月報「わっぱ」 2020年11月(No.468)
【 佐竹良彦副会長 追悼法要、追悼登山 】 国見岳 ( 1126m △なし ) 丹生 統司
- 日程:2020年9月27日(日)
- 参加者:
- L.丹生統、安藤正、岩田嘉、大谷早、大橋礼、小倉幹、小栗敦、加藤美、河口加、桐山美、佐藤大、柴田悦、清水克、清水友、清水満、杉本眞、鈴木正、竹森せ、田中恵、中田英、成瀬八、名和妙、西村恵、西村洋、馬場昭、林 旬、平木勤、藤井利、藤井眞、堀 洋、堀 義、宮澤健、三輪唯、村田美、山本知、吉田千、元会員3名 (計39名)
- 追悼法要のみ参加
高木基(僧侶)、犬飼進、大野単、小倉繁、越智洋、久世勝、後藤正、清水照、藤森ふ、山内孝、吉田英 (計11名)
- 行程:岐建駐車場7:30=国見峠(追悼法要)8:30~9:25-国見岳10:30~11:45-国見峠12:30~12:45=岐建駐車場13:50
- 地理院地図 2.5万図:美束(岐阜12-1)
本年7月4日に亡くなった当会の副会長、故佐竹良彦氏のお別れ会を伊吹山のよく見える国見峠と国見岳で行った。伊吹山は我が会のホームグランドであり、北尾根に登山道を拓くなど関わりの深い山である。そこは故人の山登りの原点でも有った。
世間ではコロナ禍でこのお別れ会の開催が危ぶまれたが、第2波も少し落ち着きが見えており実行の運びとなって安堵した。
国見峠で臨済宗高木基楊導師の読経の後に堀会長以下50名の会員と元会員が焼香をした。当日は昨日までの厚い雲が切れて青空が覗き伊吹山は山頂部まで間近に見えた。

追悼法要のあと故人を偲ぶため国見岳まで追悼登山をした。39名の会員達が揃って登山をするのは2002年11月の岐阜県境踏破の伊吹山以来である。故人は当時の理事長で率先して計画を推進した一人である。歩行中はそうした昔日の思い出話などで賑やかであった。
奥美濃の山々が望める国見岳に着いた。県境縦走は伊吹山から始まりまさにこの稜線を歩いて北の能郷白山に繋げたのが始まりであった。この場所は彼を偲び見送るのに格好の適地である。初秋を感じさせる風が抜けて、さわやかな高みであった。周囲のススキの原はそんな雰囲気つくりにも一役買っていた。
ススキの原で「いつかある日」と「夕焼け雲」を全員で斉唱して佐竹副会長を偲んだ。彼や私達の青春時代はアルピニズム全盛の時代であった。いつかアルプスの北壁を、ヒマラヤの高峰をと夢見て谷間にハンマーの打撃音を響かせ雪や氷にピッケルを振った。「いつかある日」は彼と青春を共に謳歌した仲間にはその日々が蘇る挽歌であった。

この度、遺族から彼が愛用していた「二村のピッケル」が私の手元に届いた。国産だが二村のピッケルは手作りでシャフトの上方金属部に「三州猿投山麓住 善則」、反対側に「佐竹 八九一」の通し番号が刻まれている。この遺品は貴重なものである。今後は理事長職を継ぐ者に創立時に制作された「ハッピ」と共に「二村のピッケル」を譲渡していきたいと思う。
1時間の昼食休憩は青空の下でありながら小寒いくらいであった。日に日に秋の深まりが感じられてくるのである。元会員の3名の方々がややもすると暗くなりがちな今日の日を和やかにしてくれた。ありがたいことである。こういう機会を得て旧交を温めることが出来るのも佐竹副会長の人徳のおかげである。
良かった天候も駐車場に着く頃には伊吹山が白く煙っているようだった。この場所で早々に解散してお別れ会を閉じた。
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