大垣山岳協会

裏剱 若い人に経験を伝えたい 2018.08.11-14

下ノ廊下

【 個人山行 】 裏剱(劔岳長次郎谷右俣~三の窓~仙人池~水平歩道) 丹生 統司

  • 日程:2018年8月11日(土)~14日(火)
  • 参加者:L.丹生統、中田英、平木勤、後藤正、清水克、林旬子、大谷早
  • 行程:
    • 8月11日(土)雨のち時々晴れ  室堂9:10-別山乗越12:05-剣沢テント場12:55
    • 8月12日(日)曇り時々雨  剣沢3:45-長次郎谷出合5:30-池ノ谷乗越9:05-三の窓10:00-小窓の頭10:25-雪渓のトラバース13:05-小窓雪渓14:10-鉱山道口15:10 -池ノ平小屋16:00-仙人池小屋17:00
    • 8月13日(月)雨時々曇り、一時雷雨  仙人池ヒュッテ7:05-仙人温泉8:45-仙人ダム12:35-阿曽原小屋14:20
    • 8月14日(火)晴れ  阿曽原5:55-折尾谷大滝8:00-大太鼓9:05-志合谷9:35-蜆谷10:40-欅平上部展望台11:45-ケヤキ平12:15

8月11日(土)雨のち時々晴れ 室堂9:10 別山乗越12:05 剣沢テント場12:55

 昨年、大日岳に登り40年ぶりに剱岳を仰ぎ見た時、若い頃に通った長次郎谷や三の窓を訪ねて八つ峰やチンネ、劔尾根を間近に見て触れたいと思った。会の若い人たちに剱岳の素晴らしさを紹介出来るのは、今季がラストかもと一期一山の思いで、春の白山山行で一緒だったメンバーを中心に計画した。どうせなら阿曽原で高熱隧道の湯につかり、水平歩道で欅平に出てトロッコ電車で宇奈月まで周遊しよう。料理に例えればフルコースの計画だ。

 室堂で計画書を提出すると長次郎谷から池ノ谷乗越を見て計画変更を促され、剣沢の警備隊の指導を受けるよう指示され意気をくじかれた。更に雨が気を重くする。

 しかし、みくりが池を過ぎ地獄谷が見下ろせるところまで来ると、雨は上がり、雨具を脱いだ。地獄谷の噴煙は風向きが逆方向で目や喉を襲う異臭はない。昔日の剣沢夏合宿、雷鳥沢から別山乗越までの登りは、重荷にあえぎ太陽に焼かれた辛い思い出がよみがえる。だが今は装備も食料も軽量化が進み、若手は鼻歌の競演。69歳の私でも汗だくだがテント泊装備を担いでいる。雲も味方にして乗越に着くと、青空が広がり剱岳が徐々にベールを脱いでいった。

 テント場に着くとすぐに警備隊を尋ねた。隊員は我々の明日の行動ルートを聞くと長次郎谷右俣のクラックの情報を詳細に教えてくれた。そして小窓の頭から小窓雪渓間に2本の急傾斜のルンゼ(急峻な岩溝)に雪渓が残っておりアイゼン、ピッケルを使用するよう強く言われた。しかしルート変更などは言われずホットした。

 青空が広がり剱岳・八つ峰が徐々に顔を出し、この山行がついている予感がした。テントを張り終えて、先ずビールで乾杯、青空の下で飲むビールは美味しかった。

 清水シェフのキムチ鍋に舌鼓をうった。

 警備隊の気象情報では明日は午後から雷雨とのこと、2時起床4時出発でこの日は早寝した。

8月12日(日)曇り時々雨  剣沢3:45 長次郎谷出合5:30 池ノ谷乗越9:05 三の窓10:00 小窓の頭10:25 雪渓のトラバース13:05 小窓雪渓14:10 鉱山道口15:10 池ノ平小屋16:00 仙人池小屋17:00

 4時前に出発。夏道から剣沢雪渓に降りてアイゼンを着けた。雪は固く所々氷化していた。先行するパーティーは平蔵谷を横断すると源次郎尾根に取付いた。長次郎谷着、40年前は長次郎谷右俣を八つ峰やチンネ登攀後の下降ルートに使用していた。

 右から六峰A~Dフェース、Cフェースは相変わらずの人気で順番待ち。クマ岩のテント場を越えた。

 雪渓は上部へ行くにつれ傾斜を増し、クレバスが幾つもの壁を造り、スリップの危険が増した。シュルンド(雪渓と山側の岩場との間の割れ目)に逃げて際の岩を攀じたが、幸い乗越まで続いていた。

 池ノ谷乗越へ到着、他パーティーから雷雨情報、警備隊も午後から雷雨と言っていた。山頂を諦め、三の窓へ池ノ谷ガリーを落石に注意して下降する。

 この判断が大正解だった。不順な天候でこの後小窓の頭からの下降でルート捜しに大苦戦、山頂へ行っていたら仙人池に到着出来なかった。三の窓へ到着もガスでチンネは見えず。池ノ谷下部と劔尾根、池ノ谷は雪渓がクレバスでズタズタだった。ガスの中に浮かぶ小窓の王、その下を斜上するバンドを伝って小窓の頭に出た。ここまでは順調だった。

 ここからが大変だった。尾根の踏み跡を追うと途中で藪の中に消えていた。急な斜面を下りかけたところで下から引き返すパーティーに遭遇。「急な雪渓がありシュルンドが大きく渡るのは不可能」とのこと。チンネを登攀してザイルを解いたばかりのような装備をハーネスに一杯ぶら下げて説得力があった。衛星電話で池ノ平小屋とやり取りもしていた。行こうとすると「行くな」と山のつわもののような威厳で止められた。しかし、無駄に時間ばかりが経過してらちが明かず、彼等の逡巡に何時までも付き合ってはいられない。とにかく現場を自分の目で確かめて判断したく彼らとは別れた。

 彼らが渡れないと結論を出した雪渓は確かに急傾斜でガスの中に消えており高度感はあったが、ここしかルートはないと思った。ここで水分補給や食べ物を口に入れるために長めの休憩、戦の前の腹ごしらえをした。雨が激しくなったので雨具を着け、アイゼンとピッケルのコンビネーションで渡ることを指示した。岩にビレイ用ハーケン1本使用、中間支点にスノーバーを持ってないのでかわりに中田のピッケルをハンマーで叩き込んだ。しかし雪が固くてシャフトは半分ほどしか入らず、シュリンゲを根元に使用した。これで最悪スリップしてもシュルンドまで届かない。全員が渡り終える頃、先ほどのパーティーが他パーティーと一緒に引き返してきた。渡り終えてホット一息笑顔が出た。

 二つ目のルンゼの雪渓は上部を巻いて難なく通貨できた。だが再び急下降が始まって尾根は尾根といえないくらいの急斜面で全く気が抜けない。ここは積雪期に二度通過している。一度は毛勝岳から大窓・小窓を経て、二度目は小窓尾根からだが全く記憶がない。多分雪を利用し尾根を行ったのだろう。すべて積雪期が無雪期より困難とは限らない。細いバンド状の通路での小休はザックや荷物を落とさぬ用心が必要だった。小窓雪渓が見えると傾斜が落ちて緊張からやっと解放され、「ヤッホー」と叫びたい気分だ。

 懐かしい小窓、傾斜が落ちて安全地帯になりルンルン気分、3度目のアイゼン着用で小窓雪渓を下る。

 雪渓を下降中右手に滝が出てきた。左岸に注意すると旧モリブデン鉱山道のペイント印があった。小窓から池ノ平小屋間は油断できない所もあったが、やはり道は道。歩きやすく、ルート探しがなく楽チンだ。池ノ平小屋に着くとグループがテーブルを囲んで盛り上がっていた。

 それが美味しそうでつられてか500㎖ビールを2本買って回し飲みした。また小屋から仙人ヒュッテに遅くなる旨連絡を入れて頂いた。振り返れば雲が切れて裏劔が顔を出してきた。此処まで苦労して辿り着いたご褒美なのだろうか。

 木道が出てくれば仙人池は近い、そして今夜の宿、ヒュッテが見えた。雷の襲来もなくラッキーだった。

 小屋では遅くなった我々を冷たいお茶で迎えてくれた。この心遣いと裏劔の全景が最高のおもてなしだ。そして剱岳山頂を諦めたことが正解だったと今更ながら、行っておれば小窓辺りでテント泊だった。

<2日目 ルート図>

 小屋ではもう一つ「お風呂」のおもてなしがあった。予期せぬご褒美に500㎖のビール缶が直ぐに空になっていく。全員の満足顔と風呂でさっぱり奇麗な笑顔、リーダーは大満足。裏劔の山行も難関箇所をクリアしてほぼ終わったかに見えた。しかし山登りは家に着くまで終わらない。この後も思わぬ試練が二日間続いた。

8月13日(月)雨時々曇り、一時雷雨  仙人池ヒュッテ7:05 仙人温泉8:45 仙人ダム12:35 阿曽原小屋14:20

 今日は阿曽原まで約6時間の行程で昨日の半分、天気が良ければ鼻歌も出そうだ。しかし、夜半から雨で雨具を着けてまず仙人温泉を目指した。梯子やロープがあり思ったよりハードだ。40分も歩くと小雨となり暑くて雨具を脱いだ。雪渓上の目印に案内され最高級の天然クーラーを満喫。

 仙人温泉小屋は休業、仙人谷雪渓を横断して尾根に渡るところが難かった。またシュルンドも深くてビビルところを重荷でよく手際よく渡ってくれた。注意!雪渓が凹んでいるところには絶対に近づかない。

 尾根が下降に移る頃、遠くで鳴っていた雷が俄かに近くなって雨と稲光とグァラグァラ・・・金属の鎖やハシゴの下降中でハラハラ。周りがブナの高木帯まで降りると少し安心できた。長い梯子を幾つも下降し仙人谷ダムに着いた。

 仙人谷ダムは戦前に黒部第三発電所のために建設された。ダム建設に伴う工事資材輸送用トンネルを欅平から仙人谷まで三工区に分けて掘削着手したが阿曽原から仙人谷間は岩盤が摂氏160°にもなる難工事で掘削作業者に冷水をホースで放水して作業を行ったという。作業者が熱中症で次々と倒れ高熱隧道と呼ばれた。ダイナマイトが自然発火する事故も幾件か起きている。こうした難工事の為労賃は当時の10倍だったそうだ。その他雪崩や火災、歩荷(ボッカ)の転落も含めダム完成までに300余名の尊い生命の犠牲によって昭和15年ダムは完成した。ダムから放流された越排水。歴史ある隧道をほんの一部だが歩かせていただいたのはありがたかった。

 仙人谷ダムから一旦登って水平移動したのち下降すると阿曽原小屋が有りそこから5分でキャンプ場。

 阿曽原といえば露天風呂、高熱隧道から直接ホースで引いていた。この日の入浴時間の割り振りは偶数時間が男、奇数時間が女と記憶している。入浴料は700円、40年前は金払った記憶がないが?

 一風呂浴びて本日の労働に乾杯、今夜も大祝宴。混浴時間の8時には飲みすぎて全員グウグウ高鼾。

8月14日(火)晴れ 阿曽原5:55 折尾谷大滝8:00 大太鼓9:05 志合谷9:35 蜆谷10:40 欅平上部展望台11:45 ケヤキ平12:15

 昨夜は夜半から素晴らしい星空だった。最終日の今日は欅平まで、雨具は仕舞ったままで歩けそうだ。阿曽原が遠くなると急な木製梯子の連続で高度を稼ぐ、緑が濃くて森林浴の只中に居る気分。ブナやミズナラ、クロベ(ネズコ)の木陰を風が通り抜けて心地よいが、登り下りが何回もあって、なかなか水平移動にならない。黒部川の川床がはるか下に見える。折尾谷、大滝が素晴らしく豪快。この谷は堰堤の中がトンネルになっておりこれを通過した。

 歩行中に右手に異常な熱い痛さを感じて見ると蜂が刺していた。清水さんに吸引器を使用し毒を吸い出していただいたが大きな針が出てきた。軟膏を塗ったが暫く痛く腫れていた。しかし、その痛みも欅平に着く頃には収まった。実は前日仙人新道で蜂に刺されヘリで救出されたとのことで、注意喚起を受けていた。まさか自分が刺されるとは、このセットは必需品と思った。道はやっと本格的に水平歩道が始まった。

 大太鼓と呼ばれる難所、当時この道を資材運搬、歩荷(ボッカ)したが転落は日常的にあったようである。

 黒部川は500m下、「黒部では怪我をしない」という。怪我で済むわけがないからとか。志合谷、昭和13年12月27日、仙人谷ダム建設に伴う工事資材運搬トンネル、俗に高熱隧道作業員の志合谷宿舎(1‣2階鉄筋コンクリート、3,4階木造)を泡雪崩(ほうなだれ)が襲い、3,4階の木造部分が600m飛ばされ、対岸の奥鐘山に衝突し84名が亡くなった。途中に瓦礫が落ちていないことから、建物は原型を保ったまま空中を飛び奥鐘山の岸壁に激突したとされる。志合谷トンネルは結構長く折れ曲がっておりヘッドランプがないと通過できない。油断すると頭を打つ、足元は深さ3~4㎝の水溜まりがあり、防水が悪い靴は靴下を濡らす。漏水が首筋を直撃し冷たい。

 水平歩道が対岸にも有る様に見えるが道が枝谷に沿って大きく回り込んでいるからだ。時々電車の警笛が聞こえてくるが欅平は近くてまだ遠い。対岸に奥鐘山西壁の眉毛ハングが大迫力で歩道よりも高い。黒部川を挟んだ対岸の奥に北ア北方の山々が見えてきた。左から天狗の頭、不帰嶮、唐松岳と思われる。長い階段状の道を降りた先が欅平、ここからトロッコ電車で宇奈月へ、観光客となって山旅を終えた。

<3日目 ルート図>

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