【 一般山行 】 尾城山 ( 1132.9m Ⅱ△ ) 丹生 統司
当会5月の一般山行は加子母村と東白川村、白川町に跨る尾城山で村田美保リーダーの下で行われた。この日はゴールデンウィークの最終日で連日の好天がまだ続いていた。山頂の笹原には切り株の椅子が沢山有って5月の陽光を浴びてランチタイムが楽しめた。
- 日程:2022年5月8日(日) 晴れ
- 参加者:L.村田美、SL.丹生統、安藤正、奥田恭、小倉幹、小倉繁、北川稔、桐山美、近藤味、竹森せ、藤井利、宮川祐、宮澤健、山本知、山中晴、安村單
- 行程:有本登山口9:35-尾城山山頂10:40~12:00-登山口12:45
- 地理院地図 2.5万図:小和知
有本林道がヘアピンでカーブする所の膨らみに駐車して出発した。連日の好天で杉林に付けられた登山道の足元は乾いており登山口付近にヒルはいなかった。先ずは一安心。
「山野草採取禁止」の立札が有ったが杉の植林帯にそれらしいものは無かったが、、、
橋は2ヶ所有ったが古くなっており軋んだ。枝沢が出てくると足元の道が濡れておりヒルが出てきそうな雰囲気の所が有り油断できなかった。
途中に休憩所の看板が有って休まねばいけない雰囲気だった。しかし丸太のベンチは苔むして相当古く座ると青ゴケが衣服に着きそうだった。
山野草といえばマムシグサは登山道の脇に数本を見た。他にホトトギスも足元に多かった。小さなササユリを2本見つけたが花芽は無かった。
湿気の多い谷らしくサワグルミの大木が目を引いた。いつの間にか杉の植林帯から広葉樹林帯となって若葉が眩しかった。
「佐見川源流」の看板が有り苔むした石が堆積した窪地を覗き込むと石下の砂地から佐見川の最初の一滴が浸み出していた。
尾根が近くなると丈の低い笹が出て来た。芽吹いたばかりの若葉が萌黄色で眩しい。
尾根に出ると道標が有って東の加子母村に道が下りていた。北には広い尾根が続いており嘗て戦国時代には舞台峠へ軍用道が拓かれていたそうだ。尾根には白樺の木が多かった。
尾根や落葉樹林帯の林床の笹は丈が低く葉の両縁は白い麩が入っていた。笹葉だけを見るとチシマザサに似ていたが軸が細く丈が低いので違う種なのだろう。シナノザサが冬枯れ状態だったかもしれない?
山頂到着、点名・尾城Ⅱ等三角点。2014年7月に「岐阜県のⅠ、Ⅱ等三角点訪問」では標石柱が小学生の持ち上げた「記念の小石」で覆われ隠れていた。石柱を捜して右往左往した。山積みの小石の下に発見するまで25分も費やした思い出がある。
北東の方向、小秀山の奥に御嶽山が白い噴煙を上げていた。2022年4月噴火警戒レベルが「1から2」に引き上げられて地獄谷噴火口から半径1㎞が立入禁止となった。南斜面は雪が少なくなって夏山が近いと感じた。安心して登れる日が早く来て欲しい。
登山口の看板によれば「尾城」とは尾根に有った城という。しかし、山頂には人工的な平地や土塁、堀切跡等は確認出来なかった。物見やぐら程度の砦跡だったのであろうか。
北西の方向には樹木の間から白山が見えていた。右に三方崩山と左に少し離れて別山を従え、たっぷりと雪を載せて白山の白さが際立っていた。西方遠くに伊吹山がそれと判る山容で霞んで見えていた。伊吹が見えると何故か嬉しかった。
五月晴れの好日であった。1時間20分のランチタイムは笹原の切り株を各人選んで椅子にした。適当な間合いが保たれてコロナ禍の会話にはちょうど良かった。和気あいあいとした楽しい時間で有った。何処かのグループではロシアの蛮行が話題になっていた。ウクライナの方々にもこのような時間を過ごせる平和な日々が速く来て欲しいと思った。
この山は当協会指定の美濃百山A級である。美濃百山を幾つ登っているかリスト表でチェックしていただきたい。今日が初山行の方もいたし会員となって日が浅い方もいたが共通の目的を持つと会話も弾み打ち溶けやすい。尾城山をきっかけに美濃百山に挑戦していただきたい。完
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