【 個人山行 】 点名 義呂利松( 642m Ⅲ△ ) 点名 大川( 449m Ⅳ△ ) 鈴木 正昭
- 日程:2020年12月23日(水)
- 参加者:鈴木正(単独)
- 行程:自宅6:30⇒国道248号⇒瀬戸・品野⇒国道363号⇒国道419号⇒500m先で駐車(岐阜県瑞浪市陶町大川)
駐車地(約360m)8:10→8:30尾根取付き→8:45点名大川→9:05登山道合流→9:35うさぎ岩→10:10天狗岩分岐→10:20天狗岩→登山道復帰→10:50点名義呂利松(ぎろりまつ)→11:10廃林道出合→12:30点名東釜付近(点石発見できず)→東釜ノ洞源流部河床→1:10砂防ダム湖→東釜ノ洞林道→1:50駐車地 - 地理院地図 2.5万図:猿爪
トレーニングを兼ねて、手頃だけど自然度、野生度の高いコースを地図で探しているうちに瑞浪市陶(すえ)町の3つの三角点に狙いを付けた。地理院地図にはいずれも山名の記載なし。地理院サイトで調べると、3つの内の一つの点名に「義呂利松(ぎろりまつ)」があった。奇妙というか、面白いというか、その名の背後に隠された物語を探りたくなった。
中世から陶器生産の地として知られる陶町は1954年に瑞浪市に合併した。大川はその町の3つの大字の一つである。国道脇の空き地に駐車して、大川川沿いに並ぶ民家の裏側から尾根に取り付く。わずかな笹やぶをかき分けて貧弱なヒノキ林に覆われた小さな尾根筋を登る。間もなく小さな丘の上に「不動明王」の古い石碑が立っていた。踏み跡もない枯葉道を進むと4等三角点「大川」がブリキ製の説明板を背にして立っていた。
そのすぐ先で、西側からの登山道と合流。ササやぶの中のしっかりした登山道。各所に道標も完備している。562m峰から南斜面を下る道が「うさぎ岩」まで付いている。上方から見るとうさぎよりもウズラに似ている(写真①)。下方から見れば、ウサギそっくりらしいが、時間節約のためすぐ引き返し先へ進む。緩い上り下りを3度繰り返すと、「天狗岩」への分岐。分岐のすぐ先で北側に大きな恵那山(写真②=右手)と中アの銀嶺が一望できた。さらに北側に高度約60m降りた斜面に丸い形の巨岩。天狗岩の頭だ(写真③)。手前には休憩用の金属ベンチもあった。
そこに予想外の出会いがあった。一人の男性登山者がいた。ここから北へ降りた水上地区に住むNKさん(73)だ。かつて近隣の山々を歩き回った登山者であり、今でも毎日体力維持のため山麓の自宅から標高約200m上のこの天狗岩までの上り下りを日課としているそうだ。氏は地元の登山クラブに所属し、10数年前のこの山域の登山道整備の活動に参加してきた。同好の志と出会い、いつかの再会を願いつつ、別れを告げて一人登山道に戻った。そして、薄い雪がわずかに散らばる湿原やササ原を進むと刈り払いの空地に立つ義呂利松の三角点に達した(写真④)。
ここにもNKさんらが整備した説明板が立っていた。眺望は全くなし。すぐに3つ目の点名東釜(4等)に向った。東に降りる歩道を進むと、ササ原に覆われた林道跡が南側谷間に見えた。これが地形図にある林道らしい。今や完全な廃林道だが、やがてササはなくなり、歩きやすい地道となった。明るい日差しが時折落ちてきて心温まる。すべてヒノキ林内で眺望はない。地図で三角点に近い位置の道脇に「三角点⇒」の文字がかろうじて読める看板があった。この先に間違いない。20mほど上のピークに登りあちらこちらをガサゴソとササを分ける。見つからない。三角点はピークの下方にあることはないだろうが、念のためササ原が広がる下の谷間も探したが、見当たらなかった。あきらめて東釜ノ洞の源流部(写真⑤=ヒノキ林の下に背の低いササ原の波)から砂防ダムに向って下り、谷右岸の林道を進み駐車地に戻った。
3つの三角点のうち、大川と東釜の点名はいずれも地域名から採っている。義呂利松だけは地名ではないようだ。その名の由来が知りたくて、ウェブ検索をすると、ある郷土資料にこの山は陶町の最高峰で地域の人たちは「岐呂里ヶ峰」と呼ぶ、とあり、別名で「高戸山」とも言われたとあった。点名の義呂利と符合する「ギロリ」の語句がポイントのようだ。国語辞書によると「目玉が生々しく光って動くさま」とある。そこで前出のNKさんに北麓の水上から天狗岩も含めた山頂部に「ギロリ」にふさわしい光景が見られるのかと伺った。氏は「今は樹木で覆われそのような光景は見られない。ただ、数十年前、陶業燃料に山々の樹木が大量伐採された時代には天狗岩あたりがギロリ状態だったかもしれない」と話す。確証はつかめていないが、いつか水上側から登り天狗岩や山頂がどう見えるか再登してみたい。
山名の由来さぐりは登山者として意味がない、と言う人もいる。登山を純粋スポーツに限るとする人もいる。私はスポーツ的要素に加えて山野渓谷の未知なる世界を探る要素を求めている。古の人々の山野との繋がり、つまり山の歴史民俗も重要なテーマであり、山名由来論議を大事にしたい、と思う。
登山道のある区間はヤブをきれいに刈り払いしてあり、道標も簡潔で解りやすかった。多分、NKさんら地域の有志たちの活動によるものだろう。登山道区間の倍以上の区間は廃林道や道のない低層ヤブを歩いた。砂防ダム直前の洞源流部の急斜面では小木を伝いながら降りきった。安全遊歩あれば難路辛苦あり。多彩かつ幸せな歳末里山歩きだった。完
発信:12/26
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