【忘年懇親山行】 烏帽子岳( 864.8m Ⅲ△ ) 丹生 統司
2017年8月、大垣山岳協会は2019年7月に60周年を迎えるにあたり記念事業として岐阜県美濃地区の三角点709点全点踏査を会報429号(8月15日号)で発表しました。踏査区域を7分割し、その年の後半期に揖斐川~粕川~国見峠のラインより滋賀・三重県境に在る51点から始めたのです。先ず理事諸氏の練習も含めてレポートのひな型造りとその習得期間も含めて行いました。
当初は5年の期間をみての計画が会員諸氏の踏査意欲は高く当初予定より遥かに早く目標踏査を達成していきました。その結果前倒し、前倒しで進められ2年も早く全点踏査の目途がついたのでした。
2020年9月5日迄に708点の踏査が完了し本日11月29日の点名・烏帽子嶽を残すのみでした。当日の踏査完登・記念登山は堀会長を含めて会員28名が参加して行われました。踏査に関わった全員が参加をして完登祝いをしたかったがコロナ禍の社会状況では止むを得ませんでした。会員の皆様方のご協力に感謝いたします。
- 日程:2020年11月29日(日)晴れ時々曇り
- 参加者:堀義博、他28名
- 行程:上石津細野登山口9:10-点名・烏帽子嶽11:15
- 地理院地図 2.5万図:篠立
烏帽子岳細野ルートは上石津町多良地区の方々と大垣山岳協会が1年5ヶ月をかけて登山道を開いた思い入れのある山です。記念事業の最後を飾るにふさわしい山であります。
昨夜は還暦・古希の祝賀を「みどりの村奥養老」で行い、本日は三角点踏査の3年がかりの大成日である。今山行は堀会長自らリーダーを務められた。
登山道の足元には冬イチゴ(寒イチゴ)の赤い実が、口に含むと酸っぱい味がした。
獣害除け柵を越えると針葉樹と照葉樹の林が続いたが尾根が明瞭になるとコナラ等の落葉樹の林となった。梢の間から伊吹山など北方の山々が見えた。
上部に行くに従い傾斜が増して大きな岩場の下をトラバースした。落ち葉が枯枝や小石を隠しており用心をして足を運んだ。
尾根の岩場に力強く根を張った天然ヒノキに生命力の強さを感じてカメラに収めた。木々の枝越しに北の山々が見え雪を乗せた山を見つけて感声が聞こえた。
北方の展望、手前から点名・猿登、その左奥の山は点名・ソノドヲ。最奥は伊吹山でその右奥に白山が一際白く冬山の装いで有った。残念だが白山はカメラには写らなかった。
コナラとリョウブの林を抜けると山頂は近い。背後に雪を乗せた御嶽山が見えてその左に乗鞍岳、穂高と続き北アの峰々が北に連なっていた。北に行くほどに白さが増していくのが目視で確認出来た。更に首を左に振れば一際白い白山が伊吹の右奥に鎮座していた。
山頂到着、点名・烏帽子嶽。美濃の三角点全709点踏査完了。最後の烏帽子嶽の標石は文字面が北を向いており珍しい。北側文字部の天端が欠き取られ無残であった。山名は烏帽子岳で有るが基準点名は「烏帽子嶽」である。
本日辿った細野ルートは2009年に我が会が烏帽子岳麓の方々と共同事業で登山道を開通させた。同年5月17日(日)会員48名と市民17名で登山道完成市民登山を行っている。
我が会60年の歴史を辿ると1959年7月に大垣商工会議所で大垣山岳協会を創立した。発会式から4年後の1963年に伊吹山北尾根に大垣新道を開通させた。1968年7月にヒマラヤの未踏峰シャーイ・アンジュマン登頂。1996年~1998年には郷土の山を走破し『美濃の山』第一巻~第三巻を発刊した。1998年2月から岐阜県境縦走をスタートさせ2002年11月に伊吹山で完踏登山を行った。その成果は2003年8月『未踏の岐阜県境800キロを歩く』で岐阜新聞から刊行した。今また郷土の三角点全点踏査を完成させた。この成果は令和3年に「美濃の三角点全点踏破」(題は未定)という形で上下二巻に分けて発刊予定である。
私たち大垣山岳協会会員は先輩からの志を引き継ぎこれからも理想を高く掲げて登山の普及奨励に務めていきます。この記事をご覧の貴方も仲間になって安全登山を始めませんか。きっと何かが変わります。
- 会の沿革及び書籍については「会の紹介」もご覧ください。
- 創立60周年事業 美濃地方三角点踏査達成(烏帽子岳踏査)が岐阜新聞に掲載されました。
- 岐阜新聞(2020年(令和2年)12月1日付朝刊)
- 岐阜新聞web (2020年12月1日 9:05 付)
- 「テント泊でやぶの中発見/「酷道」付近で調査 三角点709カ所踏査達成」
(※上記記事は掲載期間が過ぎたため表示されません。)
- 「テント泊でやぶの中発見/「酷道」付近で調査 三角点709カ所踏査達成」
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