【 個人山行 】 阿寺山地・高樽山報告(1673mⅢ等三角点) 丹生統司
- 日程:2020年6月23日(火) 晴れ
- 参加者:丹生統司(単独)
- 行程:瀬戸川・高樽林道ゲート7:43-井出ノ小路林道分岐8:13-真弓峠10:46~11:09-1660m頭11:41-高樽山12:44
岐阜県付知町と長野県王滝村と境をなす阿寺山地の高樽山へ行ってきた。長い林道歩き後に待っていた藪漕ぎ、高樽山は遠い山であった。
東海北陸道中津川ICから国道257号を付知町へ、倉屋集落で257号と分かれ付知川沿いの道を更に遡り宮島集落を過ぎてもなお遡る。道は度合温泉分岐を過ぎると坂道となり2ツ目のヘアピンを曲がると直ぐ井出ノ小路への林道ゲートである。扉前の膨らみが駐車地。
高樽山から南下した尾根を井出ノ小路谷がヘアピンカーブで回り込み下流南に向きを変える。ゲートから歩くと林道はそこに差し掛かると谷が開けて正面にピラミダルな夕森山(と思われる)1597mが見えた。
井出ノ小路谷林道との分岐を左にとって高樽林道に入ると営林署の休憩小屋があった。井出ノ小路林道には分岐の奥50mに2つ目のゲートが有った。営林署関係の人だろう会釈をして軽トラックが一台追い越して行った。
山では伐採作業が行われているようで林道脇に材木が積まれ重機も何台かあった。そのうちの一台を先ほどの軽トラックの主が操作しようとしていた。挨拶を交わして通り過ぎるとやがて高樽林道から度合温泉のある西股谷の奥に前山1815mと思われる山が見えた。山の高度や距離から推測すると唐塩山ではないと思われる。
高樽本谷へ下りる林道分岐を過ぎてさらに高度を稼ぐと西股谷の奥に唐塩山1609mと前山の稜線が見えた。あの稜線を左に行くと木曽越え峠だ。その昔御嶽山への登山道として信者が白須峠を越えて往来した。また美濃加子母村と木曽王滝村を結ぶ主要な経済道路であり飛騨と木曽、信濃を結ぶ間道でもあったようだ。
さらに高度を稼ぐと高樽山1564mが素晴らしい山容を見せた。以前Ⅱ等三角点の頂には木曽越え峠から登ったが真弓峠に向かう林道から見る高時山は一見独立峰のようで誘われる。
どうやら真弓峠(左の窪み)が見えたようだ。とすると中央は前山で高樽山は右奥だ。
真弓峠には岐阜側、長野側双方に解放されていたがゲートが有った。ここまで2,5時間の予定であったが3時間を要してしまった年齢を感じる。峠で陽当りを避けて軽く食事をしてスタミナを補給した。熊追いの爆竹を鳴らせて出発、本格登山開始。
峠の右斜面入り口には「歩道入り口・関係小班・71林班」営林署のものと思われる白い立札があった。その踏み跡を追って斜面を登った。峠から5分ほどは藪がうるさいがそのうち踏み跡がしっかりして来た。
営林署の作業道は周りの木が大きくなるにつけて踏み跡が明瞭になり普通の山道となった。これは案外楽勝で登れるゾ、道は山頂まで道案内してくれる。そんな予感がした。
ところがそう甘くはなかった1660mの頂で踏み跡はパタッと消えた。南に弧を描いて高樽山に延びる尾根は軸こそ細いがびっしり密度の濃いクマイザサで覆われて立ちはだかった。反省はもう一つ、藪の突入前に足元の地肌が見えるときに熊追いの爆竹を鳴らすべきだったが既に踏み込んだ。笹薮の足元は枯れ笹の床で一旦突入したら火など扱えなかった。
笹はすぐに背丈を越えた。先ほどの高みで熊追いの爆竹を鳴らさなかったことを後悔した。密度の濃い笹薮の中では危なくて爆竹は使用できない。熊と遭遇を避けるため咳払いや声を出した。
背伸びすると行く手に山が見える。高樽には遠すぎる多分天狗岩1824mと井出ノ小路1890mが重なって見えているのだろう。
いよいよ藪は深く濃くなった。笹の波の中で孤独の藪漕ぎ中に残置の目印を発見すると緊張が緩みホットする。人跡の証、人に出会ったような安堵感、一人じゃない。高みを目指してひたすら藪の中を泳いだ。
1660mの頂から直線で約300mとチョイの距離に1時間余りも費やしやっと高樽山頂に辿り着いた。やはり老化の為の体力低下は確実に進んでいる。我が会のNとIは昨年天狗岩と高樽山を一日に二つ登り周回している。若い肉体をうらやましく思う。
写真は到着時山頂の様子である。三角点周りは昨年刈られたようで標石柱の発見は容易だった。保護石は大きくてがっちり三角点を擁護し欠けも作らせていなかった。
それをさらに手を加えて鉈で刈り込んだ。もっと広くもっと丁寧にと思うも藪漕ぎで疲れヘロヘロの身体にはこれが精いっぱいであった。藪の中の枯れ木に高樽山の山名板が括られていた。
三角点の周りにはモミと思われる高木と石楠花、五葉松の木があった。クマイザサは周囲にびっしり、当然展望は皆無であった。
「点名・高樽山」所在地、岐阜縣美濃國恵那郡加子母村字西股入、点の記に書かれたこの古い響きが藪漕ぎの辛さを忘れさせる。三角点花崗岩の肌は明治38年埋設以来の風化でざらざらしており歴史と風格の趣を感じさせた。シミもカビも欠けもなく風化以外は当時のままである。
作業時間も含め山頂には40分ほど滞在した。帰りの長い林道歩きを考えれば長居は出来ない。広場が確保されているので熊追いの爆竹を鳴らした。そしてまず再会することのないだろう三角点の頭を幾度か撫でて山頂を後にした。完
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