大垣山岳協会

古城山(点名・大桑城山) 2020.08.09

古城山(大桑城山)

月報「わっぱ」 2020年9月(No.466)

【 個人山行 】 古城山(点名・大桑城山) ( 407.4m Ⅱ△ ) 丹生 統司

  • 日程:2020年8月9日(日)
  • 参加者:岩田嘉、桐山美、丹生統、堀 洋
  • 行程:駐車地9:40-登山口9:55-古城山11:20
  • 地理院地図 2.5万図:岩佐(岐阜3-4)

 古城山は山県市大桑、青波、富永の3地区に跨る山城跡で、一般には大桑城(おおがじょう)と呼ばれるが、点の記には大桑城山(おおくわしろやま)とフリガナが打たれている。また地元では城山(しろやま)と呼んでいる。

 戦国期、天文4年(1535年)に長良川の大洪水によって館や町に甚大な被害が発生した。これにより当時の守護である土岐頼芸は本拠を大桑城に移したと伝えられる。それは洪水をきっかけにした理由づけで、実力者斎藤道三のいる「井ノ口」から離れて独立権力を維持したい意向が有ったようである。やがて天文11~19年に戦が起こり、道三によって城は焼かれ落城した。移転後16年で守護土岐頼芸は追放され大桑城はその後廃城となった。

 2020年NHK大河ドラマ「麒麟が来る」で大桑城は土岐頼芸と共に登場した。地元では山麓に大型バス等の大駐車場を幾つか完備して来訪を期待したようだ。しかしコロナの影響で駐車場には数台止めてあるだけだった。

 麓より尾根伝いに遺構を見ながら登って行く。40分ほどで岩門と呼ばれる番所跡に着いた。山頂稜線に上がると先ず馬場跡を訪ねた。細い稜線であるが馬場はそれなりの広さが確保されていた。山頂直下には階段状に曲輪群跡があり、台所跡を過ぎると自然石に書かれた由緒の記念碑と近くに祠があった。その奥の高みに三角点があり、さらに東に進むとミニチュアの天守があって山城跡であることをアピールしていた。

 下山後、明智光秀の墓とされる山県市中洞地区の白山神社境内にある桔梗塚を訪れた。

桔梗塚。日向守光秀と記されている。

 山崎の合戦に敗れた光秀は土民の竹やりで非業の死を遂げた。が、それは影武者で、真実は生まれ故郷の中洞に落ち延び、荒深小五郎と名を変えて隠れ住んでいたのである。その後関ケ原の役で東軍に味方しようとして増水した藪川(根尾川)を愛馬と渡ろうとしたが流され溺死した。それをこの地に埋葬したという伝承がまことしやかに受け継がれているのだ。今でも中洞には荒深姓が20数軒あって、光秀の供養祭は毎年2回行われているそうである。

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