大垣山岳協会

続 私の書棚・山書紹介③

TOPICS・随想・コラム

月報「わっぱ」 2024年5月(No.510)

深田久彌 山の文学全集 (3)
著者 深田久彌  発行所 朝日新聞社

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 第2次アタック隊が世界最高点に達した4日後、頂上必達を期してマロリーとアーヴィンの第3次アタック隊は酸素器を担いで第6キャンプ(8170m)を出発した。けれど・・・、彼等は遂に帰ってこなかった・・・。

 英雄マロリーの遭難死はイギリス本国に大きな衝撃を与え、何と彼等のために国葬がとり行われている。イギリスではそれだけ登山家の社会的地位が高いのだろう。彼等は頂上に達したか否かは大きな謎だったが、後年遺留品が発見され、達していない事が分かった。

 第2次世界大戦までにその後4次の登山隊が派遣されたが、全て敗退している。そしてその間にマロリーをはじめとして12名の隊員やシェルバが命を落としているのである。

 第2次世界大戦が終わるとチベットは共産圏となり、鉄のカーテンに閉ざされてしまう。その代わりネパールが開国し、それ以降は南側からアタックすることになる。

 1951年、イギリスの偵察隊は難関のアイスフォールを突破しサウス・コル(7906m)を見出し、そこからの登頂可能性を認めて引き返した。

 翌年はスイス隊が登山許可を取っていた。彼らは初めてサウス・コルに達し、さらに過去の最高到達点を超える8595mまで登ったが、登頂は出来なかった。その年秋の挑戦も失敗した。

 そして、翌1953年のイギリス隊が登頂を果たす。5月26日に第1次アタック隊が南峰頂上(8760m)に達し、安全を期して引き返す。3日後の29日、ヒラリーとテンジンの第2次アタック隊が午前11時半、遂に頂上に達した。その報が本国に届いたのは、エリザベス女王戴冠式の前の晩という絶妙のタイミングだった。

 (続く)


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深田久彌 山の文学全集 (3)  著者 深田久彌  発行所 朝日新聞社

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