大垣山岳協会

盛夏の奥美濃 上谷山~鏡山 2020.08.15

上谷山

【 個人山行 】 上谷山 ( 1083m Ⅱ等△ ) ~ 鏡山( 1086m △なし ) 丹生 統司

  • 日程:2020年8月15日(土)晴れ
  • 参加者:L.丹生統、柴田悦、林 旬、藤井利、宮沢健、村田美、吉田千
  • 行程:徳山会館・望郷広場7:20-上谷山10:25~10:50-鏡山11:30~12:15-上谷山12:55-徳山会館・望郷広場15:05

 長い梅雨がやっと明けたと思ったら連日猛暑が続いている。今日も大垣市の最高気温予報は38℃が見込まれている。暑い中ではあるが上谷山、鏡山を往復する計画である。上谷山は旧徳山村がダムに水没する以前の揖斐川右岸の下開田、上開田の裏山で有った。開田は揖斐川源流の西谷と東谷が合流する所であった。写真① 中央が上谷山、中央左奥が鏡山。

写真① 中央が上谷山、中央左奥が鏡山

 早朝のダム湖畔は涼しかったが斜面の道を追うと汗が噴き出て来た。長い梅雨の後で下草が伸びて足元が見えるか心配であったが踏み跡はしっかりしており目印も多かった。

 2018年の台風21号は各地に傷跡を残したが上谷山にも生々しく残していた。標高600m辺りで杉の植林帯に入ると「蛭」が鎌首をもたげてご馳走を見逃すものかと襲ってきた。蛭の襲来は想定しておらず全くの無防備でその度に嘗ては黄色だった悲鳴が樹林に響いた。

 尾根筋に出ると北側のダム湖から風が吹き上げて来た。湿気を含んだ冷気がブナの緑を揺らして通り過ぎて行く、涼の歓迎に思わず歩を止めた。立ち休憩を2分いれて汗でまみれた顔を吹き抜ける風に晒して大きく息を吸い込み涼を取り込んだ。

 点名・開田(Ⅱ等三角点)周辺は3mほど切り開かれて赤土が露出した中央南側にあった。山頂からの眺望は効かなかった。三角点周りに高木はなく2,5mほどのブナの小木に山名板が赤布と一緒に括られていた。標石は埋標時より10㎝ほど埋まっていたが欠けもなくカビもシミもない。文字面は南向きで保護石はなかった。

山頂は日当たりが良く木陰を求めて西側の高い木の下で軽い食事と水分補給の休息をとった。

 休憩中に鏡山へのルート確認を行った。笹藪は濃密とはいえず「まばら」で進行方向が透けて見える程度である。鏡山への往復を打診、確認すると全員「行きま~す」とやる気満々心強い返事である。

 鏡山へ南下しながら藪を5分も下ると踏み跡が現れ進行方向が見通せる。目印も次々に現れて我々を鏡山方向へ導く嬉しい誤算であった。尾根は1060mのピークで分岐した。そのまま南下を続ければミノマタ(1100,9m)から五蛇池山である。鏡山へ向かう踏み跡はここで東に向きを変えた。

 L字状にカーブを描いて東に向かうと山頂の高みが見えた。踏み跡は途切れることなく我々を山頂台地に案内してくれた。山頂周辺にはブナの高木が多く笹の丈は低くなった。

 高みのミズナラに「鏡山」と書かれた山名板が括られて有った。北のダム湖から湿気を含んだ冷たい風が吹き上げて実に心地よい山頂であった。思い思いに風を求めて場所を決め昼食休憩を過ごした。

<ルート図>

 旧徳山村は現在揖斐郡揖斐川町に属し嘗ての村跡は門入を除いて湖底に沈んでいる。上谷山は点名・開田が物語るように麓の上開田、下開田集落の裏山であった。若い時分に原谷から鏡山に登り藪を漕いで上谷山を往復した記憶がある。その時の藪がどうだったか記憶はないが踏み跡などあるはずもなかった。

 その頃の徳山の谷や沢で蛭の被害にあったことなど記憶にない。鈴鹿は当時から蛭が多かった。遅くまで残雪豊富な徳山とは水の温度が格段に違った。近頃は冬の降雪が少なくなって徳山の水も温くなった様な気がせぬでもない。やはり温暖化の影響だろうか?

 飛騨の山仲間は飛騨の沢で蛭の被害はないと言い切っていたがそれもいつまでだろうか。完


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