【 個人山行 】 ソノド ( 926m Ⅲ△ ) 丹生 統司
ソノド925.8mは鈴鹿・霊仙山1094mの東に在って大垣市上石津町時山の藪谷と幾里谷を分ける尾根の高みである。Ⅲ等三角点・点名はソノドヲである。
- 日程:2022年1月25日(火) 晴れ
- 参加者:L.丹生統、柴田悦、竹森せ、三輪唯
- 行程:幾里登山口7:45-高塚山9:35-ソノド山頂11:30~12:20-高塚山13:55-幾里登山口14:55
- 地理院地図 2.5万図:霊仙山
ソノドは年初の笠置山で三輪氏と約束していたが延びていた。雪が落ち着いた頃を見計らい再計画したがジジイ二人では味気ない、美人を誘って出かけた。
ソノドは上石津町上多良財産区で多良地区では最初に雪化粧する山と地元で生活する三輪氏は語る。その彼が今から取り付く尾根の傾斜を見てピッケル、アイゼンを持参していない我々3名を驚きの目で見た。取り付きは険しそうだが樹木が有り何とかなる?地形図を見れば鉄塔が有り巡視路は期待できると思ったが、登山口の標識を見て「なんじゃこりゃー」
この鉄塔までは地形図で巡視路を確信していたが登山道が整備されていたとは、面白味が一つ消えた。随分以前に藪谷から急な尾根に取り付き登ったが尾根末端の100mが雪が消え地肌が丸出しで凍っておりヤバイ思いをした記憶がある。アイゼン、ピッケルを持参しておらず下山は雪の斜面を谷へ下った。そのルートはソノド山頂へは最短であるが藪谷林道のラッセルが長く今年の深雪では無理と諦めた。それでこの尾根にルートを求めたのだ。
背後を振り返ると烏帽子岳と三国岳の稜線が見えた。今年はしっかり雪が有っていい景色。
登山口の雪を見た時は深くて山頂まで届くか心配したが尾根に取り付くと意外やそれほどでもない。しかし、南斜面の雪は昼間に融かされて夜半の冷え込みで表面が最中の皮状態となり1㎝ほど凍って固いが力を入れ踏ん張ると10㎝ほど沈んだ。深いラッセルを思えばこれくらいは辛抱しなければと思うが結構辛いのだ。
尾根の途中にはイノシシが餌を捜して掘り返した跡が数ヵ所、温暖化を甘受してきた彼等にとっては今季の多雪は死活問題であろう。
標高730mの高みには「高塚山」の山名板が有った。M氏の調べによれば地元時山の友人たちは子供の頃この山を「たかつか」と呼び遊び場にしていたそうだ。このピークまで旨くラッセルがこなせて2時間弱で着いた。山頂へ届く確信を持った。
すじ雲(巻雲)が綺麗だった。高度5000~13000mに発生する上層雲である。この日ソノドは風が無く穏やかであったが5000mの上空では強風で有ったのだ。
高塚山の西側斜面には杉の幼木が植林されており霊仙山、鍋尻山方向の展望の邪魔をした。霊仙山は周りの山より一段高くて一際白く輝いて際立っていた。
高塚山から長い下りが標高596mの最低鞍部めがけてゆるゆると続いていた。北向き斜面が幸いし雪質は良好だったが時折木の根付近の落とし穴の罠にはまり黄色い声を発した。
最低鞍部付近は霊仙側から強風が吹き抜けるのだろう。雪が飛ばされて地肌が丸出しで有った。ただ注意しないと地面は凍結しておりワカンの爪が曲がったり折れたりも有る。
狙って撮影した訳ではない、休憩風景を撮ったのだが女性の動きとMの画が対象的過ぎて痛々しい。彼は会の在籍は長いが久しく山から遠ざかっていて昨秋に復帰した。青春時代の古い仲間で昭和48年錫杖岳前衛フェースに初めて挑んだ時のザイルパートナーである。これを機に我が会は錫杖岳へ通うようになりハンマー音をクリヤ谷に響かせるようになった。その草分けの彼も彼女たちと同等になるには後3ヶ月の努力と辛抱と頑張りが求められる。山登りに必要な筋力を手に入れれば楽になるだろう。
トップは男女の区別なく交代で行った。広い尾根の斜面は何処でも自由に歩けたが時折立ち木が細い小枝を真横に延ばしているのに気付かず頬を叩かれてサングラスを飛ばすこともあった。
最後の休憩風景、地形図で確認すると前方に見えるのは山頂ではなく前山であると判った。地形図を読むことは先読みをすること事前予習で落胆せずに済んだ。
「山頂まであと少し」とか「ガンバレ」等こまめに丁寧に標識は続いていた。この頃は世界遺産だ、百名山、三百名山と山の観光化や商業化が進み自然保護の名目で登山料の徴収が行われている。景観は汗で手に入れるもので金で買わせようというのが気に入らない。だから登山道をこれ以上増やす必要はない、知識、技術、体力に合った分相応の山に登ればいい。
尾根が細くなって空は青く、春山の雪稜を歩いている気分になる。今年は5月まで雪山が楽しめそうである。
空を見上げると気まぐれに、雑に、いい加減にホウキで掃いた掃除跡のように見える巻雲が印象的であった。正面は養老山脈で左の高いのは笙ヶ岳である。
北東方向手前の山は霊仙から続く稜線上の高みボンテン、その左奥は池田山である。中央に濃尾平野が広がり牧田川を挟んで養老町沢田から笙ヶ岳へ尾根が続いていた。
北に伊吹山と金糞岳が見えて山頂の展望は良かった。あれほど多かった目印や標識は山頂の何処にも見当たらない、多分雪に埋もれているのだろう。点名・ソノドヲの標石柱は深い雪の下で冬眠中だ。南斜面の冬の日溜りは暖かく早や春山の気分になるのだった。
帰りに雪面に残された鮮明な猿の手形を見つけた。大きさが違うが人間と見間違うようにそっくりなほほえましい手形についシャッターを押した。
ソノドは地元多良地区では「宋ノ堂」と呼ばれていたようだ。明治の陸地測量部は地元の意をくみ点名をソノドヲとカタカナ書きにしたのだろう。大垣市営の緑の村で頂いた上石津町案内略地図に霧ヶ峰との記述が有ったように記憶が有るが後づけの山名に思えてならない。霧ヶ峰は格好良すぎてヤブ山に似つかわしくない。ソノドが単調でいい山名だ。完
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