大垣山岳協会

我が家の窓から見える山、点名・一本杉 2021.12.09

点名・一本杉

【 個人山行 】 点名・一本杉 ( 531.9m Ⅳ△ ) 丹生 統司

 窓のカーテンを開けてその日の天気を窺う、隣の屋根瓦が濡れておれば意気消沈、南に遠くの山が見えると今日の天気を安堵する。日々天気を占う山の名を地形図とコンパスで点名・一本杉であると割り出した。山の麓に住まう古い山仲間を誘い出し確認に出かけた。

<ルート図>
  • 日程:2021年12月9日(木)快晴
  • 参加者:丹生統、三輪唯
  • 行程:勝地峠8:20-点名・一本杉(ナガムネ)10:40-勢州峠11:50-ボンテン(犬の尾)13:30-勝地峠15:30
  • 地理院地図 2.5万図:霊仙山

 大垣市上石津町の勝地峠はその昔、伊勢街道の難所で牛馬が通行できず人が荷を背負い歩(かち)によって運んだので歩路(かちじ)と言った説と羽柴秀吉が北勢討伐での勝ち戦で越える際に「勝地」と名付けたとも伝わる。1600年の関ケ原の役では島津義弘が島津の退き口「捨てがまり」を展開して越えた峠でも有る。その峠の膨らみに駐車して出発した。

 友の50年前の古くダサいザックが懐かしい。林道を歩き、標高220mで尾根に取り付いた。

 尾根に出て北東側が開けると眼下に上石津町一ノ瀬集落と牧田集落の間を牧田川がうねっていた。背後に南宮山から象鼻山が見えて後方に百々ヶ峰と金華山、遠くに御嶽山と中央アルプスが霞んで見えていた。

 植林保護の獣害ネット沿いに歩く、南東に笙ヶ岳が養老山脈の盟主の趣で君臨していた。

 途中で作業道が現れ歩きやすくなり標高520mで関ケ原町と大垣市上石津町多良の境界である主稜線上の林道に出た。

 境界の林道を東に辿ってから北に向きを変えて再び踏み跡のない尾根に分け入った。所々に目印が残され境界杭が案内をしてくれた。一本杉への尾根は下草が無く歩きやすい所も多かったが照葉樹が邪魔をする個所も所々で有った。

 主稜線林道から蛇行する境界尾根を北に1.4㎞辿って点名・一本杉に着いた。点名の大杉は山頂に3本ほど有った。何故一本杉なのか、我が家からは重なって一本杉に見えるが?

 照葉樹の幹に「ナガムネ」と書かれた山名札が、上石津町多良では「ナガムネ」の呼称はないとか、関ヶ原町今須ではそう呼称しているのか、調べてみる必要あり。関ケ原町の我が家が見えないかと北の方向へ眺望を求めたが間伐をせず枝打ちもしていない放置植林帯と照葉樹林に遮られ全く見通せなかった。

 一本杉から引き返して主稜線林道を西に歩き「点名・勢州峠」に着いた。勢州とは伊勢国のことで嘗て関ヶ原町今須の住人はこの峠を越えて伊勢参りを行った。昭和の高度成長期まで今須と上石津町多良地区は峠を跨いだ交流が行われていたと同行の三輪氏は言った。三角点傍の陽だまりで休憩中に山里の昔話に耳を傾け興味を持って聞いた。

 主稜線林道を更に西へ1.5㎞進みボンテン(犬の尾)を目指した。林道から鉄塔の有る高みに登ると烏帽子岳、三国岳、御池岳、藤原岳が眺められ、その左に伊勢湾が映えていた。

 北には伊吹山が東に尾根を延ばし相川山、明神山、池田山と連なり、我が町関ケ原の街並みが見えた。遠くに白山が雲と見間違うほど白い山頂部を見せていた。

 鉄塔から5分ほどでボンテン(犬の尾)に着いた。山名について、関ケ原町今須では「ボンテン」上石津町多良では「犬の尾」と呼んでいるようだ。

 帰り道は笙ヶ岳を眺めながら昔話に花が咲いた。肩を並べて歩くのはS48年錫杖岳前衛フェースを登攀以来だ。勝地峠までの林道歩きは短く感じて退屈しなかった。

 窓から眺めて気になっていた一本杉の山頂石柱に触れて満足である。古い友人を山に誘い出せて又満足、これを機会に週末を一緒に過ごせる日々が来れば大満足である。完

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