月報「わっぱ」 2014年6月(No.391)
【 春山合宿 】 槍ヶ岳 ( 3180m Ⅱ△ ) 北川 洋一
- 日程:2014年5月3日(土)~5日(月)
- 参加者:L.丹生統、平木勤、杉本眞、中田英、北川洋、後藤正
- 行程:
- 5月3日 大垣1:00=あかんだな駐車場4:10~55=上高地5:20~50-横尾8:35~9:05-槍沢ロッチ11:00~11:20-ババ平12:00(テント泊)
- 5月4日 テント場6:40-水俣乗越8:45~9:10-2595ピーク11:00-ヒュッテ大槍14:00-槍ヶ岳山荘15:15~16:45-テント場18:00
- 5月5日 テント場6:10-滝谷出合7:10-白出沢出合8:55~9:15-穂高平9:50~10:20-新穂高バス停10:55=あかんだな駐車場12:00=大垣着18:00
- 地理院地図 2.5万図:穂高岳・槍ヶ岳
当初の目標は槍ヶ岳北鎌尾根縦走だった。後日の悪天候の予報を心配しながら深夜1時に大垣をスタート。連休後半初日だけあってアカンダナ駐車場に着くと既にゲート前から車の列。支度を整え2番目のバスに乗り込み上高地へ、いよいよ不安を胸に北鎌縦走へ向け歩き出す。明神、徳沢、横尾までは人も多く華やかだが涸沢へ向かう人がほとんどで、槍沢へ入ると静かになる。一の俣出合で休憩していると平木氏が「揺れなかったか?」これが最初に感じた地震の始まりだった。
槍沢ロッジから樹林帯を抜けると益々風が強くなる、雲の流れも早く稜線上の強風が想像できる。メンバーから天気の崩れが早くなったとの指摘もあった。行程計画では本日、水俣乗越から天上沢に降り北鎌沢出合まで入る予定だったが、このまま突っ込むのは如何なものかとリーダーからの提案があった。無理は禁物、安全第一を考え、全員一致で北鎌尾根から東鎌尾根縦走に進路変更を決めた。
ババ平でテントを設営したが、この間にも時折揺れた。ラジオは体に感じる地震は17回と伝えていた。夕食の宴が始まる頃には雨が強くなり、あのまま強行していたらと思うとゾッとする。夜中テントが潰されるのではないかと思った程の突風が吹いたが、未明には星空が見え2日目は風も無く快晴のスタート。
地形図には東鎌尾根に登山道の破線が書かれているが、残雪期の北アルプスの登山の並大抵でないことを思い知らされる。朝一から水俣乗越への上りはきつい。コバルトブルーの空の下に広がる大パノラマ。名立たる峰々が眼前に広がり、疲れも吹っ飛び気分は最高と叫びたいくらいだ。
乗越から東鎌尾根に入り露出したハイマツが邪魔なヤセた岩稜を登ると雪稜が続いていた(写真①)。トレースはない。ここからザイル登高となる。丹生さんがピッケルを雪面に打ち込みセルフビレイを取り(スタンディング・アックスビレイ)、ザイルを出す。各自タイブロック、プルージックを使い進む。ナイフリッジを通過するたびに、ザイル操作を4、5回繰り返す。斜度は70~80度かと思ったが、50度位らしい。
2595mピークからの下りでは夏道の鉄梯子が半分ほど雪面から露出。ここでもアックスビレイで支点をとりザイルで下りた。しばらく行くとトレースが現れ更に2パーティに先を譲る。これでザイル登高は終わった。ただ、難場はまだまだ続く。
雪庇を避けようとすると、急斜面のトラバースとなる。アイゼンは半分しか掛からない。ピッケルのピックを雪面に刺して進む。雪壁の登りは息が切れ、下降はさらに怖い。何回目かの雪壁を登っていると、目の前に雷鳥があともう少しと励ましの声。槍の直下は岩を巻くように進む。長いトラバースの先の肩の小屋は大勢の登山者でごった返していた。
水俣乗越から約6時間。全員無事到着。残雪の東鎌尾根を通過できた満足感、達成感に不覚にも涙。本当の登山を少し知った様な気持ちだ。中田、後藤の2君は槍の穂先へ、私達4人は2人に内緒のカンパイ。戻ってきた2人をせかし飛騨沢を晴ればれした気分で下る。しかし、日没は早い。槍平までわずかだが疲れも限界。中岳の派生尾根の末端にテントを設営(写真②)。ここなら雪崩の危険はないだろう。設営すると、すぐ暗くなった。小屋で仕入れたビールとワインで今回の成功を祝い改めてカンパイ。深夜放送のラジオから多くの山岳遭難事故があった事を知る。
5日朝、予報通り雨模様。朝は雪、そして大粒の雨となった。20分も下ると槍平で多くのテントを見る。右俣谷は小沢から発生した雪崩で埋まっている。雪面には無数のトレースが入り乱れていてコース取りに手間取る。白出沢出合を過ぎ、右俣林道の安全圏に入る。最終日は雨に降られたが、難ルートは快晴のうちに通過できた。リーダーの判断に感謝。穂高平で最後の休憩後新穂高に着くとバスは2分後に出発。平湯での乗り換えバスも直ぐに来た。朴ノ木の温泉で汗を流し帰路に着いた。
ルート図
コメント