大垣山岳協会

冬の里山散策記、点名・西横山 2023.02.09

点名・西横山

【 個人山行 】 点名・西横山 ( 732.6m Ⅲ等△ ) 丹生 統司

 車を走らせていて里山のピラミダルな山容に興味をそそられることが時にある。揖斐川町日坂の点名・西横山(写真右三角錐の山)はそのような山で日坂川を挟んだ向かいのあぜ道から見ると実に格好良い、機会が有れば登りたくなる山である。標高は高くはないが雪のシーズンならば充分楽しめるはずである。どうせなら東の尾根末端から西横山の西の独立標高点789m迄足を延ばそう。晴天を狙っていざ実行となって下山後の長い県道歩きが二の足を踏ませた。此処は協力者を得るが一番の策、前日夜に拝み倒して助っ人を得た。

<ルート図>
  • 日程:2023年2月9日(木) 晴れ
  • 参加者:丹生統、林 旬
  • 行程:名倉橋駐車地8:23-点名・西横山10:50-独立標高点789m12:00~40-長国寺・高橋家住宅13:25~47-駐車地13:55
  • 地理院地図 2.5万図:横山

 先ず小生の車を日坂上村集落の下山予定地の県道脇にデポ、もう1台を久瀬ダム近くの運動公園下に駐車して出発した。県道40号トンネル傍から尾根に上がると古道に出た。

 古道から離れて切り開き尾根を登ると崩壊地がコンクリート擁壁で固められた急斜面となっていた。青い水を蓄えた久瀬ダム湖が真下に有って尾根の端に立つと足が竦むほどの高度感である。対岸に小津権現山の長い西尾根が見えて、その奥に天狗山が雪を載せ朝の陽光を受けて輝いていた。

 尾根はうるさい下草やヤブは無く歩行は順調だった。時折倒木が邪魔をしたが障害を越えるのも自然との向き合いで道のない山を歩く楽しみである。

 大きな松の立ち枯れを何本も見た。マツノマダラカミキリムシによる松枯れ病であろう、日本の里山から松の巨木が消えて久しい。子供の頃の里山の峠や頂には「○○松」とか「○〇杉」の名が付けられた大木があって親しまれたものだ。

 時折目印が残されていた。これは山作業の物と思われるが明らかに登山者が残したと思われるものも見た。やはり物好きは居るものだ。

 標高600mを越えると雪が出て来た。これまで雪が無かったのが以外で思っていた以上に快調に歩けた。この分なら当初計画の独立標高点の789mまで足を延ばせそうだ。

 点名・西横山に到着、三角点は頭部が覗いていた。近くの木には登山者の物と思われる目印も残されていた。他に山名板とかは無かった。翌日に上村集落出身の当会会員のシゲさんにこの山の山名を尋ねたが分からないとのことであった。

 三角点近くに共同テレビと思われるアンテナも有った。残念だが展望は利かなかった。順調に歩けて時間も有るので主稜線西の最高点789mの独立標高点を目指した。

 789m峰手前の鞍部で見た大杉、辺りの木と比べると一際大きい。予定にないものを見つけた時の驚きや感動が道のない山登りの魅力である。此処から最高所まで高度で90mが辛い登りだった。急傾斜で雪が深くなりツボ足にはキツかった。

 最高所789m独立標高点到着、南は植林帯、山毛欅の木が1本残されていた。北風が冷たい山頂で南が植林帯の為に陽当たりが悪く木洩れ日を捜して休憩した。

 山頂から北の疎林越しに小津権現山が手前右に見えて能郷白山は奥に一際白く高い、木々が邪魔をしているが蕎麦粒山はそれと直ぐ判る三角形の山頂が白かった。

 下山は東に70mほど引き返して南の上村集落へ下りる尾根を使用した。途中で4ヶ所の支尾根分岐をコンパスと読図力でクリアし長国寺と春日神社の間に旨く下りれば100点である。

 満点の読図で尾根の末端に降り立つと長国寺下へ繋がる細い道に出た。道の南は小学校跡のようであった。細い道から本道に出て短い坂を登ると両脇に石仏が安置され奥に「長国寺」本堂が有った。

 長国寺から坂道を下ると右手側に長い塀の屋敷を見て興味が湧いた。屋敷内には林のような大きな木が有り神社か寺の様相だが地形図に記載がない。とにかく敷地がバカ広く門構えも立派で覗くことにした。

 長屋門脇に岐阜県重要文化財と書かれた木柱があった。住居の様なので長屋門外から覗いただけで中に入るのははばかられた。後で調べると母屋は最近まで茅葺で有ったが傷みが激しくなりガルバ鋼板で覆ったようである。江戸期の豪農の屋敷と素人でも直ぐに判断できた。この高橋家宅は大垣藩主が視察の際には宿泊本陣となっていたそうである。

 思わぬ江戸時代の豪農屋敷を見学出来て得をした気分で有った。車で日坂を離れる前に上村集落裏山の点名・西横山と独立標高点789mの山並みを写真に収めた。右の三角錐の山が点名・西横山、左奥の山の奥に見えていないが独標789mの山頂がある(見えているのは下降路に使用した尾根上部である)両山とも立派な山容の山なのに名が分からないのが残念である。

 此方の勝手な都合での急な申し出にも関わらず同行をいただいた林女史には感謝申しあげる。おかげで山もそれなりに楽しめ偶然だが下山後の山村集落の歴史にも触れることが出来た。期待以上の良い1日となった。完

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