大垣山岳協会

山考雑記 点名 上小屋・屏風山・田代山 2020.02.23

屏風山

山考雑記   鈴木正昭
点名 上小屋(585m Ⅲ△)・屏風山(794m Ⅰ△)・田代山(820m Ⅲ△)

美濃の里山低山は往古から山岳信仰の場であった。上小屋もその一つだった。人々から忘れ去らた祠と石碑類。山上の御嶽神社の行く末を思うと、現代人の危うさを覚える。

  • 日程:2020年2月23日(日)               
  • 参加者:鈴木正(単独)                                           
  • 行程:自宅6:55⇒国道19号・釜戸駅前⇒県道65号(恵那御嵩線)⇒国道418号⇒殿畑⇒椋実(むくのみ)で駐車
    駐車地9:10→廃林道→9:55主稜線→10:20点名上小屋10:40→11:40点名小田沢(Ⅳ△687m)→12:30ササヶ平→1:20屏風山1:30→2:05黒の田湿原2:35→3:20田代山→3:35林道出合→4:20寿老滝→5:00駐車地
  • 地理院地図 2.5万図:瑞浪

 身辺雑事の拘束が多少ゆるんだせいか、久しぶりに独り山歩きをする気になった。手近な低山だが、少しはやぶ歩きも加えよう。1等三角点の山、屏風山は著名だが、この山を挟んだ比較的長い南北の尾根筋歩きが面白そう。ついでに、無名の三角点を幾つか登ろう。

 屏風山稜の東側、恵那市三郷町の椋実地区の田んぼ脇の空地に駐車。広い水田の中の小径を進み北西に延びる谷筋に向う。「洞ヶ入」という谷を詰めた先の主稜にある三角点「上小屋」を目指す。300mほどの間、廃林道跡が延びる。ササが延びて倒木もあちこちにある。小尾根を登り切り主稜に出た。上小屋はすぐ北側に見える峰らしいと地図を読んでいるうちに、みぞれが強い風とともに降ってきた。みるみる内に小さな白いミゾレの粒々が地表を覆う。雨具上下を着けてしばらく、ヒノキの木の陰で避難する。15分ほどすると風とミゾレは小振りになったので、鞍部に降りてから登り返して頂上についた。

 最初に眼に飛び込んできたのは小さな祠と両側に並ぶ石碑、大小6個。(写真①)

写真①

 家1軒ほどの平地の北側に並んでいた。その前にむき出しの三角点が立っていた。小振りだが、立派な構えの神社が集落から200mも上の山頂にあった。全く予想もしなかった歴史遺構に出合い、驚きとともに探求心がわき起る。

 高さ1mほどの祠は壊れかけて、前扉は破損し、中に5枚の木札がのぞいていた。非礼お許しの拝礼の後、写真をとらせていただいた。(写真②)

写真②

 左端の札には「明治十年 奉勧請御嶽神社一宇」とあり、裏面には創建した人の名前が書かれている。佐々良木村の戸長渡會吉左エ門ほか世話人ら19人の名前が並ぶ。左から2枚目は昭和26年、御嶽神社とあり、裏に祠を再建したと記されている。73年後のことだ。木札にあるように、これは御嶽神社であったのだ。建てたのは、私が登山口として椋実集落ではなく、北側の佐々良木集落の御嶽信仰の信者たちであった。左右にある八海山大神と三笠山大神碑の存在も御嶽神社であることを裏付けている。しかし、祠は荒れ果て、信者たちの手入れの跡は見られない。間もなく祠は地に埋もれて信仰の歴史も消えて行く。山上、山中の神仏信仰の場がどんどん消えゆく時代である。技術や科学の暴風が人としての倫理や信念を吹き飛ばそうとしている。なんて考える。

 ミゾレは止んだが、風がうなり声をあげる中、祠に一礼してから、主稜尾根を南下する。枯葉の堆積する尾根筋には踏み跡が結構ついている。昔の山仕事、或いは信仰行脚に使った道であろう。道が南へ直角に曲がる角に4等三角点の小田沢があった。尾根の両斜面は4,50年生のヒノキ林ばかりだが、尾根筋はコナラ、トチ、カエデ、モミジなど落葉樹が多い。下層にはササや草木はほとんどない。春には落葉樹は葉や花の衣装をまとい、さぞ見栄えすることだろう。上小屋から屏風山まで小さな10個のコブを越して枯葉埋もれる尾根歩き。冬枯れの木枝を品定めしながらうきうき気分で進む。(写真③)

写真③

 だが、樹林内では遠くの目標が見えないので、うっかり分岐尾根を派生するコブの上で尾根を外してあたふた。2回のミスの後、恵那市椋実からの登山道と瑞浪市からの登山道が出合う峠(ササヶ平)に出た。ここからは立派な登山道が続く。強風ふきすさぶ屏風山山頂に着く。西側が大きく開けて、灰色の空の下に遠く奥美濃や鈴鹿連峰の山並みがうっすら浮かんでいた。すぐ後から来た瑞浪の夫婦とあいさつした後、1等三角点を確かめる余裕もなく退散した。(写真④)

写真④

 明瞭な登山道を南下して、動植物豊かな黒の田湿地を見ようと、園内に入ったことが混乱を招いた。途中で方角認識の混乱が生じて、かなりの時間ロス。湿地周辺の道を十分確かめなかったのが失態だった。湿地入り口に戻り次の目標の田代山への登山道に出られた。

 時間的には無理かなと思い、田代山は割愛する気持ちだったが、分岐道標の所で足が勝手に田代山への道に入ってしまった。足と頭の分裂か。考えてみると時間的には十分可能であった。足の方が正しかったようだ。田代山山頂はヒノキ林の下にあり、眺望はゼロ。下山では山頂から道のない尾根を約120m下り首尾よく林道に降りた。

【田代山山頂で】

 帰宅後、あの山上の御嶽神社の歴史と今のことが知りたくて調べてみた。ネットの登山記録を探すと、3件ほど見つかった。いずれも、地元のベテラン登山者のもの。やはり、佐々良木から沢沿いに登る登拝道が部分的に残っているようだ。恵那市のこの一帯は昔から御嶽信仰の盛んな地であった。明治以降に全国的な広がりをもつ御嶽教日ノ出講の創始者は三郷町深瀬の出身であり、その深瀬の隣の野井に本部を持つ御嶽教三栄協会も長い歴史を持つ。

 三栄協会の役員に聞くと、御嶽教組織が建てたものではなく、地元佐々良木の村人の組織だろうという。山上の祠と石碑の写真が恵那市史に載っているが、説明は一切なかった。疫病の危機に際し、地元の人が病気平癒を祈るために造ったのかもしれない、と前記役員は推測する。

<ルート図> 2.5万図 瑞浪

発信:2/27

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