月報「わっぱ」 2022年6月(No.487)
【 週日山行 】 点名・弥高山 ( 495.2m Ⅳ△ )、弥高山(点名・城跡) ( 838.7m Ⅳ△ ) 堀 義博
- 日程:2022年5月18日(水)(晴れ)
- 参加者:L.堀 義、安藤正、岩田嘉、大谷早、小倉繁、桐山美、高橋文、宮川祐
- 行程:岐建駐車場7:50=上平寺駐車場8:25=弥高墓地駐車地8:30~8:40-点名・弥高山9:20~9:30-弥高百坊本坊跡10:15~10:30-弥高山10:50~12:00-京極氏遺跡天守台12:30-京極氏庭園跡13:10~13:20-上平寺駐車場13:25=弥高墓地駐車地=上平寺駐車場=岐建駐車場14:20(解散)
- 地理院地図 2.5万図:関ヶ原(岐阜12-2)
今回の週日山行は2月に計画したけれど、雪のため別な山に変えたものである。弥高尾根は積雪期の伊吹登山によく利用されるが、今回のような遺跡を訪ねる山旅は、やはり雪のない時に限ると感じた次第である。
岐建駐車場を車2台7人で出発。上平寺の駐車場で大谷さんと合流。彼女の車をそこにデポし、8人で弥高の集落に向かう。集落外れにある墓地の空き地に駐車し、出発準備。
集落の中から神社の横を通り登山口へ。そこから杉林の中に良い道が続いている。弥高百坊へ行くための昔からの道で、ジグザグを切ってうまく作られている。ただ、あまり手入れがされていない。枯れ枝が散乱し、倒木がかぶっている所もある。先にあれだけ立派な遺跡があるのだから、もっと手入れをして多くの人に登ってもらったいいのにと思うが、地元にとっては逆に迷惑なのかもしれない。難しい問題だ。
そんな道を登ること40分で、左から上がってくる林道に出会う。すぐそばには点名・弥高山の四等三角点があるが、なぜか標石が傾いている。根入れが浅かったのだろうか?
その先の旧道はさらに悪くなるので、林道を歩く。林道は大きな崩れもなく歩きやすい。30分ほどで林道終点。そこにはベンチがあり仮設トイレもある。やはり人には来てほしいと思っているようだが、どうだろう。
その先は尾根筋に気持ちのいい道が続き、しばらく登ると突然林が切れて原っぱに出る。弥高百坊の跡地だ。
何段にもわたって僧房跡の敷地があり、一番上の本坊跡は周囲を土塁に囲まれて広く、まるで二の丸三の丸を従えた本丸のようだ。そういえばこの時代は、石山本願寺のように、お寺はほとんど堅固なお城だったのだろう。
土塁の西端からは目の下に長浜の町と琵琶湖が広がり、竹生島がポツンと浮かんでいる。東隣の尾根にはほぼ同じ高さに京極氏の城跡が見える。立木は無く、本当に気持ちの良い原っぱである。
その先も土塁や堀切などがあり、やがて上平寺からの道と合流し、少し登れば弥高山の頂上。道標には「伊吹五合目」と記されている。北方正面に弥高尾根と地獄谷を控えた伊吹山が大きい。ここは5合目だけあって、まだまだ高い。南東の方向は養老山脈や濃尾平野の見晴しはいいが、西の方琵琶湖が見えないのがやや物足りない。三角点は少し離れた林の中で、見晴らしの無いところにあった。
時間が早いのでゆっくり食事を摂る。いつものように他愛のない話に花が咲く。今日のメンバー8人の内80代が5人。5Gと揶揄されているが、全員が元気に参加して登ってこられたことが嬉しい。僕も5年後にこのように元気でいたいものである。
帰りは上平寺に向かう尾根を辿る。これも気持ちのいい道である。先ほどの弥高百坊に行くトラバース道の分岐の少し先に、地図上で京極氏遺跡と記された上平寺城の本丸跡がある。弥高百坊と違い、周囲に立木があるので見晴しはそれほど良くない。その下、標高差40m、距離にして250mほどの間に二の丸跡、三の丸跡などが連なり、ここもかなり大掛かりな城であったことが分かる。
城跡からはかなり長い間尾根を下る。下りきったところには京極氏の庭園跡がある。ここが普段の生活の場であったのだ。火急の時はあの尾根を登って城に入るのだろうが、ご苦労なことだと思った。そこから5分程下ると車をデポした駐車場に着く。
今回のルートは、最初の登りの道の状態が今一だったが、後はよく整備されており、中世の遺跡を巡る素晴らしいルートだと思う。もっと多くの人に歩いてもらいたいものである。
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