大垣山岳協会

鈴鹿・神崎川源流域(中峠~クラシ北尾根~イブネ~杉峠~根の平峠) 2024.06.01

イブネ

【 個人山行 】 鈴鹿・神崎川源流域  イブネ ( 1160m △なし )、クラシ ( 1145m △なし )  NT

 50年前の青春時代は随分偏った登山しか知らなかった。身体が思うように動かなくなって山の景色が見えるようになり花の名も多少だが覚えた。つい最近新聞記事をきっかけに鈴鹿に上高地やジャンダルムが有ることを知った。その尾根にはお金明神も有ってご利益も有りそうだ。平均年齢74,5歳のチームが挑んだ報告である。

  • 日程:2024年6月1日(土) 晴れ
  • 参加者:L.NT、SE、HT、MT
  • 行程:朝明キャンプ場5:55-中峠6:49-大瀞渡渉7:20-お金谷出合7:55-お金明神8:14-お金峠8:31-ワサビ峠9:21-クラシ10:28-イブネ北端10:38~11:16-イブネ11:23-杉峠12:12-御池鉱山跡12:41-コクイ谷出合13:40-上水晶谷出合13:56-根の平峠14:38-朝明キャンプ場15:37
  • 地理院地図2.5万図:御在所山

 この周回、若者でおおよそ8時間のコースタイムのようだ。昔取った杵柄だけが頼りの高齢者パーティーであり10時間は覚悟せねばならない。日が長くなったとはいえクラシ到着を遅くとも13時、出来れば12時を目標に設定し緊張感を持ってスタートした。

 中峠への急登中に下方から若者が追って来た。何とか峠までは抜かれたくないと頑張ったせいか目標タイム近くで到着、休憩中も彼等はまだ上がって来ない。少し自信が湧いた。

 下水晶谷沿いの道は歩きやすく傾斜も緩やかであった。ただ、これからの長い行程を思うと自然と早足になった。後ろから追って来る若者が気になったが気配はなかった。

 神崎川本流に架かる橋が通行不能なのは承知していた。だが自分の目で確認がしたかったのと写真に収めたかった。傍まで行って納得、とても渡れたものではない。

 廃橋から右岸を80mほど下流へ歩き、ガラ場状のルンゼから神崎川へ下りた。水は多い、一目見て「こりゃーアカン」渡渉と決めて靴とソックスを脱いで上流をみるとMTとSEさんが濡れ石を拾って無事に渡り終えた。「やるもんじゃ-」HTさんは素足でジャブジャブ、小生は沢靴のインナ―を履いてジャブジャブしたが足裏が痛いのなんの、面に似て足裏の皮は薄かった。だが、これで最初の難関は最小時間で突破した。

 左岸へ渡って下流へ歩き出して直ぐにお地蔵様を見た。風化もしておらず新しいようだ。

 神崎川左岸につけられた道は小さな谷を幾つか跨いでお金谷出合へ着いた。お金谷は水が流れておらずあわや見過ごしかけた。標識を見て気が付き慌てて地形図で確認した。

 「お金明神」は御在所岳籐内壁のヤグラのような花崗岩の大岩であった。木製の高札に由緒書きが有ったが墨が落ちて読めなかった。切り株には沢山の硬貨が供えられていた。

 お金明神から尾根へ出て塔ノ峰874mの山頂下をトラバース気味に鞍部へ出ると大きな杉の枯株が出迎えてくれた。ここがお金峠で此処から本格的にクラシ北尾根が始まった。

 峠には北の塔ノ峰から明瞭な道が来ておりクラシへ向かって延びていた。尾根は芽吹いたばかりの新緑で眩しいほど、大きな杉の木が尾根を占領していた。

 作の峰948mを過ぎると尾根は広くなって無造作に大岩が配置された空間を落ち葉が埋めて背後に落葉樹が林立し自然庭園の趣に只々感激の声を発した。

 振り返ると仲間達も自然の芸術に感嘆して魅入っていた。当初設定した目標時間はおおよそ計画通りに通過しており少し心にもゆとりが出来ていた。

 高岩965m到着、時折太いブナは有るがナラ系の細い幹の林となって広い斜面がワサビ峠へ下っていた。峠で下って来た若者に気付き先行を譲った。中峠下から追いかけられていた男女でワサビ峠でついに抜かれた。急な登りとなると息切れして彼等のペースには到底ついて行けない。いよいよ第二関門のクラシジャンダルムへ突入した。

 尾根は俄かに岩交じりで細くなって東の神崎川側は小葉のイワカガミがびっしり、凄い密度で急斜面を埋めていた。花期に訪れればピンクの斜面に感動するだろう。

 細い岩尾根を松の木が占領していたが既に枯れ木、それを掴んで細尾根を越えた。ワサビ峠を過ぎて尾根の様相は変わったがこの程度は当会の岩登り講習を経験して来た彼女等にすれば全く問題ない。

 萌黄色のトンネルの中で緊張の糸をほぐすような山ツツジの朱色の花びら、思わず立ち止まって見上げシャッターを押した。

 クラシジャンダルムへ最後の急登、尾根の北東側はガレ場状で抜けている。真新しい青いロープに誘導された。だが50mほどのロープは途中の支点が固定されず立ち木に掛けられた補助ロープのループを通しているだけである。途中の支点をクローブヒッチ等の結びで固定すれば安全度は増しただろう。

 傾斜が徐々に落ちてシャクナゲの多い尾根となった。積雪量が少ないのか奥美濃で見る横に這ったそれと違い上に伸びて丈が高い。4月の花期は素晴らしい花園になるだろう。

 尾根はだんだん広さを増し立ち木が大きくなってまた素晴らしい景観の尾根歩きとなった。どうやらクラシジャンダルムの頭は気付かず既に通過したようだ。

 此処で尾根が東から合流しており登って来る登山者を見て地形図を広げた。立木には「クラシ」の山名札が括られている。また5~6人のパーティーがその尾根から登って来た。少し面食らう、おそらく我々が知らないだけで神崎川からルートがあるのだろう。彼等が登って来た道は明瞭で踏み跡程度といえるものではない、利用登山者は多いと思われた。

 尾根は草原状で西へ登っている。この上の高みがクラシ(1145m)で西の銚子(1123m)と南のイブネ(1160m)の分岐と思われる。尾根が高くなるごとに登山者が多くなって来た。未だ10時半だ、目標時間を大きく残してクラシへ到着出来そうだ。

 高みへ向かいつ首を左へ振れば南東方向に神崎川源流域を隔て御在所岳と鎌ヶ岳が見えている。1145m(クラシ)の高み、銚子(1123m)の分岐まで行けば一般登山道となり人も多いはずだ。未だ長い周回の半分ほどだが気分的にすごく楽になった。

 登山道両脇に広がる苔の台地が昨日の雨で青さを増して高みへ誘う。この先の景色を早く見たいのか銚子とイブネの分岐を目指し私を置いてけぼりにする仲間達。

 1145mの高みに山名板はなく銚子(1123m)との分岐に道標が見えたが遠回りになるので南へ折れて林を抜けイブネを目指した。やはり最高所(1145m)下の「クラシ」の山名札が木に括られていた所、東からの尾根の合流点が「クラシ」なのだろう。

 水分をたっぷり含んでみずみずしい青い苔の原を進みイブネを目指す。苔の切れたガラ場などで休憩する人や往来する人も多くなった。先行する仲間に素晴らしい景観だ!もっと噛みしめて歩こうと言いたかった。これまで稼いだ時間がたっぷりとあると、

 木立の中を風が抜ける最高の休憩地、大勢の人があちこちで腰を下ろして食事をしていた。我々も山ツツジの下をランチ場所とした。実は、今日は長丁場なので行動食とする「ランチタイムはナシ」の宣言をしていた。しかし未だ11時38分、目標タイムを大幅に余していたので此処「イブネ北端」で大休憩のランチタイムとした。

 ランチを終えてイブネ自然庭園の散策をしながら杉峠へ向けて下る。が、素晴らしい自然の造形美に直ぐ足が止まるチョコ停となる。近くに居ながら鈴鹿の絶景地を知らなかった。

 ロープが張られ規制されていたが当然だろう。この景色を壊したくない。

 イブネ(1160m)山頂は立札が無ければだれも気付かない。

 日本庭園の趣、昨日の雨もこの景色に一役買って、苔の青さを際立たせていた。

 御在所と鎌ヶ岳とシロヤシオ(五葉ツツジ)とアセビと苔の台地、人間には作れない造形。

 シロヤシオとドウダンツツジ、紅更紗ドウダンの木が多いが紅更紗が未だ花を残していた。

 佐目峠への下りで見た直径1,5~2,0㎝ほどの可愛い小花、帰宅後に調べると「ジシバリ」の花と思われる。別名をイワニガリとも花期は4~6月、絶対の確信はない。

 杉峠のシンボル、杉の枯れ大木。千種越えと呼ばれ近江と伊勢を繋ぐ街道であったようだ。1570年5月、朝倉討伐中の金ヶ先で浅井長政の裏切りで京へ逃げた信長が岐阜へ帰るのにこの街道を使った。それを杉谷善住坊が待ち伏せし鉄砲で狙撃したが弾はそれた。

 この峠にはコブコブで見るからに歴史の証人のような老木のカエデが有った。古木に「信長が狙撃されるのを見たか」と問う女史、善住坊はその後捕らえられると首から下を土中に埋められ竹鋸引きの刑となった。通りすがりの人は竹鋸を引く義務を負ったという。

 杉峠から下ると御池鉱山跡に着いた。高札の説明書きによれば銀と銅を採掘していたようで明治期末の最盛期には300人が働いていた。住人はもっと多いはずで集落跡の崩れかかった階段を登ると神社跡や小学校跡が確認出来て歴史を一寸かじった気分になった。

 これはおそらく神社の社跡の高台で有ろう。

 斜面の木立が美しく新緑のトンネルとマッチしてすがすがしく、旧街道の森林浴を楽しむ贅沢な山行となった。前半の時間短縮のお陰で後半はのんびり時間を使って楽しんだ。

 苔むした大きなトチの木を見上げる。今回の山行では大木との遭遇が何度か有った。鈴鹿の山をそれほど知っているわけではないが滋賀県側は奥が深いと感じた。

 コクイ谷は急な5mほどの崖をロープに案内されて下り飛石で渡った。上水晶谷が近づくにつれ神崎川と離れていく、上水晶谷を跨ぐと神崎川本流の瀬音は遠くなり聞こえなくなった。長い歴史の中で人馬に踏まれ削られいかにも街道跡のような道を?みしめて歩いた。道の下は緩傾斜の台地となっており神崎川本流沿いは上高地と呼ばれる憩いの場のはずだ。

 木漏れ日を求めてヤマツツジが懸命に背伸びをしている。だが林の中だからこそ風雨を凌げて今日の日まで散らずにおれた。その環境に適応することこそ強さと教えられる。

 タケ谷分岐へ到着、西へ下って行けば神崎川でその畔は「上高地」と呼ばれる楽天地のような所らしい。本日は寄らず又の機会に、このまま根の平峠を目指して東へ向かった。

 タケ谷分岐から10分もかからず山とは思えない緩やかな道を進むと峠で有った。峠には千種街道の説明看板や石柱が有って近江と伊勢の境界の雰囲気をつくっていた。

 此処まで来れば朝明渓谷まで45分も有れば駆け下れるだろう。朝の出発時の緊張は何処へやら、イブネ到着が予定時間を大幅に余して以降は余裕があり過ぎて自然庭園観賞や鉱山遺跡見学等でチョコ停が多くなった。結局は前半の貯金を食いつぶし計画通りと大差ない時間に駐車地へ着きそうだ。だが平均年齢74,5歳のパーティーであっても山登りの基本技術を習得しておればそれなりの登山は出来る。我が会の強みを実証出来た山行だった。完


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