大垣山岳協会

残雪期にしか登れない山、日照岳 2024.04.20

日照岳

月報「わっぱ」 2024年5月(No.510)

【 一般山行 】 日照岳(1751.0m Ⅱ△) TM

  • 日程:2024年4月20日(土)(晴れのち曇り)
  • 参加者:L.SK、SL.NH、KM、KT、TM、TK、HN、MY
  • 行程:中之江駐車場4:30=岐阜各務原IC=荘川IC=R156号沿い773.2m地点(駐車)6:30~6:45-鉄塔7:05-1160m点9:30-1534m点10:40-日照平11:30~11:45-日照岳12:50~13:20-1534m点14:30-1160m点15:30-鉄塔16:00-駐車地16:25=道の駅桜の郷荘川=荘川IC=岐阜各務原IC=中之江駐車場19:45(解散)
  • 地理院地図2.5万図:御母衣(金沢4-1)[北緯36°06′、東経136°54′]

 旧荘川村で一番早く朝日が当たるところから名がついたといわれる日照岳。藪に覆われ登山道も無く登山者を受入れない山で、御母衣ダムができて以降は特に人が訪れる事はなくなった。残雪により藪が抑えられるこの時期にしか登る事ができない山で、積雪期では積雪と急斜面のラッセルで時間がかかり、とても頂上まで1日では辿り着けない。今回のメンバーは50代と60代の少数精鋭8人で構成された。駐車地点はダム建設のため御母衣の住人が移設したお墓の横で、そこが登山口である。

 先ずは鉄塔を目指し、登山開始後30分で何とか辿り着くことができた。小休止の後尾根に取り付き進もうとしたが、藪が行く手を阻む。谷筋にエスケープし小藪を乗越え、再び稜線に辿り着いた。

 稜線といってもまだまだ標高は低く、これからが本格的な藪漕ぎとなる気配であった。小休止後出発して直ぐに急斜面となり、本格的な藪が現れた。

 リーダーが果敢に藪の中へ突入し、メンバーもそれに続き本格的な藪漕ぎが開始された。先ずは、1160mの地点を目指しての格闘であった。

 1160mの手前で小休止し、1160mを過ぎ次の目標である1534mを目指した。帰りの目印のピンクの赤布を付けての藪漕ぎとなり、どこの位置に付ければ帰りに見つけ易いかを考えながら付けて行った。

 リーダーからは帰りのことを考えて、途中で時々後ろを振返り登ってきた道筋を映像として覚えるなり、目立つ木を覚えると良いとのアドバイスを頂いた。事実、赤布を見つけられない時は、行きに目印として覚えた木が役に立った。

 1534mを過ぎた辺りから雪が所々現れ、雪の上を歩く時は藪漕ぎをしないで済むと思うと少し気が楽になった。でも油断すると踏み抜きとなり、足を取られて転倒するリスクが増してくる。

 細い稜線の雪道は転倒イコール滑落の危険を意味しており、慎重な行動が求められ精神的にも緊張する時間だった。

 日照平まで着いたところで1名が体調不良で待機することとなった。下山時の体力も残しておかないといけないので、勇気ある決断であったと思う。

 残りの7名で山頂を目指したが、時間は11時半を回っていた。残り時間は少なく、13時には引き返さないと16時半までに下に着けないとのリーダーの計算の元頂上を目指したが、幸運にも雪道が頂上まで続き、13時前に頂上に立つことができた。

わずかに残った残雪を伝い頂上へ向かう

 頂上からの景色は抜群で、神は我らの味方であると感じた。遠くは白山もはっきり見え、御嶽山も乗鞍岳も見えた。

 遅めの昼食を急いで取り、記念撮影を終えると早々に下山を開始。日照平で1名をピックアップし順調に下山を続け、途中に道迷いすることなく下山することができた。

 ただし藪の神様は献上品を要求し、途中で仲間の1名からストック1本を奪い、私からは着脱式サングラスを奪い取った。でも、全員が無事に下山できたから安いものであったと皆で言い合った。またこの時期としては暖かく、かなりの量の水を飲み、飲み過ぎで胃をやられてしまう仲間もいた。

 帰りは道の駅桜の郷荘川で温泉に浸かり疲れを癒し、ひるがの高原のサービスエリアでソフトクリームを食べた。大垣には19時45分に到着、充実した山行となった1日だった。

<ルート図>

地理院地図


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