大垣山岳協会

山考雑記 人去りて忘却の森神埼尾根再登の記 2022.10.11

点名・一ツ石

 長良川の支流武儀川のそのまた支流、神崎川と円原川の間に北上する神崎尾根(仮称)。8月下旬に尾根踏破を試みたが未完に終わった。悔しくて再挑戦した。首尾よく念願を果たしたが、尾根筋の光景に暗鬱たる思いに包まれた。かつて、山仕事や炭焼きに村人が出入りした里山が人の気配のない山となった。立派なスギやヒノキの林は宝の将来、持ち腐れとなり荒々しいジャングルとなるのか。森の行く末を案じる山旅だった。

【 個人山行 】 神崎尾根 点名・神崎( 581m Ⅲ△ )、点名・一ツ石( 684m Ⅲ△ ) SM

  • 日程:2022年10月11日(火)
  • 参加者:SMMH(単独)
  • 行程:11日(火)神崎駐車地5:35→白髭神社→5:50神崎尾根取り付き→7:20点名神崎(581mⅢ△)7:40→8:15大倒木帯→8:55・621m点→9:30石灰鉱山現場横断→10:55点名一ツ石(684mⅢ△)→北東尾根降下→11:30廃作業小屋跡→12:00白岩谷枝沢降下→12:20白岩林道出合→12:45県道200号出合(伊往戸)→2:25神崎駐車地(岐阜県山県市神崎)
  • 地理院地図 2.5万図:谷合

 (前日10日午後に神崎地区からさらに7㎞北にある今は無人の白岩地区にある熊野神社の秋の例祭に参列した。6年前の登山の折に縁が出来2回目の参列。村外に移転した7人の氏子の皆さんと歓談のあと後、移動して神崎集落の県道脇で車内泊した。)

 前夜の小雨の降る怪しい空も青空が見始めたころ、神崎川にかかる禰宜屋橋を渡り古い家屋がひしめく神崎集落の狭い道を進み白髭神社の階段を上がった(写真①)。遠く東の山並がら朝日が差し込んでくる。神社の裏手から尾根筋に上がる。スギの大木が林立する暗闇の尾根。厚い枯葉が堆積する斜面に薄い踏み跡がある。スギの倒木を何本もまたぎ、緩い斜面を登る。炭焼き跡らしい石積みや古い間伐作業の跡(写真②)。かつて、住民の活動の痕跡は今、みな緑のこけに包まれ消えゆく。やがて踏み跡も消え、白い石灰岩の小岩に覆われた急な斜面を登りきると、点名神崎の三角点が広い枯葉の丘に座っていた(写真③)。

写真① 白髭神社
写真② 炭焼き跡らしい石積みや古い間伐作業の跡
写真③ 点名・神崎 三角点

 息苦しいスギの人工林から解放され、広葉樹の明るく開放感に包まれた。8月末にここで、ヤマビルの吸血害に気づき大慌てしたことを思い出す。さすがに気温も下がり、心配は無用だった。ここからしばらくはシイカシの照葉樹やブナ科の落葉樹の大木帯が続き、上を向いて歩く。前回と同じように広葉樹林の麗しく生命観あふれる緑葉と腰を微妙にくねらせ立ち上がる樹幹の姿(写真④)。広い尾根筋は明るい広葉樹林だが、尾根の東西斜面はスギ、ヒノキの人工林が広がっていた。なぜ、一部の尾根筋だけ広葉樹が生き残ったのか不思議だ。

写真④

 604m峰に近づくと再びスギの人工林となる。最低鞍部を越えて間もなく尾根筋のヒノキの幹に⛩(鳥居)マークと所有者を示す白ペンキの印が出始める。白ペンキ印付きのスギは50本ほども続き、やがて612m峰のすぐ先で主尾根から東側に降りてゆく。前回山行では、それにつられて、コースミスを侵してしまった。白ペンキ印から分かれて尾根を真っすぐ降りる。

 やがて、尾根筋は石灰採掘現場の通路上部に達し、切断されている。時間や雨模様でもあり、前回はここで採掘業者の作業員の車に乗せてもらい作業路から県道に降りた。

 幸い、今日は近くでの掘削作業はない。尾根上部から東斜面を下って幅20mほどの作業路に降りた(写真⑤=下の通路は石灰石で真っ白に見える)。すぐ、対岸側の尾根に取り付き、厚いスギ林の中の尾根を150mほど上がる。ここで地図の読み違い。予定の尾根の一つ北の尾根に変更したのに方向把握が応じていなかった。そのせいで三角点の位置がつかめず右往左往30分。三角点はスギ林の中の小さな丘の上にあった(写真⑥)。

写真⑤ 作業路
写真⑥ 点名・一ツ石 三角点

 三角点から北西に降りる尾根を下り始めた。昔の山林作業路と思われる薄い踏み跡を下りる。全面のスギ林の中、かなり急な斜面に壊れた作業小屋が目に入った(写真⑦)。周りに酒ビン、やかん、茶碗などが散らばっていた。きつい林業作業の疲れを癒した大切な場であっただろう。急な尾根を下ると、東側の尾根へトラバースする獣道(或いは古い歩道か)を見つけてたどる。道は消え、カール状の斜面を急降下。ロープを出そうとも考えたが、豊富な小木を伝ってつかまり降下。幅5mほどの小沢に降りた。岩場のない沢を下り間もなく、白岩谷沿いの林道に出た。

写真⑦ 壊れた作業小屋

 林道から県道200号に出ると、伊往戸地区の小さな集落がある。その左岸尾根斜面に石灰鉱山(新鉱工業の美山鉱山)が山肌をむき出しにして広がる(写真⑧)。私が歩いた尾根筋はその上なので見えない。県道をとぼとぼ歩いて神崎へ向かう。だが、うっかりすると危ない。採掘したドロマイト(注)を運ぶ大型トラックが1車線の狭い道路を行き交う。止まってくれる車もあるが、そうしない車両もある。山中でなくて道路上で遭難ということもありそう。

写真⑧ 石灰鉱山

 神崎集落は神崎川左岸側に延びるが、右岸側の県道の上に廃屋が見えた。屋根の上に2匹のサル君の姿。そっと階段を上り近づくと、ギャーという嬌声を発して逃げ去る。この廃屋の南側は平らな空き地。かつての家屋の跡だろう。さらにやぶの中を南下すると、スギ林のなかに段々畑らしい石積みが長く続く。自転車や鍋などの廃材が放置されていた。神崎集落は往時、120~130戸あったが、今30余戸という。この一角もかつて数戸の家が建ち賑やかな生活の場だったのだ。こうして登りは尾根筋を歩き詰め、帰りは舗装道路を歩いて合計約9時間の周回行の末、駐車地に戻った。

 歩いた尾根筋は標高550m~680mで300m程下の集落の里山と言える。40年ほど前までは炭焼きや林業などの生業の現場であった。その生業が成り立たなくなり、現場から人が消えるのは当然のことだろう。白岩熊野神社の例祭参加の旧住民Nさんに所有山林の立派なスギについて問うと、「売ろうとしても材価が伐採搬出費用を下回り採算が取れない」という。昨今、白岩地区で出材はほとんどない、という。売れない樹林の山域から働き場の豊富な下流支部に住人がどんどん移住する。里山の消失は当然の成り行きだろう。すると、里山尾根は将来、巨大木が連なり野獣の住み家となるのか。私のようなヤブヤマ派登山者にとって期待してよいのか、憂れうべきなのか見通せない。

<注 新鉱工業会社美山鉱山>
ドロマイト(石灰石・石灰岩)の採掘販売 面積41ha、1970年開業。ドロマイトはセメント、ガラス、肥料の原料、ふりかけの材料にもなる。

<ルート図>

発信:10/15

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