大垣山岳協会

名場居川遡行・小丸山滝拝観記 2020.10.06

名場居川

【 個人山行 】 名場居なばい川遡行・小丸山こまるやま滝 鈴木正昭

木曽川支流の名場居川を河口から遡行して約5㎞先の小丸山滝を拝観してきた。沢歩き5時間、全行程12時間余。先月、赤面の失態迷走で逃がした珠玉を苦労の末に勝ち得た思い。久しぶりの長時間山行だったが、想定の範囲内だった。ただ、全く予想できなかった「野中の滝」にはお粗末な反応をしてしまった。故に約1時間のロスを生じた。山や川、沢といった自然山野は近隣に住む人との歴史的関係性の中で存立している。だから、山行の折りには里人に昔の山野や生活を聞くことにしている。今回もお話を伺いたい人が何人もいたが、時間がとれず立ち去った。あの行程ミスが悔しい。

  • 日程:2020年10月6日(火)
  • 参加者:鈴木正昭(単独)
  • 行程:自宅5:25⇒尾張パークウェイ⇒国道41号⇒国道21号⇒県道65号(旧中山道)⇒細久手⇒県道352号(大西瑞浪線)⇒深沢地区駐車地(岐阜県瑞浪市日吉町)
    駐車地6:50→7:15木曽川・深沢峡五月橋→国道418号(旧道)→7:50名場居川橋→8:00名場居川原・入渓8:15→8:30支流分岐・東へ屈曲→9:50・6m滝→10:15河原復帰→11:20名場居集落下→12:50村木谷川分岐→1:30小丸山滝→2:05村木谷川分岐→2:45野中の滝正面→3:40野中水田跡→4:00野中集落→4:35県道353号出合→5:00十日神楽集落→6:20国道418号出合→6:30五月橋→7:10駐車地
  • 地理院地図 2.5万図:御嵩・武並

 朝冷えした深沢地区最奥に車を止め、まだ無人の県道補修工事現場を歩き出した。県道とは名ばかりの細い山道を自動車道に拡幅改良する工事だがどこまで施行できるのか疑わしい。県道補修は100mほどで終わり、荒れた山道を木曽川・丸山ダム湖に向って降りて行く。丸山ダム湖に架かる五月橋を渡る。少し黄色がかった緑色の湖面はさざ波もなくゆったりと流れていた。誰ひとりいない砂利道国道を進み、目指す名場居川橋に着くと、人声と発動機の音が聞こえびっくり。新丸山ダム工事に絡む業者らしい。隠れるようにして、橋西詰めの草付き斜面を約20m下り、名場居川の河原に降りた。

 ここで沢装備を付けて緩やかな流れを渡って歩き出す。先月15日に来た時、川の右岸側に沿う名場居林道廃道を進んで降りた先は本流でなく支流に迷い込んでしまった。川の河口から進めばその失態はないはずだ。直ぐに河床は巨岩と淵の美溪となり、先月迷走した支流の分岐点が確認できた(写真①=正面奧が支流)。

写真①:正面奧が支流

 前回の失敗は距離感と方角の把握努力を怠ったことにあった。その反省を常に意識しながら進む。支流分岐点から川は東に転じる。2,30m置きに方角と高度を確認する。沢の傾斜は緩くて明るくて開放的。釣り人が付けたと思われる古いロープやテープは直ぐに消えて、手あかのついていない岩床や小滝、深い淵、清らかな浅瀬の広がり。沢の百態百相に浸っていると前方に落差6mほどの堂々たる滝が現れた(写真②)。

写真②

 幅は6,7m、幅30mほどの深い淵に白い流れを落としていた。両脇は切り立っていた。こりゃ大巻きか引き返しか。左岸には絶壁が広がるが、左側の右岸に急な細い泥斜面が上がっていた。これを20mほど登るとなんと、ボロボロの名場居林道跡が通っていた。ただ、直ぐ先で崩壊していて進めない。そこで戻って滝の上部で約10mの懸垂下降。岩壁が複雑に曲がっていて体勢維持に難儀して滝の落ち口の少し先に降りた。やがて、川は東に曲がると右岸上部に水田跡が広がり付帯して現れた名場居林道跡を進む。林道跡が消え河原に戻るとまもなく前方に民家3棟が河床から20mほど上に現れた(写真③)。

写真③

 古い御殿のように陽光に輝いていた。人はいないようだ。これが地形図にも載る名場居集落の最南部の家だ。家を訪問したかったが、持ち時間は少ない。東に方向転換する川をジャブジャブ進む。沢歩きは足を最大限酷使する。大きな転倒はないが、足を滑らし水ポチャは何度も。時に腰まで濡らす。村木谷川分岐から上部は斜度が増し、主に左岸側を進む。たくさんのテープ類が目障りなほど。滝訪問者なら、北側から入るだろう。付近の樹相は全面ヒノキ人工林。やはり林業関係者なのだろう。

 倒木を跨いだ途端100m先に一見、奇妙で幻想的な容姿の大滝が目に入った。小丸山滝の下滝(写真④=落差15m)である。複雑な水の流れを制御統合化し瀟洒幽玄の美を発生させている。滝前で休み、じっと見つめると奥深い滝の芸術に吸い込まれそうだ。

写真④:落差15m

 小丸山滝は名瀑として周辺域で知られ、ネットにも数件写真が載っている。ただ、ほとんどが北側から林道や歩道を経ての行程。南側からの沢歩きでの到達記録はないようだ。名場居川河口から沢登り5時間15分。帰路の長歩きを考えて一度は滝への行程をあきらめかけただけに、滝前で感無量のあまり歓喜の声を発してしまった。

 さあ帰り道だ。名場居川を戻って、支流の村木谷川に入り、またその支流野中川を遡り、県道に出るコースを想定。そこには難場はないだろう、と思ったのはお粗末の一巻でした。野中川の標高400mを越した平坦な沢で50mほど先の正面にこれまた瀟洒な3連の滝が現れた(写真⑤)。地図にも不記載、全く知らなかった。滝はそそり立った幅の広い岩壁に高さ20mに渡って落ちていた、とその時認識した。あわてた。直ぐに右岸斜面を高巻くことにした。沢装備を外し登山靴に履き替えて猛斜面を約90m上がり、滝を巻いて上流にある水田跡に降りた。その先、薮の多い歩道跡を西行すると野中集落の最奥の住家の庭先に着いた。

写真⑤

 草取り中の74歳の婦人に聞くと、通称野中の滝には若い頃には何度も行ったことがある。ここから野中川の北側(左岸)に滝まで歩道が付いていて、滝下まで行けた。さらに、歩道は滝下から私が歩いた跡を進んで同じ町内に属する小丸山の集落(滝の北側)まで回覧板を渡しに行ったという。聞いてびっくり仰天。滝のすぐ左岸側に歩道があった。つまり岩壁続きの斜面ではなかった。帰宅後自分の撮った写真を見ると結構凹凸があり、十分登れそうな地形であった。あの時、遠くから見た滝全面は切り立った一枚岩壁のように見えた。視力の低下もあるかも知れない。近くに迫れば、直登コースが見つかったのだ。急がば回れ、ではなく、まず直視せよだったのだ。

 婦人は、この辺りには数軒の農家があったが、今はうちだけポツンと一軒家となったそうだ。でも車道は通じていて近くには国道バイパスも通じた。ポツンではないのかもしれない。今から3時間ほど歩いて帰る、という私に「車で送ろうか」。心やさしい申し出にぐっと来たが、丁重に辞退して別れのあいさつをし、舗装路を歩き出した(写真⑥=後方が名場居川方面)。やがて、県道353号を経て町道を南下。十日神楽を経てジグザグ路に入るころ闇に包まれた。ヘッドライトにぼんやり現れた五月橋を渡る。月はまだ峡谷に届かず、ダム湖の水面は見えなかった。 完

写真⑥
<ルート図>

発信:10/10

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