【 個人山行 】 県境尾根から萱場山登山報告 鈴木 正昭
乾いた雪にうっすら覆われた奥三河、稲武の高原から愛知長野県境尾根をたどって萱場山(1131m Ⅲ△)に登った。先月19日に入山して敗退した懸案が実現して新年初登山となった。でも、山頂にたどり着くまで、行ったり来たりを繰り返すことコースミス3回。それでも、充分な時間とささやかな前進意欲に恵まれて、うねうねと屈曲して北に延びる尾根筋を歩き通せた。
- 日程:2019年1月10日(木)
- 参加者:鈴木正(単独)
- 行程:自宅5:50⇒国道155号⇒猿投グリーンロード八草北IC⇒力石IC⇒国道153号⇒稲武町交差点右折⇒国道257号⇒県道80号(東栄稲武線)⇒林道野入月ヶ平線⇒8:20林道脇駐車地(愛知県豊田市稲武町)
駐車地出発8:45→9:00県境尾根出合→9:40前回引き返し点→12:10・1120m点(尾根分岐)→12:50主稜線出合→1:10萱場山1:30→2:10・1120m点→3:35駐車地 - 地理院地図 2.5万図:根羽
寒い朝だった。標高1000mの山すそを通る林道野入月ヶ平線に入ると車載温度計は-6℃を示す。一帯は名古屋大学生命農学研究科の演習林。その林班数字らしい「15」の看板の横に車を止めて、沢沿いに登り愛知長野の県境尾根に上がる。前回は県境尾根のずっと南の点名三方ノ根から北上して萱場山まで登る予定だったが、道迷いなどで時間を浪費して行程半分ほどで引き返した。
県境尾根筋には5㎝の薄い雪が広がり、枯葉の茶色地肌も交じる。幅の広い切り開きが続く。やぶはほとんどない。左右の樹林は落葉広葉樹の幼木が密生していて眺望は乏しい。県境を示すだろう「国調図根」の杭と名大演習林の黄色の杭が頻繁に現れる。
先月山行の引き返し点のピークを過ぎてすぐに、右手遠方に光り輝く白銀の山嶺が樹林の小さな隙間に望めた。
小さく左右に曲がる尾根を順調に進み、さあ、県境尾根から分れる尾根分岐点に着くころ、という段階で異変が起こった。目指す尾根分岐点の位置が分からない。右往左往したあげく、見つけたササやぶの尾根を60mほど下ると、沢に下りてしまい間違いだと分かる。下降路を戻ると時間的に不利なので、間伐後の荒れた斜面をトラバース、二つの枝尾根を跨いで、主尾根に戻った。ここで初めて分岐点はまだ先であることが分かり、すぐに1120mの分岐ピークに出た。ここで、県境と分れ南東のササ原の尾根を下る。各所に赤布もある。やれやれと思うのもつかの間、尾根は平たい谷間に消えてしまった。またもミス。標高約1000m。分岐ピークから派生している尾根は数本あるが、本命より左側の尾根を下ったと推定する。そこで、谷を東側に登り尾根を進むと、本命尾根に出た。
疎らな広葉樹の中の急斜面を登り萱場山山頂に達した。
積雪5㎝以下。直径30mほどのお盆のような山頂真ん中に座る三角点横で熱いコーヒーを飲んで昼食。ブナ、ミズナラ、ミズメなどの木枝のすだれが広がり、周りの眺望を隠している。どんよりした雲が広がる。耳をすますが、シーンとした無音静寂の世界。集落や自動車道から遠い位置のせいだろう。北東方面の緩斜面は広葉樹の木々がツンツンと立ち並び茶色の肌を見せている。山名の通り、50年ほど前までは、根羽村の人々が農業材料や燃料の採取に足繁く入山した。今はわずかな登山者のほか、忘れられた山となった。山での賑わいが消えたことは悲しい面もあろうが、一方で私はうれしさも感じる。入山者が少なくなれば、山野の自然度は高まり、手付かずの尾根や谷を自由に歩ける。騒音や放置ゴミにも出合わなくて済む。道間違いに舌を鳴らしながらも、自力登山の醍醐味を味わえる。勝手な言い分と言われそうだが。
下山では、山頂からの降り初めでわずかなミスをした以外は、快調に2時間で駐車地に戻れた。登りには4時間半を要したのは前記のように3回のミスのせいだ。当初下山後に、先月歩いた三方の根(別称1200高地 1229m)まで県境尾根を歩く予定であったが、割愛を迫られた。
ミスをなぜ起こしたのか。一つは1120m尾根分岐の位置を間違えたこと。尾根の屈曲部が何カ所もあるので、現在位置の把握が難しい。途中に三角点や道標などの確認物がなにもないので地図読みが難しい。分岐尾根は1120m点で県境尾根から北東側に離脱する。その位置関係を常に留意していたが、県境尾根の方向が似ている地点で最初のミス尾根に入ってしまった。つまり、距離感が正確につかめていなかったのだ。GPSもなく、地図だけだと、微細な手抜かりが誤りを起こす。
もう一つ、樹林の陰になりどの派生尾根も眼で見通せなかったこともある。少しでも見通せたなら、ミスは防げただろう。さらに1120m点からの尾根間違いは入り口付近の数枚の赤布につられたからだ。でも途中で方位確認をすれば、気付いたはすだ。広い谷に降りたところで、一度は引き返そうとした。しかし、そこで地図を丁寧に読んで東側の尾根に上がった。ここでは冷静に転進を判断できた。いずれにせよ、充分な時間的余裕を持てたことも目的成就の一因だった。
名大演習林(稲武フィールド)は1955年に発足した201haの林野。今回歩いた県境尾根の全てが演習林の東端の境界線でもある。関係者らを含めて人の気配は皆無だった。春から秋にかけては学生や若い研究者たちの声が響くことだろう。
完
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