大垣山岳協会

門入と丹生の物語 ⑤

TOPICS・随想・コラム

月報「わっぱ」 2014年1月(No.386)

門入と丹生の物語 ⑤ 消えた丹生氏

 古代の水銀鉱床採掘の現場とされる弘法穴とコウモリ穴を一度この目で確かめたいと、私は昨年9月に門入に入った。水資源公団刊行の「徳山の地名」によれば、弘法穴は西谷から茂津谷に入り、右岸側4番目の枝谷を300mほど上がった位置にある。茂津谷の平坦な川原を進み、着いた岩穴谷の入口には20mの滝があり、高巻きも難しく退散した。

 後で旧住民に聞くと、弘法穴へは岩穴谷の1本手前のジャリボッタ谷を上がり尾根越えして岩穴谷に入った。弘法穴は大きな岩が庇状に張り出し、その下を確かに掘った跡が見えたという。だが穴と言うほどの深さはないという。露頭掘りといった方がいいのかもしれない。

 翌朝、コウモリ穴を目指した。入谷の蔵ヶ谷出合手前にある高さ約20mの大堰堤脇から、堰堤の真上50mほどにコウモリ穴が確認出来た。しかし、垂直の岩肌に阻まれた。

 丹生一族が活躍したと思われる二つの「穴」を直に見ぬうちに踏査行は終わった。

 では、丹生氏の痕跡は門入のどこに残っているのだろうか。平安時代の「和妙類衆抄」に出てくる地名、池田郡壬生(にう)郷は門入のことだろう。ただ、丹生またはそれに類する姓を名乗る村人がかつて存在したという史料文献は見つかっていない。古代、中世に在住した丹生氏一族はその後の鉱床の枯渇とともに新しい鉱床を求めて移住したのか。そう考えるしかない。

 一方、1954年に鉱床調査で門入を訪れた大塚寅雄博士が、門入八幡神社に「丹生神社」の額が掲げてあるのを見た、と書いているという。ある旧住民に聞くと、「額は記憶にない」という。同八幡神社は徳山ダム建設に伴い、福井県の神社に移築されたと聞く。門入での丹生神社の存在が事実なら、丹生氏の実在説に有力根拠となりそうだ。

※参考文献 「丹生の研究」松田寿男・「朱の考古学」市毛勲・徳山村史・坂内村史・近江伊香郡志

(おわり)

(丹生 統司)


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