大垣山岳協会

中ア・大棚入山 ~ 茶臼山縦走報告 2015.08.10-13

大棚入山

 人跡の薄いあこがれの山稜として数年来の念願だった中央アルプス大棚入山(2375m)~茶臼山(2652m)~木曽駒ヶ岳(2956m)縦走をなんとか実現できた。今の私には難関の山行であることは十分承知していて、丁寧な事前準備をしたつもりだった。結果的には事故もなく、想定の行程を進めたのだが、内心では危ない橋を渡ったという思いであった。複雑な要因が重なって、体力、判断力を減衰させ予想外の時間ロスを招いたのだ。冷静な事後検証を迫られている。

大棚入山おおだないりやま ( 2375m Ⅱ△ )、茶臼山 ( 2652m Ⅲ△ )、木曽駒ケ岳 ( 2956m Ⅰ△ ) 鈴木 正昭

  • 日程:2015年8月10日(月) ~ 13日(水)
  • 参加者:単独
  • 行程:
    • 8月10日(月)
      自宅⇒中央道・中津川IC⇒国道19号⇒木曽駒高原⇒林道渡沢鳥井峠線路側で車内泊(長野県木曽町日義)
    • 8月11日(火)
      駐車地5:55→7:40北東尾根出合→9:05水沢山9:20→11:20二重山稜出合→1:05・JCTピーク(2320m)→1:50前衛峰→2:20大棚入山2:50→17:00ササ原斜面でテント泊
    • 8月12日(水)
      5:50テント場→6:15想定尾根出合→6:45最低鞍部7:00→7:40・2260m峰→9:35・2210m鞍部→11:30・2400mトラバース帯で小休止→1:15低ハイマツ帯→2:45茶臼山3:20→4:30西駒山荘(泊)
    • 8月13日(木)
      西駒山荘6:35→6:50遭難記念碑「聖職の碑」→8:40木曽駒ヶ岳8:55→11:00姥岩→11:50七合目避難小屋→12:45五合目→1:45幸ノ川林道終点
  • 地理院地図 2.5万図:宮ノ越・木曽駒ヶ岳

 中央アルプスの主稜線は木曽駒ヶ岳の北、将棊頭山(2730m)で北に向けて二つに分れ末端部を形成する。東側へは権兵衛峠、経ヶ岳方面へ。西側へは茶臼山、大棚入山に繋がる。私が狙ったのは西側の末端主稜線を逆にたどるものだ。道のない大棚入山から先は山行記録は少ない。数少ない記録はみな残雪期のものだ。

 前夜泊した水沢無線中継所入口の林道が出発点(標高約1250m)だ。ここは水沢山(2003m)への登山口でもある。前日夕方の猛烈な強雨は治まり、曇り空だが好天が期待できそうだ。雨具ズボンを着けて、雨粒のついた下草を分けて、踏み跡を探り山中に入る。ここから入山するのは3度目だ。その内の2010年4月の残雪には大棚入山を日帰り往復した。

 その記憶は残り、すぐ枝尾根沿いの踏み跡を上がる。テープ類は多く、踏み跡も以前より多いと感じた。水沢山の見晴らし地から御嶽山が真西に遠望できたが、残念ながら周囲の雲波で不鮮明だった。重い荷のため、前回より5割増しの時間がかかったが、それは予想通りだった。

 大棚入山への尾根筋にある倒木帯は思ったより楽に越すことができた。雪面の踏み抜きを恐れた前回より、より尾根の背に近いコースを通れたせいか。大棚入山前衛峰の手前のコルでザックを下ろし、左(北)側の沢状斜面を下り、水場を探す。地形図上で沢の水を期待できそうな所だ。標高差にして約60m下ったが、見つからず引き返す。緩やかな背高いササ原を進むと見覚えのあるモミの大木。その下の小さな刈り払いに大棚入山の三角点があった。

写真① 大棚入山三角点

 山頂周辺でも水が得られそうな沢筋を探したが、背を越すササ原で探しようがなかった。山行の正否のポイントの一つは現地給水が可能かであった。給水なしで、2日歩くのには5Lは欲しい。だが、全量担げる自信はない。出発時、3Lを持って出かけた。テント場到着前に是非とも給水したい。

 想定時間よりわずかな遅れで、大棚入山山頂から主稜線を南に向けてササ原の尾根を下り始めた。

 標高で80mほど降りた地点で方向を間違った。南東から南西に曲がる所で、真っ直ぐ、つまり伊那側に降下したらしい。ミスにはきっかけがあった。水場を探そうとササ原斜面を右往左往しているうちに、方向感を失ったらしい。ミスに気付いたが、現在位置を確定するのに苦労した。稜線は西側にあると信じて、右へ右へとササ原斜面をトラバースした。トラバースした斜面はモミ・ツガの厚い樹林でしかも凹凸がないので茶臼への尾根筋は全く見えない。時間はどんどん進む。

 午後5時、ササ原斜面にテントを張る。まだ十分明るい。暗くなってのテント設営は危険だ。標高約2210m。小さなテラス状の地のササを刈り取り、テントを設営(写真②)。テント底の中央部に直径30cmほどの木の株が下から突き上げる。横になると株とテント端との間に身体がぎりぎり収まる。窮屈だが、疲れもあって十分睡眠を取れた。水は1.2Lほどしかない。極力節水するほかない。酒には手を出さす、炊事も止める。パン一つだけの夕食。水なしでは食べ物は食べられないのだ。

写真②

 12日朝、まずまずの好天。昨夕、雨がパラついたが、本降りにならすに済んだ幸運に感謝しつつ、再び南西へのササ原トラバースを開始。20分余で小さなラクダの背のような正規尾根に出た。前方樹間に目指す2260m峰、その後ろに茶臼山、木曽駒ヶ岳が見える(写真③)。

写真③

踏み跡らしい筋が時々見え隠れするが、テープ類など人工物はなに一つない。アキノキリンソウやウスユキソウ、ホタルブクロなどの花々の咲く鞍部が3箇所ほどあった。ただ、給水適地は見当たらない。体調はまずまずだし、時間は十分ある。一時は途中で木曽川水系の濃ヶ池川筋に降りることも考えたが、手持ちの1L弱の水で乗り切れる自信がつき、想定コースを行くことに決めた。

 当初テント場に予定した2100mの鞍部をすぎると、地形図にもある大崩壊地のヘリを上がる(写真④)。

写真④ 大崩壊地

 西に噴煙が立ち昇る御嶽の雄姿が迫ってくる。樹林に覆われた2260峰からは踏み跡はないが、やぶも薄く順調に2210mの最低鞍部に達した。ここから茶臼山までの標高差450mが最大の難場であった。

 獣道らしい薄い踏み跡は消えて、モミ・ツガの幼樹が覆う急斜面を昇る。2300m辺りで尾根は左に曲がる。とたんに尾根の背に背の高い濃密なハイマツのやぶが現われた。とても突破できない。やむなく、尾根左手(伊那側)に逃げる。尾根の左側の広葉樹やモミの幼樹帯を上がるが、体力パワーが一気に低下。休みの回数が増える。かつてないスローペースとなった。

 給水不足でカロリー摂取量が不足し、いわばシャリバテの状態になったかと推測する。2500m辺りで一旦尾根の背に出た。ハイマツは低くなり歩きやすくなった。振り返ると大棚入山までの尾根筋がくっきり見えた。もう大丈夫だ。さにあらず、すぐハイマツは背丈を越す高さになり、再び左斜面に逃げた。間もなく、尾根の背に出ないと尾根から外れそうな地点に達した。空身でノコギリを持ち、邪魔なハイマツを伐りながら尾根の背に出る。そこは低いハイマツ帯だった。ザックデポ地まで戻り、ここで若干の不要食糧を捨て軽量化をはかった。結局、刈り払いコースではなく、すぐ下部でハイマツを潜って尾根の背に出た。

 危機を脱し、低ハイマツ帯をゆるやかに登り、巨岩の割れ目にできた狭い廊下を通過したあと、茶臼山山頂に達した。

 最低コルからの450mに5時間10分かかった。重い荷と想像を超えたハイマツの激やぶを考えても、この数字は我ながら意外であった。水の接種不足による体力低下が主因のようにも思える。

 茶臼山山頂から携帯電話で西駒山荘に宿泊予約し、整備された登山道を何度も休みながら下る。小屋前の水場でがぶ飲みしてからきれいな小屋に入った。山荘管理人に行程を伝えると、ここ何年か歩いた人を聞いていない山域ですよ、喜んでくれた。

 13日朝、強い風雨の中を、出立し、何も見えない馬ノ背コースを経て木曽駒ヶ岳に着いた。ガスの中から30人ほどの若いパーティーがぞろぞろ姿を現した。ツアー登山客のご一行様らしい。昨日の疲労はほとんど消えて、玉乃窪山荘から福島Bコースを順調に下山した。

写真⑤ 茶臼山山頂から大棚入山(正面中央下)に続く尾根

 私が歩いた大棚入山~茶臼山の尾根(すべて国有林)には昔、歩道があったのか知りたかった。踏み跡らしい筋はわずかながら、小さな尾根や鞍部に見かけた。ケモノ道かもしれない。この山域に詳しい木嶋秀夫さんや渡沢秀雄さん(いすれも木曽町日義在住)によると、50年ほどまえに林野庁が主に天然ヒノキの銘木、大木の大規模な伐採をした。その際、作業道が尾根筋に開かれた。不要になった作業道はその後手入れもなく、自然に戻ったという。

 率直に言って、自然の回復力の威力に感銘するとともに共感を覚えた。辛く逃げたくなる難所もあったが、各所に見た花々が咲き冷風のそよぐ草原。顔を上げれば、御嶽(写真⑥ 2100m鞍部から)や木曽駒ヶ岳が控える。永遠に心底に残る宝物をつかめた山行だった。完

写真⑥ 最低鞍部(2100m)からからの御嶽山
<ルート図①>
<ルート図②>

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