大垣山岳協会

野滝山 そして 名無し沢歩き 2021.05.13

野滝山

 岐阜県下呂市南部の地理院地図で山名が記載されながら、未踏のままの野滝山に登ろうと計画した。林道の竹原峠から30分弱で登頂。物足りないので、ついでにその先、高度300mほど下って4等三角点大岩ヶ平を探したが見つからず。さらについでに、その西側を北上する無名の小さな沢(野滝沢と仮称)を遡行。荒れてはいるが手つかずの沢筋。自然の奥深い姿にその教えを読み取りたいものだ。

【 個人山行 】 野滝山( 881.9m Ⅱ△ ) 鈴木 正昭

  • 日程:2021年5月13日(木)
  • 参加者:単独
  • 行程:自宅6:20⇒尾張パークウェイ⇒国道41号⇒下呂市竹原:右折⇒国道257号⇒上原口⇒県道62号(下呂白川線)⇒下夏焼⇒鳥屋ヶ野⇒林道鳥屋ヶ野大洞線⇒8:40竹原峠で駐車
    駐車地9:15→北西尾根→9:45野滝山(点名宮地△Ⅱ)10:00→北西尾根→11:20点名・大岩ヶ平(△Ⅳ)付近11:40→西方の沢に向け降下→12:00沢本流→12:30小ゴルジュ帯→2:20野滝山→3:00竹原峠(710m)3:20→3:40点名・そば山(743△Ⅳ)→峠駐車地
  • 地理院地図 2.5万図:宮地

 県道下呂白川線沿いの鳥屋ヶ野集落から国道257号沿いの下呂市宮地の竹原地区に延びる林道鳥屋ヶ野大洞線に入る。完全舗装された道を進み、竹原峠に車を置く。立派すぎる御影石の「竹原峠」碑の横から斜面に薄い踏み跡が延びている。低いミヤコザサを振り分けて小さな尾根上に出ると、そこに先の林道からの分岐林道が上がってきて合流。幅の広い素掘り道を少し進むと左側のヒノキ林の斜面に薄い踏み跡が上がっていた(写真①)。

写真①

 樹齢30年程のひょろひょろヒノキ林内。眺望はゼロだが、尾根筋一杯に広がるミヤコザサの薄緑の原っぱを踏みしめ進むのは心地よい。ササも嫌われ役ばかりではない。出発後30分弱で小高いササ原に半径2mほどの刈り払い。野滝山の三角点石が座っていた(写真②)。

写真②

 眺望は乏しいが、東側の木々の隙間に小秀山や唐塩山方面の山嶺がチラリ見えた。青空から落ちる日差し。ヒノキに混じるミズナラなどの落葉樹の緑葉がまぶしい。ゆっくりしたいが、まだ「ついで」が待っている。北西尾根を下り出す。尾根筋ではすぐにヒノキ人工林が消えて落葉樹が多くなる。一面緑の世界となるが、840m付近から再びヒノキ人工林に戻る。尾根筋は真っ直ぐとはいかず、4回左右に大きく曲がる。途中2回ほど少しの誤進の後修正。踏み跡はないが、小さな境界杭が点在していた。

 想定コースを進み、標高560~570m辺りで4等点名大岩ヶ原を探す。ヒノキ林の下、シキミ、アセビ、シロモジなどの低層樹が緩い斜面にまばらに生える。30分ほど探し回れど見つからず、野滝沢に向って下り出す。トラバースの後、小尾根を直降し標高約470mの本流に出た。

 沢幅15mほど、大岩が転がり、ヒノキの倒木の多い荒れた模様(写真③)。釜、トロやナメといった沢登りおなじみの光景はない単なるガレ沢の様子である。水量が少なく、用意した沢装具を付けずに河原の中を行く。標高600m辺りから沢幅が狭くなり、幅2mほどの小さなゴルジュが出始める(写真④)。小さな岩塊を直登したり、足を滑らして流れに転ぶなど小さな苦戦もあった。

写真③
写真④

 沢筋に人工物、護岸や砂防ダムなどの工作物はいっさいなかった。沢の両斜面は全面ヒノキの人工林だ。植林や手入れのための作業道の跡も見つからない。なぜだろう。不思議だ。標高700m余で右岸側に平坦地を見たので、上がってみた。そこに「本州製紙 野滝社有林」の大きな看板があった。(写真⑤)。

写真⑤

 だったら作業道があるに違いない。辺りを探したが、枯葉腐葉土が広がるばかり。道の痕跡はなかった。本州製紙は1996年に王子製紙に合併されている。点名宮地の「点の記」には土地所有者は王子製紙とある。王子社有林は山頂一帯を含む相当な面積であるようだ。 

 沢は次第に広さを増して、水量が減って東に曲がる。最後に広いカール状のササ原となり、主稜尾根に出て野滝山山頂に戻った。ただ、最上部で想定した野滝沢本流から離れて1本西側の沢筋を上がった。最後の登りで、久しぶりに足の変調が起こった。ゆっくり野滝山山頂部から峠駐車地に戻ってすぐに、空身になり、峠の東尾根上にある点名そば山へ向う。わずか50mほど上がるだけだが、ここでもミヤコザサの下に隠れていて探すのに苦労した。

 帰宅後、沢の名前と本州製紙の野滝社有林の歴史を知りたくて、あちこち手を尽くした。下呂市建設課によると、沢には公式的な名は付いていないという。堰堤や付随林道などの公共事業があれば便宜上付けることもあるが、この沢については無名のままだ。地元の宮地の住民が付けた名がある可能性はあるが…。

 野滝社有林の看板には「入林許可先は下呂市宮地 熊崎 ××氏」とあった。電話してみると、番号は無効となっていた。本州製紙の看板は少なくても25年以上前のもの。その記載に「山を愛し緑を親しむためにも必ず次のことをお守り下さい」とある。ハイカーががここまで入れたのだ。しっかりした歩道が通っていたのだろう。

 無名で手つかずの小さな沢筋、入る道もない製紙会社の社有林。人里にごく近い位置なのに、人と隔離された山野がある。5,60年以前、この山域も住民の生活に必要な燃料や肥料材として樹木は残らず伐り切り出され、丸裸だったはず。今はうっそうとしたヒノキ人工林、或いは一部に落葉樹の大木。人々が集まりすぎ、つながりすぎて起こったコロナ惨禍。今こそ、近郊山野の自然の中に封印された山や沢を歩きたくなる。自然との自然なつながりをもっと大切にしたいと痛感した。

写真⑥=点名そば山の三角点
<ルート図>

発信:5/16

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