てすぐ、朝下見した際に見た道の崩壊地。その脇を通って駐車地に戻った。
下山後、木ノ実峠の正確な位置について、細野区のHIさんや国有林管理の岩村森林事務所に聞いてみた。峠の正確な位置はつかめなかった。明確な史跡は消失したようだ。「木ノ実」の語は地名でもある。現トンネルの山岳帯や南側一帯を指す名称でもあり、2.5万地図にもでている地名だ。この地は恵那の中心部と信州飯田や尾張名古屋を結ぶ飯田街道と連結する重要な位置にある。車の通れるトンネルのある旧国道257号が開通したのは1931(昭和6)年。93年前だ。それ以前の長い間、木の実峠は馬や牛の背に荷を乗せた人々が行き来し賑わいの地だった。地元の人に「木の実」とはどんな意味があったのか伺った。「木の実しか食べるものがなかった貧しい土地だったと聞いている」とおっしゃった。では、その木の実は何だったのか、お聞きするのを忘れてしまった。
もう一つ、知りたいのは長い尾根上の幅広道のこと。地元の人に聞くと昔、山火事があったので防火帯として切り開いたと聞く、と言う。前記の岩村森林事務所に聞くと、防火帯目的かどうかは聞いていない。かつて出材や植林を大規模に行っているので林道的に使っていたと思う。いずれにせよ、誰も通らないが素晴らしい幅広山歩き尾根筋。長く維持されることを願っている。 完
発信:6/29
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