【 一般山行 】 南沢山(1564m △なし)、横川山(1699m Ⅱ△) 丹生 統司
4月の一般山行は小倉幹雄リーダーの下19名の参加者で神坂峠から富士見台、横川山を経て南沢山を往復した。当日朝は雲が多く風は冷たかったが午後には青空が覗いて御嶽山から乗鞍岳、中央アルプス、南アルプスの雪を乗せた山並みが遠望出来た。
- 日程:2021年4月25日(日) 曇り後晴れ
- 参加者:L.小倉幹、阿部育、安藤正、小倉繁、金光鏡(新会員)、河口加、桐山美、鈴木正、田中恵、田中善、名和妙、成瀬八、丹生統、堀 洋、藤野一、宮澤健、宮川祐(新会員)、山本知、山口江(体験山行)
- 行程:神坂峠9:10-富士見台9:55-横川山11:25-南沢山12:50-横川山12:20~13:00-富士見台14:45-神坂峠15:30
- 地理院地図 2.5万図:兀岳
神坂峠の登山者専用駐車場は満杯で分散して駐車した。シーズンオフの萬岳荘を横目に小石の多い谷筋沿いの道から先ずは富士見台を目指した。
県境尾根に出ると低い笹が尾根を埋め、風が高原の笹を波打たせて信州側に抜けていた。
富士見台とは言え富士山を見ることは出来ない。元々山伏岳と呼ばれていたが富士を見たい信者が遥拝所を設けて信仰している中に富士見台の名が定着したそうな。
今日の目的は南沢山の往復である、富士見台は通過点であり山頂でくつろぐ他の登山者を横目に一気に通過、笹の高原を北に先ずは横川山を目指した。
足元にショウジョウバカマが多かった。里山で見るものより紫色が濃いと感じた。
バイカオウレン(最初セリバオウレンと勘違い、訂正お詫びします)
ヒメイチゲ。(登山中にこの名が思い出せずイライラ、覚えてもすぐに忘れてイライラ)
目指す横川山が見えている。遠景だけを見ているとゴルフ場に迷い込んだと錯覚する。
笹の海原の先に横川山、その奥に南木曽岳、その左奥で雲のように見えるが御嶽山である。南木曽岳の右奥は中央アルプスである。
バリカンで揃えて刈り取ったように均一な笹の海の景観が素晴らしく、何となく地球が丸いのが分かるような。ちょっと大げさかな。奥に白く見えるのは御嶽山である。
左奥は南木曾岳、その右奥は雪を纏った中央アルプスの高峰群で手前は中ア南端の摺古木山から安平路山と思われる。
横川山に到着、ここに小生を含む5名が残り14名が我が会指定の美濃百山B級南沢山を目指してさらに北上した。Fさんはこの日南沢山でB級30山完登である。
彼等が南沢山に出かけている間に三角点の撮影、標石は欠けもなく綺麗、正面縞模様のカビは味が有っていい。点名・横川山Ⅱ等▲やはり山頂に三角点が有ると威厳が有る。
約50分で南沢山から戻り全員が揃って記念撮影、天候も回復して昼食休憩を楽しんだ。
横川山滞在中に天候は完全に回復した。重い腰を上げると雲が切れて正面に恵那山が姿を現せており富士見台目指して出発した。
笹の高原には所々にオオシラビソの木が有って自然と風雪の造形美に立ち止まり魅入った。
富士見台に帰って来た。登山者は誰もいないので山名柱の傍で記念写真を撮った。この真下を中央道が貫いているのだが、もちろんエンジン音も排気ガスも気配すらない。
富士見台から神坂峠へは遺跡見学をしたく県境尾根を使用したがトラバース道は遠かった。
古代律令下時代の官道神坂峠越えは東山道一番の難所であったという。昭和42、43年の発掘調査で祭祀に使用された遺物が確認されている。旅の安全を祈願したのだろうが古代の厳しい峠越えが伺い知れる。しかし険しさゆえにやがて地位を木曽谷に奪われ馬籠、妻籠の宿場の発展を横目に見ることになった。完
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