大垣山岳協会

金草岳アジミ谷遡行 2020.09.06

金草岳

【 個人山行 】 金草岳 アジミ谷(1227m Ⅱ等△) 丹生統司

  • 日程:2020年9月6日(日)晴れ後時々雨
  • 参加者:伊藤正、佐藤大、丹生統
  • 行程:アジミ谷出合7:20-大滝8:20-金草岳10:35~11:20-檜尾峠12:10~12:50-冠峠14:00

 嘗て奥美濃の山々は谷を遡って滝を攀じ谷筋を水が消えるまで追うと藪が立ちはだかるがそれを掻き分けて山頂に立った。藪に埋もれた三角点標石を捜し出し登頂の満足感に浸るのは格別であった。奥美濃の藪山は限られた者のみが訪れる聖域であった。

 近年は林道が奥地まで延びるとそこから尾根沿いに登山道が整備されて比較的楽に山頂に立てるようになった。塚林道冠山線が開通すると冠山も金草岳も普通の山になった。

<ルート図>

 大型台風10号の影響で明日から1週間は傘マークが連続する予報で有る。当初は今週末も雨予報であったが俄かに晴れ予報に変わった。好天予報にダイスケ君から誘いが有りマサさんに声をかけるとOKの返事、金草岳アジミ谷を計画した。

 旧徳山村の高倉林道は道谷沿いの路肩が抜けることが多く通行止め期間が長く1年や2年続く事は珍しくない。この夏は幸いに通行可能で金草岳南面、釈迦嶺、笹ヶ峰は登山チャンスである。

 国道417号最奥の塚奥山の駐車場で待ち合わせして車2台で出発、先ず冠山峠に1台デポして高倉林道のアジミ谷出合に駐車して出発した。ところが出発時間を記録しようとカメラのシャッターを押すと情けない電池切れであった。時々ポカをやらかして年齢を感じる。というわけで写真はすべてマサさんの提供であることをお断りしておく。

 アジミ谷出合から背丈を越えるススキが繁った右岸廃林道を遡った。道が消える頃に沢が近くなり簡単に谷芯に降りられた。直ぐに2~3mの滑った小滝が現れ幾つか続いた。

 約1時間で落差15mほどの大滝に着いた。左岸のルンゼを登って左にトラバースし滝の上流部が確認できる位置から懸垂下降して滝上に復帰した。これが核心部のようだ。

 以後も3~4mほどの小滝が幾つか出現した。出口が滑っており注意が必要な滝が多かった。2度ほど頼もしい若者のお助けシュリンゲに助けられて突破した。

 大きな石が重なって足元の水流が細くなった行く手に次の滝の落ち口が見えた。それを越えるとどんな景色が現れるのだろうか。気持ちは逸るが老いた足は思うように動いてくれない。

 水がガラ場の中に消えてもなお谷筋を追った。それも絶えると背丈の低い灌木と草の斜面が県境稜線に続いていた。写真で見るより傾斜は強く灌木や草の根を掴んで攀じ登った。

 稜線直下は腰丈ほどの笹原で激藪漕ぎに比べれば楽で助かったが若者のペースについて行けず置いて行かれた。山頂から200mほど東に出ると背後にアジミ谷とその下流の先に徳山ダム湖の湖面が鉛色に映えていた。

 山頂には誰も居らず台風の影響か風が吹き抜けていた。360°展望は確保されていたが東の能郷白山は山頂部が雲で隠されていたが冠山等近くの山はよく見えた。福井方面も部子山、銀杏峰、荒島岳が確認できた。山頂には40分ほど滞在し早い昼食を戴いた後、冠山峠を目指して下山を開始した。

 江戸時代前期に越前鯖江の誠照寺の高僧によって根尾徳山の末寺門徒を廻る「お回り」が始められた。蠅帽子峠を越えて根尾の集落を廻り馬坂峠から徳山の各集落を巡錫し冠ヶ峠を越えて帰越した。その後「お回り」の越前への帰還ルートは明治になって険しい冠ヶ峠越えが敬遠され「檜尾峠」が使われた。根尾の奥集落に至っては現代でも誠照寺による「夏のお回り」は続けられているようだ。勿論蠅帽子越えではなく自動車で温見峠越えである。

 檜尾峠に着いたらダイスケ君に旧徳山村のそんな話を聞かせる予定であったが、檜尾峠には先客が居て休憩中であった。それが偶然にもマサさんの知り合いで福井側の沢をやって檜尾峠で「日向ぼっこ中」であった。話が弾んで盛り上がりで約40分の長居となった。

 会話の只中ではあったが南の空の雲が俄かに黒く低くなって既に釈迦嶺は雨で煙っているようだった。福井側はまだ晴れ間が残っていたが別れの挨拶もソコソコに慌てて下山を開始した。雨脚は意外に早くコルに着くや追いつかれた。遠いが雷も鳴って雨粒が大きく樹木の葉を叩く音が聞こえるほどだったが雨具を着けると直ぐに止んだ。意地の悪さに悪態の一つも言いたいが本降りになるよりましであった。

 冠山峠にはダイスケ君の新車がデポしてあったが濡れたザックや登攀具などが多くて気の毒で心が痛んだ。アジミ谷出合に私の車を回収に向かったが道は良くて新車の腹を擦る心配がなくてホッとした。いい山行だった。完

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