月報「わっぱ」 2016年6月(No.415)
【 月例山行(市民登山) 】 高賀山 ( 1224.2m Ⅰ△ ) 小倉 幹雄
- 日程:2016年5月15日(日)
- 参加者:L.小倉幹、佐竹良、丹生統、安藤正、藤井利、後藤友、竹森せ、藤井真、米山多、大原和、桐山美、柴田悦、田中善、伊藤喜、服部功、高橋美、阿倍育、大杉す、藤森ふ、清水照、加藤美、成瀬八、林旬子、成瀬徳、山田哲、名和妙、藤井や、早川勝、(一般参加者は19名)
- 行程:大垣6:55=高賀の森駐車場8:50~9:10-林道と合流9:30-不動岩屋10:25-御坂峠11:10-高賀山山頂11:45~12:35-御坂峠12:55-不動岩屋13:30-高賀の森駐車場14:25~40=大垣16:40
- 地理院地図 2.5万図:上ヶ瀬
古くから山岳信仰(高賀信仰)の山として知られる高賀山は、近年マラソンの高橋尚子さんが、高賀神社のミネラルウォーターを愛飲して輝かしい記録をつくり知れ渡った。知名度の高さからか、うれしいことに総勢47人の大部隊となった。
曇りのち晴れの予報だったが、東海北陸道に入ってから小雨が降り出し、駐車地に着いても小雨。全員雨具を着て、3班に分れ出発する。登山道をしばらく登ると再び林道に出合う。雨はほとんど止み林道脇のあずま屋などで雨具を脱ぐ。周りはスギ、ヒノキの植林に覆われる、間伐と下草刈りの手入れがよく、気持ちの良い道を登る。
やがて七曲の標識があり急登にさしかかる。3班からもう少しスローペースで登ってほしいとの声がトランシーバーで伝わる。急登が終わり、沢を渡る地点で一般参加者の一人が体調を崩したため、佐竹、藤井利さんがサポートして下山することにした。自然の巨岩がつくった不動岩屋に着く。不動岩屋は上と下にあり、下の岩屋には数体のお地蔵さんが立っていた。道脇にはユキザサやヒトリシズカの白い花が静かに咲いていた。
標高約1075mの御坂峠に着くと、尾根のすぐ北側5~6m下に舗装された林道が通る。ちょっとがっかり。高賀や郡上市那比から延びる林道だ。山岳信仰の山なのに、峰にまで山を切り開いて道を造るのは不可解なことだ。
峠からの登山道は1.5m程の広さがあり、両脇のササは刈り払われていた。その中に立つシロヤシオはちょうど満開だった。純白の花に心が洗われる。
高賀山山頂に着いたがガスが厚く周りの眺望は効かない。食事後今年3月入会の早川さんから地図の見方を教えてくれと私に求めがあった。近くにいた一般参加者3名も入れてミニ教室を開く。初めに地図上の尾根、沢、稜線の見方を説明する。次に地図とコンパスを使って現在位置と次に行く方向の確認方法を説明する。説明後参加された4名に地図とコンパスを使って現在位置からの下山方向を確認してもらった。
下山は各所に石段と急坂があるのでスリップに注意して、駐車場に無事戻った。
コメント
コメント失礼致します
高賀山信仰について研究している者です
高賀山を指す場合は(高賀信仰)ではなく(高賀山信仰)と記載するのが適切になってきます
理由としては
・用語として(高賀信仰)とは高賀地区にある高賀神社のみの信仰文化を指す言葉になっており、高賀山の中心的な社である高賀山六社ふくめ高賀山修験に関わる周辺諸社を総称する場合は『高賀山信仰』と岐阜県(岐阜県史:通史編 中世)また、六社がある(洞戸村史、美濃市史、郡上八幡町史)はそのように定めています
高賀山とは高賀神社だけでなく複数の諸社のもと、また異なった信仰形態の中で成り立っていたとされるので『高賀山信仰』と記載するのが良いと思います