大垣山岳協会

秋のテント泊山行・槍ヶ岳(新穂高~槍平)№1 2022.10.08-09

槍ヶ岳

【 一般山行 】 槍ヶ岳 ( 3180m Ⅱ△(亡失) ) 丹生 統司

 今夏は連休と天気のめぐり合わせが悪く北アの計画がことごとく中止となった。この槍ヶ岳は当初10月8日~10日で計画した。10日は嘗てオリンピックの開催日で11月3日と共に晴れの確率が高い。しかし、その特異日も怪しくなって2泊3日の計画を1泊2日に切り替え最短コースで行った。

  • 日程:2022年10月8~9日(土~日)
  • 参加者:L.丹生統、SL.後藤正、加藤美、藤野一、三輪唯、村田美、森川浩、山本知
  • 地理院地図 2.5万図:笠ヶ岳、穂高岳、槍ヶ岳
<ルート図>

10月8日(土) 曇り後霧雨

  • 行程:深山荘前無料駐車場6:55-登山指導センター7:05-穂高牧場8:05-白出出合9:10-滝谷出合10:45-槍平12:20

 登山指導センター前の駐車場は16時以降が施錠閉鎖で車の持ち出しが出来ないとのことで深山荘前の無料駐車場に引き返した。勿論、指導センターに立ち寄って登山届は提出して出発した。

 穂高牧場へはショートカット組と林道組に分かれたが6分ほどショートカットの方が速かった。牧場では飛騨牛が草を食んでおり「美味しそう」の意味深の声が聞こえて来た。

 白出沢出合で休憩、普段は伏流してガラ場であるが大雨後の増水時は危険な所である。

 実は私の登山はこの白出沢から奥穂高、前穂高を登り上高地に下りたことに始まる。全く登山経験のない素人3人で穂高に登ろうと誘われた。初めての登山は行動時間中に昼飯を固形燃料で炊きオカズは缶詰だった。登山には無知だったが飯は美味しく景色も心に残り大垣山岳協会へ入会のきっかけとなった。

 白出出合から山道となって大石を踏んだり避けたりして進むが昨日までの雨で石は滑って足元に注意が必要だった。近年温暖化で雪崩遭難は少なくなったがその昔の冬期、槍平までの通過にはブドウ谷、チビ谷、南沢の雪崩危険地帯が有って降雪直後は注意が必要だった。

 滝谷出合、左岸にブロック造りの避難小屋が昔の姿で残されていた。昭和48年暮れの冬合宿、南岳南西尾根から槍ヶ岳を目指すため初日にこの避難小屋を利用した。その日偶然、東京の超有名某山岳会とこの避難小屋で夜を過ごした。彼等は涸沢岳北西尾根から奥穂高を目指していた。メンバーの中にアルプス三大北壁を冬期に世界で初完登したHも居た。翌朝、互いに健闘のコールを送り小屋を後にした。雪の多い年だったが正月を過ぎて我々は無事に計画を遂行し下山した。高山市内で食事に立ち寄ったカツ店で新聞を見てビックリ「北壁三冠王死す」の大きな見出し、H他の雪庇踏み抜き遭難記事が報じられていた。

 滝谷の河原で休憩、奥に雄滝が豪快に豊富な水を落としていた。昭和50年4月末の春合宿は涸沢集中、佐竹前理事長とあの滝を越えて滝谷の岩を攀じたありし日を思い出した。

 滝谷を渡ると藤木レリーフが有る。藤木は滝谷を飛騨の案内人松井憲三と共に初登攀した。関西出身で日本にロッククライミンクラブ(RCC)を創設した人である。説明文は読んでいないがおそらくそんなことが書いてあるはずである。

 槍平は中岳から西に派生した尾根の末端でテント場は飛騨沢の河原の一部である。トイレ使用はテント泊料金に含まれていたが1人一泊¥2000は年金生活者にはキツイ。

 今回テントは個人としたがコロナ以前は6人用テントでの集団生活が基本であった。テント生活の基本技術は大切で整理整頓を心掛け少しでも広く使うことが肝要である。それを怠ると狭くなり直ぐ物が行方不明となる。また合図して動かないと鍋をひっくり返し大騒動となりコンロは火事の恐れもある。だから新人は寒いテントの入り口が指定席で有った。特に冬山ではテント内を濡らさぬ工夫と気配りが大切で口やかましく言う有難い先輩が必要で彼等に育ててもらうのであった。テントは換気が必要で死亡事故も多かった。

 初めての冬合宿は八ヶ岳でリーダーのテントが火災を起こした。そのテントはシュラフも畳まずマットの上にほったらかしであった。ローソクの灯を消したつもりでテントの入り口を絞めたが火は消えておらず山から下りて来て異常に気付いた。急遽下山となったが落ち武者のごとき敗退で有った。レベルの低いリーダーで今も反面教師としている。

 現代ではプライベートが優先し個人用テントが主流であるが生活の基本は同じである。確かにテントの軽量化が進み昔とは比較にならない。今山行、それでも老人2名は早々にペアを組んでより軽量化を図って若者について行こうと努力をした。

 上の写真は翌日9日のテン場の撤収風景である。北穂高滝谷のドームが中央に見えて黒い滝谷の岩壁に白い筋は左がC沢、右がD沢である。D沢右の高みが涸沢岳で西尾根を右俣に落としている。冬期、奥穂高への一般的な飛騨側登路はこの西尾根である。西尾根の奥に見えているのは西穂高と西穂高西尾根である。奥穂高は涸沢岳西尾根の蒲田富士と重なってチョコンと三角形の頭のみ見える。これがジャンダルムである。

 天気が良ければ8日のテント設営後に飛騨沢対岸の奥丸山に登って滝谷岩壁群を説明する予定であったが濃いガスに包まれており止めた。

 又、この風景を肴にビールをいただくつもりであった。既に小屋でビール350ml缶¥600を3本購入していたのだが生憎の霧雨模様となって来た。寒くて早々にテントに入った。メンバーとのスキンシップはお預けとなったがビール缶は直ぐに空になった。明日は午前4時出発を告げて横になった。

№2へ続く。


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