最初の三棟山から福来に向かう途中で大きな道間違い、その後に今度は大事なカメラを落とし紛失。引き返して苦労の末、奇跡的に回収。さらに突然の雷雨。三重苦心の末、ほぼ想定通りの行程を果たし終えた。苦あれば楽あり、前進すれば福来る。
【 個人山行 】 三棟山 ( 629m △Ⅲ )・福来 ( 685m △Ⅲ ) 鈴木 正昭
- 日程:2021年9月6日(月)
- 参加者:単独
- 行程:自宅5:50⇒国道41号→岐阜県下呂市金山町中津原集落(駐車・標高250m)8:05→下洞歩道→8:45峠(佐見道分岐)→9:15三棟山9:45→10:05佐見道分岐→鉄塔巡視路→10:40第1伐採地(中電19号鉄塔)→10:50第2伐採地→12:30紛失カメラ発見→12:45尾根左折→1:20点名福来→2:10崩壊作業道→狸穴林道出合→3:30福来・奥洞→市道福原線→野首→5:05駐車地
- 地理院地図 2.5万図:焼石・金山
手頃で面白そうなコースを探すうちに、表記の山を狙うことにした。資料集めをするうちに、13年前の冬に登っていたことに気づく。山行記録記事まで残していたのに。記憶はおぼろ千切れ無残。かえって新鮮な視野で登ろうと、好天予想の朝、中津原最奥の民家の空き地に許可を得て駐車。民家の婦人にヒルがいるから気を付けてとの忠告。あわてて持参のディート防虫液を足元に振りかけて出立。
登山口に三棟山登山道の古い看板。わが古い記憶庫から浮かびでてきた。下洞に入るとすぐ、古い石垣が幾つもあり、その中を登山道が上がっている(写真①)。水田跡である。幕末に地元の農家が開いた2反(約2000㎡)の田んぼで60年ほど前に放棄され、今では日差しの届かぬヒノキ林野となった。水田跡を脱し、薄暗い九十九折れの歩道を上り詰めると峠に達しそこに「右 三棟山 左 佐見」の看板。中津原から白川町佐見を結ぶ往古からの山道がここを通っていたのだ。峠から平らな下洞上流筋を少し進んで、登山道は左岸側の尾根に取り付く。このあたりの下洞上流部にも昔、水田があった。登山口の看板に位置の説明があった。
約120mの登りは分厚い腐植土と枯葉のふわふわ斜面。曲がりくねる登山道を無視して尾根の背を直登した。山頂部はヒノキ林が途切れて、アカマツやコメツガ、広葉樹の樹林に包まれ日差しが届き明るい。地域の人々が信仰登拝してきた「三山大権現」の祠の前で記念撮影(写真②)のあと、西側の展望所で一服。眼下に飛騨川右岸の下原町街、中央奥に高賀山、左上に伊吹山の山並み(写真③)が薄っすら見える。
この展望台は抜群の眺望度を誇ったが、最近は周りの木々が生い茂り、視覚を狭めているようだ。展望台には下原小学校の集団登山の記念木版が10枚ほどあったが、ここ数年の新しい木版は見たらない。後で地元住民に聞いてみた。同小は数年前に金山小学校に吸収されたので、集団登山も廃止となった。そのせいで、地元民による手入れが薄れたようだ。自然教育の大切さを考えれば続けてほしかったように思う。
佐見道に入ったつもりで、鉄塔巡視路に入りそのまま進んだ。送電鉄塔のある尾根の上に登ると、驚いたことに山頂部一帯が丸裸(写真④)。ごく最近全面伐採したらしい。重機を運ぶ林道もないのにどうやって、何のための皆伐だろうか。この皆伐のせいか尾根筋に踏み跡が付き、やたらビニルテープが張り巡らされ、つられて進む。二つ目の皆伐ピークを過ぎて20分後、ザックの左肩ベルトに装着のカメラバッグが空になっている、つまり紛失に気づく。この5月末に購入したばかりの大事なカメラである。数十枚の写真データも記録してある。すぐ引き返して回収に向かう。 足元ばかり見つめて、最初の皆伐地まで戻ったが、見当たらない。あきらめの気分を抱きつつ福来への道を進む。紛失に気付いた地点の少し前で眼前にカメラが現れた。高さ1.5mほどの朽ちた木の株のささくれにストラップが掛かりカメラがぶら下がっていた。天の助けか仏の慈悲か。ただ、幸運への感謝が身を包んだ。1時間半の損失は報われた。
でも、捜索開始直後にここを通過していた時なぜ見つけなかったのか。地面ばかり見ていたのか。でも失態の元は当然自分の不注意、怠慢にある。カメラバッグの蓋を留め金で閉め忘れていたことだ。古い過去にも同様の過ちをした記憶がある。過ちを犯さぬ人はいない。過ちを減らすための前進を続けようなどと考えながら、荒れた崩壊林道に出てすぐ福来への尾根によじ登る。
ヒノキの人工林の中、薄暗い平坦地に福来の三角点を見つけた(写真⑤)。山名板もテープ類もない。眺望もゼロ。「福来」は下山路の途中にある大字名。縁起の良い名であるため、けっこう登山者がいると13年前の私の山行記録にあった。 近年は見捨てられているようだ。
福来山頂からやぶの斜面を北側に降り始めると、上空からごろごろ、雷鳴と大粒の冷たい雨粒が落ち始める。そして廃林道に降りる崖っぷちで強い雨が降り出す。崖上に立つ大ヒノキの陰に隠れ雨宿り15分余。雨間を突いて、長めのテープスリングを木の切り株に掛けて、ぶら下がって約3mの崖を降りた。落ちていた細い木を使ってスリングを回収。そこで土砂降りになり、林道脇で雨具をつけて傘をさして降りる。
この道は「路網整備加速化事業 狸穴1号線」だ(写真⑥=右後方の崖下に降りた)。このように荒廃に任せてしまう 道づくりが路網整備加速とは不可解である。「狸穴」とは道の北尾根にある4等三角点(597m)の点名でもある。そこにも登る当初計画は雷雨により割愛、やがて車も通れる狸穴林道に入ると雨は止んだ。谷の名は黄綿(きわた)谷。途中で中電の送電線工事飯場が現れた。そこから南西の尾根に向かって一直線の切り開きが延び、運搬用の架線らしき線が見えた。
福来の奥洞集落に着いてすぐNKさん(78)に声を掛けた。彼は狸穴方面の山林地主でもあり、中電工事とも関係しているそうだ。途中で見た工事現場は瀬戸川辺線の鉄塔更新に伴うもので創設後6.70年を経た鉄塔を位置も見直して更新するようだ。私が見た2カ所の皆伐地にも新塔が建つのだろう。
同氏は「福来のツツジ山」の園主でもある。奥洞に着く手前の道脇にその案内板が出ていた。荒れた林野を刈り払い、ミツバツツジ、ヤマツツジ、レンギョウなどの育成に精を出している。4月の花期には来園をとのお誘いを受け、快諾した。 この後中津原への市道福原線沿いの自宅に郷土史家NSさん(92)を訪ねた。13年前の山行後に情報をいただいたお礼をしたかった。幾分、耳が遠くなり山入りは控えているようだが、お元気そう。近年の温暖化による山地の土砂崩壊事故の多発を憂えておられた。3年前の7月、裏山からの土砂崩れで家屋内が砂まみれになった。さらに、三棟山下の水田跡の遺構も鉄砲水で消失したのだろう、と語っていた。 氏は私のことを覚えているそうだが、私はどんな経緯で接触したかさっぱり覚えがない。それでも、山登りは何とか続けている。
発信:9/10
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