【 個人山行 】 恵那山・前山 ( 1361m Ⅲ△ )再登報告 鈴木正昭
ほとんどすべてヒノキの人工林内ばかり、山々の眺望もない、薄暗い尾根筋が大半、誰も見向きもしない尾根の雪道をゆっくり4時間半かけて、恵那山・前山に登ってきた。変哲もない道中だったが、未知への緊張感と探求心あふれる時間を与えられた楽しい独り旅でした。後からじわり充実感に浸っています。
- 日程:2018年2月8日
- 参加者:鈴木正昭(単独)
- 行程:自宅6:05⇒中央道・中津川IC⇒7:30恵那神社(中津川市川上)8:00→前山林道→8:20北尾根取り付き→9:10廃林道屈曲部出合→11:20ヒノキ枯死帯→11:45主尾根1304m点→12:30前山1:00→1:45・1304m点→3:05廃林道出合→林道降下→3:45前山林道出合→4:15恵那神社
- 地理院地図 2.5万図:中津川
一般的な登山道は山頂北西側の恵下地区からのコースだが、私は前回13年2月下旬に反対側の恵那神社裏から尾根筋を伝い登った。その時、凍結した急斜面を難儀して突破した記憶が残る。今回はその一本東側の尾根から登ろう。地形図から斜度のややゆるい行程が読み取れたのだ。雪が10㎝ほど残る恵那神社に着いて、居合わせた地元の人に聞くと、前日20㎝ほどの降雪があったから、山上では大雪だよ、という。青空が広がり暖かな朝、幾分不安な兆しを抱きつつ、正ヶ根谷沿いの前山林道のゲートを抜けて歩き出した。左側の二つ目の沢との間の尾根によじ登る。全てヒノキの人工林の中である。雪は樹林が受け止めているせいか、地面の積雪は10cm以下。順調に登り、標高900mで地理院地図にある林道にでる。ここで大きく屈曲して前山林道に降りているが、明らかに廃道の様相。
人工林内だから下層植物つまりやぶは少なく、スズタケらしいササの冬枯れた細い棒がツンツンうるさい。
その背丈は次第に高くなる。新雪が増えて急斜面で滑り始めたので、靴にスノースパイクを付ける。人の踏み跡らしいものは皆無。テープ類は全くないのもうれしい。樹林の面白さはないが、なぜか心躍る。1250m辺りで枝葉が全く失われたヒノキの幹が電信柱のように林立する不思議な所が現れた。尾根の背だけ、距離にして40mほど。青空から明るい日差しがタップリ降りてくるのは嬉しいが、悲鳴を上げた。分厚いササや小木のヤブ束の上に柔らかな新雪が積もっていた。尾根の両側は急峻で回避できない。やむなく、腰まで雪に浸かりつつ突破した。
なんらかの要因でヒノキが集団的に枯死した、森林生態学上の「自然撹乱」なのだろう。地形や気候条件の異状あるいは虫害病害なのか。その要因を解明すれば、森林自然生態や林業資産の維持に役立つと専門家はいう。もがきながら上を見上げるとポッカリ空いた青空がまぶしい。自然生態の不思議な世界をまたいで通過した。その先すぐの1304m点で主稜に合流し右折する。積雪は少し増えて30cmほど。枯れササやぶは肩ほどになり、輪かんは付けられない。ゆるい鞍部でミズナラなどの広葉樹が枝を空に広げる。5年前にここで見たクマ棚(枯葉で作った食事場所)を枝に探したが見つからなかった。ここから北東方向に阿寺山系の小秀山や高時山らしい白い山並みが見えるが、木の幹が邪魔で山座同定は不能。
最後の高度30mは枯れササが頭まで届き無我夢中でストックを振り回す。意気を失う寸前のころ、眼前の茶色のカーテンが突然開けて、雪面が広がる山頂切り開きに達した。白い木柱の前の雪を足でよけるとすぐ三角点の点石が頭を出した。
東側に見えるはずの恵那山はヒノキに阻まれて見えない。積雪約40cm。無風、暖かい。予定時間を大幅に超過していたので、昼食を早く切り上げて往路を戻る。自分のトレースをたどり廃林道に着く。ここから林道跡を下る。道ののり面には各所で頑丈な石積み土留めがあった。小規模な氷瀑が掛かる二つの沢との交差部分では路床ごと流され欠損していた。山際を通過して再び現れた廃道を歩き、舗装完備の前山林道に達した。廃林道の歴史を知りたくて東濃森林管理署に聞いてみた。それによると、林道は岐阜県が治山工事をするために開設したもので、1970年ころまで沿道の工事に使用していたが、その後工事が終わり廃道となったという。多分、沿道山林でのヒノキ造林にも使ったようだ。総延長約5㎞。
過去の山行でこのような廃林道に何度も遭遇している。それなりの公的資金をつぎ込み、目的事業が終わるとそのまま放置廃道化する。最近は間伐作業のために新林道が次々に出現する。山奥なので一般の人の目に入らない林野に新旧林道の網の目が広がる。投下資金による利益が回収できればよいが、その効果的な決算を私は知らない。むしろ、マイナス効果が危惧されるケースもある。一方で、乱脈な林道状況により私たちの低山やぶやま登山は成立しがたくなりつつある。どうしましょうか。当初の主目的は雪山訓練だった。だが、背負い通したピッケルと輪かんは一度も出番無し。でも雪山への気概や意気の鍛錬には得るもの多い山行だった。
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