【週日山行】 天狗城( 684m △なし)、点名・松宇土( 720.12m Ⅲ△ ) 丹生統司
12月の当会週日山行は山県市葛原の平家落人伝説で名高い天狗城と点名・松宇土で行いました。嘗ての集落を結んだ峠道を歩き古い石の道標に触れて往時を偲ぶ山行でした。
- 日程:2020年12月3日(木)晴れ
- 参加者:L.竹森せ、安藤正、岩田嘉、小倉繁、桐山美、丹生統、林 旬、堀 洋、堀 義、宮澤健
- 行程:市井集落駐車地8:50-貴船神社8:55-奥の院9:00-鉄塔10:15-天狗城・松宇土分岐10:43:天狗城10:45-点名・松宇土11:15~12:05-天狗城・松宇土分岐12:30:八月堂下山口14:00
- 地理院地図 2.5万図:谷合
平日の登山で問題は朝の通勤渋滞に巻き込まれることである。それで揖斐川から根尾川を遡り根尾樽見からR418の尾並阪峠で山県市葛原に出た。先ず1台車を下山口の八月堂にデポして市井集落の民家の空き地に駐車した。先日地主に許可を戴いていた。
集落の民家下の踏み跡を追って小さな谷沿いの道に出た。道はしっかりしているが傾斜は強い。やがて貴船神社の鳥居を潜ると急な階段が本殿に続いていた。
本殿直下で尾根にトラバースすると古い道が上に導いた。約5分で奥の院と思われる祠が二つ有った。大きな樫の巨木が二本祠の守り木のように聳えていた。
2018年の台風21号の爪痕と思われる倒木が多く何度か避けたり潜ったりさせられた。
倒木がなければ落ち葉の絨毯を踏んで快適であった。秋の恵みを目を凝らして捜したが全く見当たらなかった。一旦、標高420mの尾根出て忠実に尾根芯を辿ると市井集落と八月堂からの道合流点に出て現在地を地形図で確認した。
山中でこういう古い遺物に出会えると「宝物」を発見したような気分になる。神崎集落と葛原地区を結ぶ生活道路であった証である。高度成長期以前は峠道で集落が結ばれていた。
弘法様であろうか、やはり山道の安全を願い安置したのであろう。信仰心は薄いのだがつい手を合わせる。日本人のやさしさとおおらかさを認識した。
尾根の標高562mに鉄塔が有り東北東の方向が開けていた。先ず反射板が有るのに気づき日永岳など好い加減なことを言っていた。帰宅後調べると中央奥の山は「三尾山」中央が「点名・円原」、その右の反射板が有ったのは「北山」であった。北山の奥に少し見える黒いのは「高賀山」右端黒いのが「瓢ヶ岳」と思われる。
結構な急登を登ると「手取岩」と呼ばれる岩場を左から捲いて登った。天狗城は近い。
天狗城山頂の旧美山町広報課の看板、富山砺波での源平合戦で敗れた平家の残党が葛原に隠れ住んだがそこも追われ天狗城に籠って撃退しこの地に土着したと書いていた。
落人伝説の看板を中心にして記念写真。
天狗城から松宇土へは40mの上り下りの尾根が有るが途中にまたもや2018年、台風18号の爪痕が。
その後小さな凹凸を2度繰り返し山頂に着いた。三角点は4個の保護石に守られ欠けはなかったが長い年月の風化で肌は荒れていた。南斜面の陽だまりで風を避けて和やかに昼食休憩を過ごした。
下山は標高420mピーク手前のコルより八月堂への道に入ったが途中から倒木で道は寸断されていた。尾根芯を外さず下降するとやがて御嶽神社が下に見えた。
神社の長い急な階段を足を踏み外さぬよう注意して手摺りを持って一歩一歩慎重に下った。
八月堂に下山。無事の下山に感謝の念仏を唱えて合掌した。
平成30年(2018)の台風21号は各地に被害を残したがこの山も例外ではなかった。特に八月堂への尾根道は倒木で道が寸断され不明瞭であった。このような状況の為に人が立ち入らなくなり下草がよけい伸びたのかもしれない。道のない山、不明瞭な道を下降する場合は尾根芯を歩く。藪が濃くて尾根の高みが歩けない場合は尾根芯を意識して歩く、尾根芯を外すと支尾根に迷い込みやすいからである。そして絶えずコンパスで下降方向を確認する。これを守れば地形図で想定した下山口に辿り着きやすく道迷いは減らせるはずだ。またコンパスは直ぐ見られるように首から下げて要所で確認しやすくする。ザックの雨蓋に入れておいたのでは面倒で使わない場合が多く失敗の原因となる。支尾根に迷い込むと沢や谷に早く下りてしまいとんだアルバイトをさせられる場合が多い。完
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